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11 過去の精算

「精算?」


 私が首を傾げると、アレスは頷いた。


「先ほどはこのテラスの柵に隠していたものを取ろうとしていたのです」


 そう言って見せてくれたのは、小さな腕輪だった。男性が着けるには少し華奢な意匠だけど、中央で存在感を主張している紅玉は誰かの瞳の色と似ていた。


「昔、わたしが初めての任務で戦地に向かうことが決まった時に、あの方が無事を祈ってわたしに下さったものです」


 瞳の色と同じ色の石は、その人を守るものだ。

 だから瞳と同色の石を使った装飾品を渡し、相手の無事を祈る習慣が古くからある。


「初めから気付いていたのです、自惚れではないことを。けれどあの頃のわたしは弱く、あの方の想いからただ逃げた。ティーナ様のようにはっきり口にされないことをいいことに、わたしは卑怯にも自分を守るために心を偽った」


 ぎゅ、と腕輪を握り締めるアレスは今にも泣きそうに見えた。

 真面目過ぎる彼のことだから、当時も、今までも、たった今も自分を責め続けたのだろうか。自分の取った行動故に大切な人を失って、贖罪も赦されずただ、自分の罪を直視させられてきた。それを命じたお父様って酷い、と思ったけれど、お父様の立場ならアレスのことが本当に赦せなかったのかもしれない。……でも、アレスのことも大事に思っていたなら、彼を留めるために敢えてそんな風に言ったのかもしれない。今は想像でしかないけれど。


「陛下からかつての顛末をお聞きになったのでしょう? 如何でしたか、幻滅したでしょう」


 自嘲しながらも、彼の表情は意外なほどに穏やかだった。

 私はこの時、気づくべきだった。アレスの表情の不自然さに。後で悔やんでも仕方ないことだけど。


「幻滅なんて、してないわ。過去の貴方がいたから私の好きになった今の貴方がいるのよ」

「貴女という人は……」


 一旦言葉を止めて、再び口を開いたときアレスは困ったように微笑んだ。私が知るなかで、一番優しい笑みだった。彼はそのまま私の前に跪いて私の手を取った。


「高貴なる姫君、貴女は太陽のように崇高で、咎人たるわたしにはあまりにも眩すぎた。そして貴女の存在はわたしが奪ってしまった唯一の人の未来を、わたしの罪を突きつける。けれど貴女のおかげで決心がついた。誰に何をいわれようと、己の想いに正直でありたい」


 手の甲に彼の唇が一瞬だけ触れた。

 優雅なその所作とは裏腹に、急に目の前にいるはずのアレスが遠く感じられた――どこかで見たような既視感に私は背中に冷たいものが流れ落ちたような戦慄を覚える。


「アレス? 何をするつもりなの?」


 彼は私の問いには答えず、手にした腕輪と懐から取り出した首飾り――青い宝玉の美しい首飾りを一緒に手のひらに乗せてそっと瞳を伏せた。


「あれから20年経った。けれど未だ貴女の面影が鮮やかに瞼に焼き付いている……あの日のままに」


 囁くような声は甘く、優しく。まるで恋人に話しかけているかのようだ。

 彼の手にしたものが淡い光を帯びているように見える。一体何が起きたというのか。私は目を瞠った。

 そういえば古い呪術に、亡き人の瞳の色をした宝玉と、自分の瞳の色の宝玉を合わせて月に願えば、喪った亡き人にもう一度会えるというのがあったような気がする。それは会いたい人が亡くなった日に、そして命と釣り合う代償が必要であるとも。


「陛下にはお詫びのしようもなく、ただお言葉のままに従ってきた。けれどもうこれ以上は……」


 彼は腕輪と首飾りを再びそろえて懐に戻すと、ゆっくりと私に向き直った。

 途端、言いようのない恐怖を感じた。

 見たこともないような優しい微笑みも、甘い声も、何もかもが幻のように思える。それは、恐らくアレスの瞳に映っているのは私ではないからだ。彼は私の上に、別の人を重ねて見ている。彼が唯一心から愛した、フィリアリーゼ王女を。


「お許しを、とは申し上げられません。ただこの罪を、我が身を持って贖うことだけはどうか、どうかお許しください」

「アレスディール!!」


 言葉が終わらないうちに飛び出していた。私の直感が叫んだからだ。このままでは彼を永遠に失ってしまうと。

 そして彼が腰に差してあった剣を抜くのと、私が彼の腕にしがみ付くのとは同時だった。

 どこか虚ろだったアレスの瞳に正気の光が戻るが、勢いづいた剣筋は止まらなかった。


「「――――――!!」」


 右肩に焼けるような熱を感じた。続いて鋭い痛みが私を襲う。何が起きたのか咄嗟には分からなかった。けれど、目の端に映る鮮やかな赤をみて、ああ、血が流れてると他人事のようにぼんやり思った。

 私は衝撃に耐えられず、よろよろと数歩後ずさった。


「ティーナ様!!」


 アレスの悲鳴のような声がどこかてが遠くに聞こえた。

 その直後に背中に何か当たったなと感じ、続いて背中に風を感じた。どうやらテラスの手すりに当たったようだ。危ないかも、と思う間もなく襲いかかった重力に私は目の前が真っ暗になる――落ちる、そう思った瞬間、力強い腕が私の右手を掴んだ。

 アレスが間一髪、私の手を掴んで引き上げようとしている。私も必死にその手を握り返した。いくら軽い私であるとはいえ、意識が明瞭でない状態では掴んだ手を維持できない。それに肩からの出血が、腕を伝って手まで流れ落ちてきて、ずるずると手が離れていく。


「――――ぐっ!!」


 アレスはそれでも懸命に私の手を掴もうともがいていたが、ついに手が離れ、急速な落下感が私に襲いかかった。その瞬間、私はアレスの腕の中にいた。彼の腕の温かさ、力強さを感じ、私はこんな状態であるにも関わら安堵を覚えた。


 そして、私は意識を失った。








 気がつくと、私は誰かの腕の中に横たわっていた。

 私を守るように包み込むその腕は重く、冷たく、そして濡れていた。

 何か液体のようなものが頬を濡らしていた。ぬるりとした感触に、それが何か確かめようとして身を起こした。そして、私は人の上に圧し掛かっていることに気づく。


「アレス?」


 呼びかける声をうまく紡ぐことが出来なかった。私の下にいるアレスは中庭の石畳の上に仰向けの状態で私を腕に抱いたまま横たわっていた。瞳は閉ざされ、頭の後ろからは月明かりでもはっきりわかるほど大量の血が流れていた。


「アレス?!」


 恐る恐る頬に触れてみる。すると、氷のように冷たい。

 どういうこと? そのまま手を彼の口元にあててみる。その行動が導く答えに、私は戦慄した。


「いやだ、ねえ!!」


 必死に彼の肩を揺さぶって目覚めを願う。彼は息をしていなかった。恐らく私を庇ったから、後ろから落ちたんだ。私の肩の傷の血はまだ止まってはいなかったが、流れた血の量は比較にならない。


「ねえ、お願い、目を開けて!!」


 私は恐慌状態に陥っていた。一体何が起きたのか。混乱する脳内で懸命に先ほどの状況を再生する。

 アレスがテラスで自害しようとしたのを私は止めた。その時に私は肩を斬られて、よろめいて、テラスの縁から転落した。それを助けようとしてアレスが――――。


「いやあああああ……っ!!」


 ダメだ、嘘だ。こんなことってない。

 私は何度も何度も動かない体を揺さぶった。


「――――っ!」


 私があんまり激しく揺さぶったものだから、彼が懐にしまっていたものがこぼれおちてきた。

 青と、赤の――私は思わずそれをつかみ取った。

 

「貴女が、貴女が勇気を出さなかったから、彼はこんなに苦しんだのよ!」


 八つ当たりもいいところだと、分かってはいたけれど止まらなかった。

 彼女のせいじゃない。むしろ彼女は被害者だ。でも、今の私からすれば、そこにしか気持ちのぶつけどころを見つけられなかった。


「返して、ねえ、アレスを返して! 連れて行かないで、叔母様……フィリアリーゼ王女!!」


 無我夢中だった。日頃は全く信仰心のない私が、神でも天使でも悪魔にでさえも縋りたい気持ちだった。

 だから、何がどうなったのか全然覚えていない。

 気がつくと、私が握りしめていたもの――フィリアリーゼ王女の形見の宝玉たちが突然強い光を放ち、私とアレスを包み込んでいた。目も開けていられないような閃光の中、その光の奥に、人影を確かに見た。


『―――て…い……』


 小さな声を聞き取ることは出来なかった。男ものか女のものかもわからない。

 脳裏に直接響く声は、その想いを懸命に伝えようとしていることだけははっきりと分かり、胸が苦しくなった。


『―――――か、し……せに……』


 その想いの強さに、押しつぶされてしまいそうな錯覚を感じる。

 これは誰の想い、願いだのだろう。あまりに強すぎる想いに、私は呑みこまれてしまう。

 もう駄目だ、そう思った時耳元で誰かが囁いた。


『天使が、堕ちてきた。時が歪む……』


 どういうこと? 私は問いかけようと思ったけれど急に光が濃度を増し、目の前を白い薔薇の華吹雪が舞った。それを最後に、私の世界は光に支配され真っ白に染まった。 




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