二章八節 - 住み分け
既に与羽が上座を空けて畳の上に座っている。自室のようなくつろぎぶりだ。
叶恵は息子を抱いたまま戸惑いがちに土間に立っていた。
絡柳の住む長屋も、さほど広くはない。土間と八畳部屋と押入れ一つのみ。
一辺の壁には様々な文官家をめぐって写本させてもらった書物が詰められた書棚が天井まで伸びていた。部屋の中央に置かれた机は、一人暮らしでは必要ないだろうと思うほど大きい。
しかし、今そこには開きっぱなしの書物や、墨の乾ききっていない書き途中の紙、硯や幾本もの筆、墨でほとんど覆われていた。休日でも仕事をしていたらしい。
「与羽、座布団を――」
絡柳が机上のものを片づけながら指示を出す。
「わかりました」
与羽は勝手知ったるといった感じで、押入れから座布団を出して敷いていく。
「和雅君は私の膝の上でええとして――」
そう呟きながら出した座布団は五枚。
「……一枚多いが――?」
お茶の準備をしながらもちらりと与羽を見て絡柳は言った。
「あとで辰海が来ますから。昨日の夕方に話したやつ、簡単に案をまとめてくれるらしいですよ」
「たった一晩でできるようなことではないだろう」
絡柳でさえ土地や予算などのことでまとめきれずに奏上するのを控えてきた案件だ。いくら文官筆頭古狐家の血を継ぎ、高等な教育を受けてきた辰海でもできるわけがない。
「とりあえずの骨組みだけだそうです。中州や天駆で学問所を作った時や、他国の政策に似たようなものがあるから参考にしてみるとかなんとか」
「『他国の政策』!」
絡柳は目を見開いた。
「そんな資料が中州にあるなんて聞いたことないぞ」
「非公式なものだそうですから」
中州建国から城主一族を支えてきた古狐家だ。色々な国に裏で糸をはっているのだろう。
伝統的な文官家と一般人から官吏になった絡柳の差はこんなところにもある。たとえ、庶民出の文官が増えても、何十年も独自の知識と手法を蓄えてきた名門出身の文官にはかなわないのかもしれない。
絡柳は部屋の隅で息子をあやす青金叶恵を盗み見た。
できるだけ身ぎれいにしているのだろうが、やつれ、疲労が目立つ。
同年代の文官の中でも賢い女性だが、後ろ盾を失った直後から城で顔を見ることは少なくなった。
「絡柳先輩?」
表情はいつも通りだったはずだが、与羽は絡柳の雰囲気がいつもと少し違うことに気付いたらしい。
「もう少しでお茶が入る。待っていろ」
与羽がそんな答えを望んでいるとは思わなかったが、絡柳はそう言ってそれ以上声をかけられないように背を向けた。
きゅうすに茶葉と湯を入れ湯呑にそそぎ入れる。
手がかすかに震えるのは悔しさのためか。
絡柳は唇をかんだ。今の顔が美青年で通っている涼しげな顔とほど遠いのは分かっている。
「でもですね。私は、庶民の出だからこそできることってたくさんあると思うんですよ」
与羽の独り言のような声が聞こえる。
「もちろん、歴史ある文官家の出身だからできることもあるでしょう。『協力』って言うのか、『住み分け』って言うのか――」
座布団を敷き終わり、壁に背を預けてだらしなく座り宙をぼんやりと見つめる彼女のそばで和雅がうれしそうな声を上げた。




