一章一節 - 春夜
赤みを帯びた西日が差しこむ。外が見える程度に開けられた戸からは、冷えた風が容赦なく吹き込んでいた。
すぐわきには火おけが置いてあったが、春夜の冷風を防ぐには心もとない。
戸を閉めてもよかったが、せっかく夕日が望める客間に通してもらったのだ。その善意を無下にはできない。
温かな茶の入った湯のみで指先を温め、することもなくその底で揺れる茶葉を見つめる。
どれくらいそうしていただろうか。少なくとも西日はほとんど地に隠れ、空は群青から紫、黄金、茜へと染め分けられている。
「与羽」
彼女は自分の名前を呼ぶ声に顔を上げた。
わずかに開けた戸から覗くのは、背まで垂れた長髪を一つに束ねた青年。細めのあごに、まっすぐ通った鼻筋、目は笑んでいるように穏やかで、眉はきりりとつりあがっている。
今は眉間に浅くしわを寄せていぶかしげにしているものの、女性なら誰でも黄色い悲鳴をあげてしまいそうな整った顔立ちだ。もちろん、その顔を向けられた少女は黄色い悲鳴などあげなかったが……。
むしろ不機嫌そうだ。
すでにあたりは暗くなりはじめている。今飲んでいる茶も三杯目。
思った以上に長い時間待たされてしまった。
青年は少女の仏頂面に肩をすくめながら、机を挟んで彼女の前に正座した。
「ありがとう」と目の前に茶と茶菓子を置いてくれた少年に礼を言い、すぐに茶菓子を少女の方へ押しやる。
当たり前のように少女は青年のための茶菓子に手を伸ばした。
「ま、また茶菓子を持ってきますね!」
その様子に使用人の少年は慌てた。こんなことは初めてだったらしい。
「いや、お構いなく」
青年はわずかに笑みを浮かべて、暗に早く立ち去るよう促した。
「あ、は、はい! ごゆっくりどうぞ」
早口に言って、あたふたと少年が去っていく。訓練しているのか、ほとんど聞き取れないくらい小さな足音が遠のき、消えていった。
「ふう……」
その瞬間、大きなため息をついて、青年が机に突っ伏した。
「お疲れですね、絡柳先輩」
机に肘をついて身を乗り出し、青年の顔を覗き込みながら少女――与羽がニッと口の端を吊り上げた。
「そりゃあ疲れるだろう。昼前から呼び出され、休憩なしで延々今年の予算を詰めると――」
絡柳は机を指先でトントン叩きながら訴える。
「去年の税収と貿易で稼いだ収入と、水路の補修に皆の給料。今年は武官の刀を鍛えなおすための補助金を出すとか出さないとか。去年は豊作だったが、今年はどうか。関税はこのままで良いか――。過去二十年さかのぼって、参考にしろと言われても、そんなに細かいところまで覚えているわけないだろう?
ところがどっこい、月日の大臣様は覚えているんだよな。『文官五位なら、過去四十年覚えていても不思議ではない』とさ。中州建国からの歴史と、法律書、詩に伝記に国際関係に――。まぁ、勉強不足で至らないところがあるのは認めるが、たまに疲れるな。
もう文官を辞めて、武官一筋でいっても構わないだろうか?」
「中州城主に許可を取ってください」
「乱舞が認めるわけないだろう」
再び大きなため息をつく絡柳。彼が愚痴を吐くなど珍しい。