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ワンコ閣下が卒業した日



◇その後の槻田少尉



 上手くいくだろうという確信はあった。

 だから、言った。

 自らの心を置き去りにして。



 もう一階級上げてくれさえすれば、もっと現場から離れ管理職然とした職務が多くなっただろうに。

 常日頃そんなことばかり考えていた俺だが、ここ最近はむしろ自分が少尉止まりで良かったと思うようになった。

 苛立ちを発散させるのに、現場ほど適した場所はないからだ。


 廊下ですれ違い様、猛獣がだらしない顔で愛妻弁当を自慢してきたとしても、立場も実力も下の俺は歯を食いしばりながら耐える他無い。

 いや、一度だけ顔面目掛けて拳を繰り出したことはあるが、あっさりと止められた挙句、妬むな妬むなと更に苛立つ笑みを向けられたので、それ以後はやっていない。


 八つ当たり気味に己と部下の身体を酷使して、毎日泥のように眠った。

 これで一部の野郎共も、仕事終わりに女に会いに行くようなチャラチャラした真似など出来んだろう。

 実力主義の憲兵陸軍には、決闘で勝てば無理のない範囲で上司にひとつだけ願いを叶えてもらうことが出来るという嘆願決闘制度なるものがある。

 馬鹿げた制度だとは思うが、総司令官である倶炎が推奨しているのだから廃止されるはずもない。

 当然、日々の仕打ちに耐えかねた部下から戦いを挑まれることもあったが、どれだけ疲れていようが俺がただの人間の、それも格下相手に負けるわけもなく。

 相手の実力も測れない命知らずのド阿呆は、即座に滅多打……返り討ちにしてやった。

 俺とて伊達にあの猛獣と付き合っているわけではないのだ。



 さて、今日は数週間ぶりのまともな休日だ。

 午前は自主鍛錬や家の中の細々とした片付けなどをしなければならないが、午後は暇になる。

 久しぶりに例の会に足を運ぶのもいいだろう。

 予想外にアレが卒業してしまった今は特に。


 うらぶれた飲食店街を私服で歩く。

 戦前と比べれば、驚くほど人が少なくなった。

 もはや二度と暖簾のかからぬ店も、少なからずあるのだろう。

 感傷に浸りながら歩を進める。

 一見なんの変哲も無い飲み屋に入り、店主の親父に手を振ってから二階へ上がった。

 階段の先の廊下を進んで、突き当りの扉を素早く四度叩く。

 すぐに奥から小さな声が響いた。


「合言葉は?」


 この行為にも、もはや慣れたものだ。

 俺は彼と同様に声を潜めて、こう返した。


「シャイン、アベック」


 当然、輝くだの光るだのとそのまま訳すのではなく、英語表記に直した上でローマ字読みするものだ。

 ギイと古めかしい音を立てながら扉が開いた。

 敷居を跨ぎ、室内にたむろする同志たちに軽く挨拶をする。

 だが、その直後。俺はその数の少なさに愕然とした。

 困惑しながら腰を下ろす俺へ、同志の一人である男が砕けた態度で話しかけてくる。


「よぉ、兄弟。息災で何よりだ」


 この会において、現実の立場を持ち出すことは無粋とされていた。

 我らは皆、志を同じくする者であり、そこに貴賎は存在しないのだ。


「ついにあの閣下も卒業したんだってな」


 始まった会話の内容に、俺は眉間に皺を寄せ不快感を示しながら口を開く。


「あぁ、そうだ。つい先日……」


 そこまで言って、ふとあることに気付き隣に座る男を凝視した。


「いや、待て。

 閣下、も? 今『も』と言ったか?」

「おう」

「では、この同志の少なさは、まさかっ」


 勘違いであってくれと必死に何かに懇願しながら、すでに半分以上確信してしまっている自分がいた。

 聞きたくもない答えが、想像のままの最悪の言葉が、するりと耳に入ってくる。


「……そのまさかだよ」

「畜生ッ!」

「裏切り者共がっ」


 瞬間。俺の気持ちと同調するように、同志たちが悔しそうに床や自身の膝を殴りつけた。


「皇府の発表、聞いただろ。

 ガキを産めば、ソイツが成人するまで継続して安くない金が手に入る。

 どの家も息子の嫁取りに躍起になっていやがるのさ」


 男は遠い目をして淡々と語る。

 かつては孤独を分かつ男共でひしめき合っていたこの部屋も、今はただその広さが虚しいばかりだ。

 隙間の多さゆえか、快適な温度に保たれているはずのこの場所で、どこか寒ささえ感じられた。

 誰しもが無言になる中で、一人がポツリと呟く。


「もう……潮時なのかもしれんな……」


 途端、俺を含む同志たちは怒りの形相で立ち上がり叫んだ。


「っ馬鹿なことを言うな!」

「ちょっとばかし人数が少なくなったからって、それが何だってんだ!」

「そうだ、弱気になるなよ!」

「帝国独身貴族同盟は永久に不滅だ!」


 だが、他方向から怒りを向けられた男はそれに怯むことなく、静かに瞼を閉じて言う。


「……本当は、分かってんだろ。この流れからは逃げられねぇって。

 俺も、お前らもな」

「だが、それでも我々は!」

「俺は知ってんだぞ。お前、見合い上手くいってんだろ。

 それと、お前はすでに幼馴染と婚姻秒読み状態。

 お前なんか、金髪美女に言い寄られてるそうだな。

 で、俺も、まぁ、その、似たようなもんだ」


 突きつけられた事実に、俺を除いた同志たちがそれぞれ「知っていたのか」とでも言うように目を見開き男を凝視した。

 そんな彼らの反応を見て、悲哀に顔を歪めた男が声を詰まらせながら叫ぶ。


「分かってんだろ! もう、これ以上続けられるわけがねぇんだよッ!」


 その言葉に反論できる者は、誰一人としていなかった。

 後日、流動する時代に翻弄されるかのごとく、帝国独身貴族同盟はあっけなく解散した。




 そして、俺は真実孤独であったのは己だけだったのだという辛すぎる現実を知り、泣いた。



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