prologue2 私の運命
もう一人の主人公、フィリアリーゼサイドはシリアス風味です。
秋の日差しは柔らかく、暖かい。
見上げた空はどこまでも透き通った青で、彼女は少しでも新鮮な空気を吸い込もうと大きく深呼吸した。
「………」
そっと胸に手をあて、瞳を閉じる。
そのままの姿勢で数回、息を整える。
――――…。
小さく息を吐き、ゆっくりと瞼を開けた。
ああ、恐らく今日は大丈夫。きっと調子は悪くない。
胸に当てていた両手を今度はその前で絡み合わせ、彼女はいつものように神に深く感謝した。
イグニス王国の秋は過ごし易い。
特に天候の崩れもなく、豊かな実りの色に染まる大地は幸福の象徴のようだ。
緑の多い都が、この季節ばかりは黄金色に彩られる。
この美しさはイグニス国民の誇りであった。
つい1年前は内乱の爪跡が生々しく残り、国民の誇るべき都はその姿を失い、あるのは瓦礫と、枯れた植物と、多くの大切なものを失った人々の失意のため息で、都中が悲しみの渦に沈んでいた。
しかし、国を逆臣の手から奪還し、帰ってきた前王の遺児たる双子のまだ歳若い王子王女は戦後たった1年で、失われていた色彩を、元の美しさに甦らせたのだ。国民にとってこの二人の存在は、新たな誇りとなった。
イグニス王国は歴史の古い、騎士の国である。
前王エルガーストに至るまで王自身も気高い騎士として自らを厳しく戒め、よき国主として善政を布いてきた。しかし、約1年前、私欲に目がくらんだ一部の臣が隣国ザカに唆されてエルガーストを弑逆し、当時16歳だったフィリアリーゼ王女を奪い王位を簒奪した。
クーデター当時運良く王都を離れていたフィリアリーゼ王女の双子の兄、フィラルラーズ王子はすぐさま配下の騎士団を再編成し、王都奪還に動く。王子は側近であった騎士アレスディールに妹王女の救出を命じた。騎士は見事任務を果たし、王女を無事兄王子の元へ連れ出すことに成功する。
その後、憂いを絶ったフィラルラーズ王子の侵攻はまさに電光石火の如き勢いで、ザカを牽制しつつも逆臣を討ち取ることに成功したのである。
もともと民からの叛意もなく、私欲で王位を望んだ臣に忠義を立てるものもおらず、幕引きはあっけなかったが、その失ったものの被害はあまりにも多かった。騎士の鑑であった前王をはじめ、多くの騎士、民の命が奪われ、美しかった街並みは破壊され、都からは活気が消えた。
隣国ザカの脅威がまだ燻っている中、玉座に就いたフィラルラーズは外敵の対応に追われることが多かったので、内政に関しては王妹フィリアリーゼが務めることになった。彼女は絶世の美女との誉れ高かった前王妃に生き映しの美しくたおやかな姫君で、彼女自身先の内乱では心身ともに酷く傷ついたであるはずなのに、常に穏やかな微笑みで臣民と接する姿は内乱で傷ついた多くの人々を癒した。フィリアリーゼは民にとって救いの女神となっていた。
民の期待に応えるために、彼女は今日も街に下りて人々の声に耳を傾ける。側に添うのは彼女の騎士、アレスディールだ。彼は王命で今は彼女の護衛をしているが、本来は王の側近騎士である。ザカの侵攻を防ぐため王都を離れたフィラルラーズに代わって王都の守護を務めるため、同時に王の大事な妹君であるフィリアリーゼを守るためにここにいる。
彼にとっては不本意極まりないことなのだろうと、フィリアリーゼは隣に立つ逞しい騎士を見上げてそっと溜息をついた。騎士たるもの、主君の側で主君を守り剣を振るうことこそ本懐であるときいたことがある。それなのに彼は王命で仕方なく、こんなところで役に立たない王妹の子守りをさせられているのだ。申し訳ないと彼に侘びる。仕方のないことではあったが。
あの時、燃え盛る王宮に監禁され、このまま命尽きることを覚悟した時に現れた救いの騎士。ずっと前から密かに恋い慕っていた、私の騎士。その腕に抱かれた時、あまりの幸福に目眩がしてもうこのまま死んでもいいとさえ思った。
その彼には故郷に婚約者がいて、国の内情が落ち着いたら結婚するのだと聞いた。とても美しく優しい人なのだと言い、彼も心からの愛情を寄せており、相思相愛なのだと。私の恋の華はは告げる前に儚く散ってしまった。元々王族に生まれた身で、希む人と結ばれるなどとは思っていない。王族の娘は政略の駒であるべきだ。それが国益に適うなら、王命に従ってどこへなりと嫁ぐのだろう。兄王は彼女を駒として扱う気はないと断言していたが、そうもいかないことは明らかだった。
私はどこにも嫁ぎたくない。
たとえ結ばれることがなくても、彼の側にいたい。
そんな私の望みを、神が叶えてくれたのか。
――――それとも罰なのか。
彼女はゆっくりと息をついて両手で胸を押さえた。不規則に乱れる鼓動に呼吸が苦しくなる。気を抜けば倒れてしまう。今の状態を、隣に立つ騎士に絶対に悟られてはいけない。彼女は多くの民の望むように、そして彼の望むように「立派な王女」「国の誇り」でなければならないのだ。最後の一呼吸まで、誇り高い王女であることが、彼女の矜持。彼に唯一求められていることだから。
私は知っている。この命がそう永くないこと。この身を蝕む病は篤く、もう手の施しようがないということ。療養に専念しなければ、もう来年の春まで持たないということ。
けれど命を削ってでも、私は最後まで彼に望まれるものでありたい。
神様、たった一つの我儘をどうかお許しください。




