二章四節 - 紫橙通り
「そうなんですか」
しかし与羽はそれ以上つっこまなかった。長刀を持っていない華奈など珍しいが、その理由も聞かないでおく。
「じゃぁ、私はこれから行くところがあるので失礼しますね」
「ええ」
与羽の明るい笑みに、華奈も柔らかな笑みで応えた。そして再び向かっていた方向へと歩き出す。
「おい、あの菜の花、大斗がやったんだろ?」
少し離れてから雷乱がつぶやいた。
「そうじゃろうね」
「……気にいらねぇ」
雷乱の独りごちる声が聞こえたが、与羽は何も応えずに通りを脇道へ折れた。
中州城下町には、城から放射状に延びる五本の通りをつなぐように蜘蛛の巣状に小道が張り巡らされている。小道は他の小道と交わったり、曲がったり――。時には袋小路になって、慣れない者を迷わせる。
雷乱は良く使う道しか覚えていないが、おそらく与羽は全ての小道を把握しているのだろう。雷乱の記憶にはない道を迷わず進んでいく。ただの家々の隙間にしか見えない場所も、与羽にとってはれっきとした道なのだ。
一度、通りに出たが、それも横断して別の小道に入った。
どうやら、城下町の一番南につながる通りを目指しているらしい。紫橙通りと呼ばれるそこには農地と、名高い文官家――紫陽と橙条の本家もある。
しかしそれと同時に、身分の低いものが住む長屋や中州城主の監視を逃れた賭場などもあるという。皮肉と揶揄を込めて紫橙通りを「死倒通り」と書く者もいるくらいだ。
中州の律(りつ:刑法)や牢などをつかさどっている紫陽が、にらみを利かせているおかげで大きな事件が起こることは少ないが、中州城下町の中では治安の悪い場所だ。文官家である紫陽が多くの武官を輩出しているのも、そのようなことが関係しているのかもしれない。
心なしか、道行く人も陰気だ。
気前の良い橙条の屋敷がこの地域になければ、人々はもっと暗くふさぎこんでいたのかもしれない。橙条のおかげで、どんなにみすぼらしい家でも清潔に保たれ、最低限の生活を保障される。
それでも、辺りが城下町で最も危険な場所であることに変わりない。雷乱はさりげなく与羽に寄り添い、万が一の事態に備えた。
腰の大ぶりな刀の柄に手をかけ、通りの端を足早に歩いていく身なりの悪い男を睨みつけ、牽制する。
しかし、一方の与羽は心配無用とばかりにどんどん歩く。人と目を合わせることを好まない与羽の性格もあり、いつもより深く眉間にしわを寄せ、警戒心と不安をあらわにした雷乱を顔を見ることもなかった。




