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41 封印すべきもの

 ふわりと、花のような甘くて優しい香りが鼻孔をくすぐった。

 シェイラはアレスディールに抱きついたままで、私はその光景に声を失ってただ、茫然と立ち尽くしていた。


「――シェイラ、離れなさい」


 アレスディールは立ち尽くす私の姿を今になってようやく視界に捉えたのか、抱き付く婚約者をやや力づくで引き剥がすと慌てて膝を折った。


「フィリアリーゼ王女殿下、ご無礼を申し訳ございません」


 正式の騎士の礼。あまりにも完璧なそれに、私はいつも以上の距離を感じてしまう。

 突然の婚約者の来訪に戸惑っているようだったけれど、どこか私には彼女のことを知られたくなかったんじゃないか、あまりに予想外のことに苛立っているんじゃないか、他にも色んな邪推が胸を過って、私はその顔を二人に見せたくなかったので顔を背けた。私は今、きっと醜い顔をしている。


「王女殿下!?」


 アレスディールが言うまで全く気づきもしなかったのだろう。シェイラが、慌ててドレスの裾を摘まんで腰を低くし、こうべを垂れた。

 私はその様子を視界の端に捉えて、小さく溜息をつく。

 一体誰が一国の王女が供も連れずに王宮内を歩いているというのか。彼女のように、そう、美しいルーシェリリアのように年頃の姫らしく着飾ることもしない地味な娘を、誰が王女と思うだろう。

 私は顔をあげて二人に礼を解くように声を掛けた。


「非礼はどこにもありません。私も、このようなところで一人でいたことにも問題があるでしょう……。アレスディール、こちらの姫君は貴方を訪ねて来られたようです。貴方の婚約者なのですか。とても可愛らしい方ですね。まだ王宮に滞在されるのなら、改めて私と兄にも紹介して下さいね」

「フィリア様!」


 アレスディールが何か言おうとしていたが、私は聞こえない振りをしてその場から離れる。これ以上、ここにいることは正直辛かった。居たたまれない気持ちになって、私の心が、胸が酷く痛むから。

 二人に対してこちらこそ失礼な態度だったと、自己嫌悪するも時既に遅く、私は自分の至らなさに堪らなくなった。





 その後、当初の予定通り騎士団長にお会いして婚約式当日の警備態勢の件について詳細に打合せをした。

 騎士団長はお父様の親友でもあった方だ。お父様の死にとても責任を感じていらして、葬儀の後辞任を申し出られたが、それを兄が懸命に引き留めたのだと聞いた。まだ未熟な自分を支え、導いてほしい、と。若くして思いがけず王の座に就くことになった兄に同情したのか、騎士団長はその座に今しばらく留まってくれることになった。そのことには私も心から感謝している。兄にはまだ、彼の助けが必要だから。

 騎士団長は打合せの後、今までの厳格な仕事の顔から一転して穏やかな表情で私を見つめた。その距離は主君に対してのものではなく、友人の娘に対するものだったので、私も少し緊張を解く。


「あの、武術訓練にしか興味を示さなかったフィラルラーズ王子が、結婚して王になるなんて未だに信じがたい」


 騎士団長のあまりに率直な意見に、私も苦笑する。兄は帝王学にも、色恋にも全く関心を見せなかった。俺は武術で大陸一になるのが夢だから、王はお前がなればいい、と言った言葉がほとんど本気だったことを私は知っている。その兄が王になり妃を迎えるというのだから、騎士団長がおっしゃるように、現実味が未だに感じられないのは確かなことだった。


「結婚は王女の貴女の方が先だと思っていました。貴女には近くご予定はないのですか?」


 ズキン、と胸が痛んだ。

 適齢期の私の元には内乱の前からもそれなりに求婚の申し出があったことは事実だ。けれど、お父様はまだ娘は手元に置いておきたいのだと言って、そのどれに対しても色好い返事を返すことはなかった。嫁ぎ先を慎重に選んでいたのか、こんな病弱な娘を他所にやることに不安があったのか、その何れもだったかは、もはや確かめる術はない。

 私は王女である以上、王命によりいずれ何処かに嫁ぐことになるだろうとは思っていたが、今はまだ、この場所に居られるものだと思って信じていた。まだ兄たちの――アレスディールの近くにいられると。

 結婚の予定と聞かれて真っ先に脳裏に浮かんだのは先程の二人の姿だった。黒髪の、同じ色彩を持つ二人は対の人形のようにお似合いで、私の入る余地など何処にもないように見えた。私はアレスディールに彼女のように可愛らしく甘えることなどできない。シェイラを見下ろすアレスディールの眼差しが見たこともないくらいに優しくて、どうしようもないほどに切なくて、辛い。


「私は……今のところ予定は全くございません」


 俯きながら何とか絞り出した言葉に、騎士団長は言葉以上のものには気付く様子はなかった。彼も兄のことをどうこう言える立場ではない、鍛練三昧の生活を長年続けていたためか人の感情の機敏とかそういうものには本当に鈍感で、今回はそれが幸いした。


「貴女のような美しい姫君になると争奪戦も熾烈なんでしょうな。私もあと二十歳若かったら本気で参戦して、勝ち抜く自信がありますぞ」


 明るい彼の調子に釣られるように、私は顔を上げて何とか微笑むことができた。






 その夜も胸を刺し抉るような痛みと嘔吐感に苛まれ、私は寝台の上で掛布に頭まで潜り込んで激痛に耐えた。寝台側の机に侍医に処方して頂いた薬と水差しが置いてあるのが目の端に写るが、それに手を伸ばす気力がない。

 多分、私はそう永くないのだろう。最近特にそう思うようになった。侍医は何も言わないが兄の様子がおかしいことには薄々気づいていた。今まで以上に過保護で、私を見る目が時々傷ついたように痛ましげに感じることがある。あまり将来のことを話さなくなったことも、そう考えるに至った一因でもある。


 明日、王宮の図書館へ行ってこの病について調べてみよう。

 私に残された未来はどれくらいのものであるのか。

 私に何が出来るのかを考えてみよう。

 ――そして私は知ることになるのだ。私の未来を閉ざす病と言う名の死の使者がすぐ近くまで迫って来ていること。

 だから私は決意する。私に残された僅かな未来では成せることが限られていて、あれもこれもをと選んでいられる状況にはない。それなら私は王女として、愛する人たちが幸せで笑っていられるよう未来を作りたい。


 そのためにこの恋心は封印してしまわなければ。私が成すべきことを思えば、この想いは弊害でしかない。だから心の奥底に沈めて、封じてしまおう。


 私はアレスディールを想って最後の涙を流した。




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