16 分岐点
フィリアの朝は驚くほど早い。
彼女の元で生活を始めて感じたことだが、彼女はよほど体調の悪い時以外は朝の6刻前に起きて禊を済ませ、聖堂でゆうに半刻以上かけて神への祈りを捧げる。その後父王や兄王子と一緒に朝食の席に着く。この家族は互いが多忙であるのでせめて朝食くらいは時間を合わせようと努めているようで、王宮にいる日はほぼ一緒に朝食を取る。と言っても挨拶するくらいの時間しかなく、優雅な朝食とはほど遠いが、それでも一緒にいられる時間を大切にしていることがうかがえた。
現王家の直系で女性はフィリアだけだ。王妃であり、双子の母である女性は双子が5歳の秋に長患いの末に亡くなっていた。以来、フィリアは王宮の女主人であり、父王や兄王子を精神的に支えていたようだ。その彼女は生まれつき心臓が悪く、父と兄の過保護という名の溺愛の元に育ってきたが、そのような環境下に育つ者に多く見られる我儘や傲慢なところは全くなく、寧ろ対極の、謙虚で慈悲深い王女に育ったのは彼女のもともとの気質のせいだと思われた。
その彼女は朝食の後は公務に入る。彼女はまだ16歳であるのに、王族直系唯一の女性として本来では王妃が担うべき公務を2年前から少しずつ行っていた。おぼつかないところは側近である政務官が補佐を行っているので、滞りなくこなしている。その姿に、私は自分との歴然とした差を見せつけられた気がして悔しさ半分、情けなさ半分って感じだった。私の場合は公務は慈善事業の視察とか、騎士団の激励とかその程度で、その他は未だ勉強中の状態だ。ゆくゆくは女王のになる予定の私だけど、ちっとも向いていないのは誰よりも解っている。もし私以外に有力な王族、例えばお父様の弟だとか、従兄弟とかがいれば王位はそちらにいくのは自明だ。もともとイグニスは騎士の国、男子が王位を継ぐのが常であったが悲しいかな、お父様には私しか子供が産まれず、世継ぎの為に側室を取ることもよしとはしなかった。他に有力な男性王族も居なかった故に私が婿を取って女王になる予定となっている。だから、王位を継ぐ者として相応しくあるために教師について色々勉強中なんだけど、フィリアは同じ歳で既に内政に関わる公務の幾つかを担っていたのが衝撃的だった。
「フィラル兄様は文官の業務は苦手でいらっしゃるし、私は女でこの体だから騎士にはなれないし、ちょうど得意分野を分担しているからいいのよ」
事もなげに彼女は言うが、それにしても既に立派に王族としての公務を一人前にこなしている姿を見て、私の状態との差に項垂れたくなる。
その中で、彼女は定期的に侍医の診察を受け、規則正しく服薬を忘れない。その生活を物心ついた頃からずっと続けている彼女にとっては日常の習慣だったが、私にとってはそうではなかった。薬に頼らなければ寝台から起き上がることすらできなくなるという彼女の姿は痛々しくて、見ていて辛くなるときがあった。
「ねえ、あまり無理しないほうがいいと思うわ。貴女のこと心配している人がたくさんいるでしょう?」
私はフィリアがこの先の未来で、自分の体を省みなかったためその命を縮めてしまったことを知っている。そのために悲しみ、苦しんでいる人がいることも。
「心配して下さいますのですか、天使様。ありがとうございます。けれど、ご心配は無用です。私は王女として当然の務めを果たしているに過ぎません」
穏やかに微笑みながら話す姿は模範的な王女そのもので。前にお父様が言っいたことを思い出す。『フィリアは常に王女としての自分を作り上げていて、その中でしか自分を外に見せようとはしなかった』、と。それならば、今目の前にいる王女はフィリアが作り上げた王女像なのだろう。
常に微笑みを絶やさず、誰に対しても誠実な対応を見せる彼女は出来すぎ過ぎて作り物っぽい。でもそれが完璧に板についているところを見ると、初めは意図的に作っていたとしても今は素になっているのかもしれない。私にはとても真似できないけど。
私はお父様から、フィリアがアレスのことを想っていることを聞かされていた。
出陣式の様子からも多分そうだろうな、という気配は感じられた。
けれど、今のフィリアからはそういった様子は全く見受けられない。錯覚だったのかと疑いたくなるほどに。
そんな感じで日々を過ごす中で、私は常に自問を繰り返していた。
『私は何故ここにいるのか』
私の運命の人――夢の騎士が言っていたこと。フィリアが見たという天使の夢。
フィリアにしか見えない私の存在。
語れない未来、その中に私の求める答はあるのか。
何度も何度も自問を繰り返した結果、私がたどり着いた答は――私の行動次第で未来が変えられるんじゃないかということだった。そうすることが正しいかどうかは分からない。けれど、私がここにいる意味を考えた時、それしか考えられなかった。
『――貴女のこれから待ち受ける運命の上で、どんな困難があったとしても、貴女らしさを失わないで、自分を信じて立ち向かってほしい……そうすれば、わたしたちはきっと夢の外で出会えるから』
私の運命の上に未だいないという、私だけの騎士に出会うには未来を変えなければいけない、 そんな気がしたんだ。




