√衙乂行夜(げげこうや) #01 prologue
この物語は設定だけ正編(あるいは本編)に帰属していますが、あくまでも〝if〟展開です。
なので、この物語とその前後に食い違い、掛け違いがある(もしくは今後、生じる)かも知れませんが、その旨はご理解くださいませ。
西暦二〇一七年、聖夜絢爛祭前夜。
この空に煌めき浮かぶ星々は燦然と輝いている、少なくとも彼はそう思った。
夜空には雲も月光も何もない、遵って上空には星々の明かりがより鮮明に観える。だからと言って星明りが夜道を照らすことは毛頭なく、依然として闇夜のままだ。仲冬の暮れ頃ということもあり、夜の季節と言っても強ち間違いではあるまい。
二十三日の日付が変わるまでには当分の時間がある。現時刻は二十時を回っており、あと幾許かで二十一時だ。街燈は電気がないわけでもないのに点いていない。
そこには二人の人影がある、と言っても影など出来ようはずもないが。
一人は着物と羽織を身に纏っている黒髪と白髪が交じった渋めの小父様の様相を醸し出しているが、実際には外見ほどの年齢ではなく、ただの老け症な二十代後半だ。それは紛れもない事実なのだが周りの人達からは鯖を読み過ぎですよ、と初見なら真剣に、以降は揄い半分で言われてしまう残念な人だ。
もう一人の彼は終始フード付の外套の裡でことを済ませている。
その衣裳は喪服でも少しくらいの白地なり何なりがあるのだろうが、それを見劣りする程の黒装束。こんな夜道では遠目から見れば確実に周囲と同化して見える単一なコーディネートが印象的で、他の色と言えばラバーソールのショートエンジニアブーツについている、金具くらいなものだろう。
「まったく、漸く帰国してきた直後だってのに、お偉方も出席する聖夜絢爛祭へ参席しろだなんてな。君も俺と同じで明日から休む隙なんてないんだろう? しっかり身体を休めておかなくても……まあ大丈夫か、ギリーシェ。明日の聖夜絢爛祭の後にも諸々、用件が控えてるんだろう、あまり無茶しない方がいいぞ」
捲し立てるように告げたのは〝氣鍛の匠〟三枝禪祇に相違なかった。隣人のギリーシェは視線を禪祇へ向けたのだろう、フード裡でのことなので禪祇は窺い知ることはできない。
いくら待ったとしても反応は窺えそうも無いので、禪祇は溜息を漏らす。
たとえ禪祇がそんな態度をしたところで、ギリーシェが素っ気ないのはいつものことだ。今すべきこと、それは聖夜絢爛祭のことをどうするか。今年は彼の所属している特装課のレイヴンは初参加だが、禪祇は何回か参加している。中でも強者を決める催しがあるのだが、それに強制参加ということが問題だ。まあそれが嫌で来ていない者も少なからずいるかも知れない。強者の戦闘を見物するだけでも儲けものなので、そんなことはないかも知れないが。
初参加であるレイヴンの皆々様には何もないわけだが、自分たちの有用性について知らしめることが目的の今回は、それだけでもレイヴンには何ら支障がない。たとえ全て勝ち抜いたとしても豪華景品などない、無意味な称号を授与されるだけのさして得のない催しだ。
副産物として厄介な仕事が回されたり、逆に仕事が回されなくなったりするだろうが。
ただこれは祭りなので本気を出す必要性は皆無、それで負傷など愚の骨頂というものだ。
「しかしまあ明日は気楽にやり過ごすことだな、後の仕事に影響が出たら洒落にもならない」
聖夜絢爛祭会場へ辿り着き、受付カウンターで手続きを済ませてその場で二人は別れた。
地下に拵えられている割り当てられた宿泊室へ黒装束の彼は向かっていた。
割り当てられた宿泊室はどうやら相部屋ようだ。この宿泊層は地下一階の一部が個室、その他は相部屋である。個室は主催者と来賓に宛がわれ、この場での主催者は防衛大臣で来賓は各大臣と同業種の著名人、と限られた者だけだ。
さりとて相部屋(相手がいないので実質的には個室)の宿泊室へと赴いた彼は扉を開く。
「あ、数週間ぶり。イギリスはどうだった? 相方さんが過剰に心配してた、立ち上げ処理した後、すぐ君が居なくなったから大変そうで僕としては気の毒だとは思ったけどね」
後ろへ振り返るとそこには、年上の同期で特装課レイヴンの同胞が一人歩み寄ってくる。
相変わらずの素っ気なさを発揮し、相部屋の輩を空気のように扱う。
「つもる話があるなら後にしてくれないか」
イギリスへ一ヶ月の滞在した直後にこの催事なので、時差惚けが無いでもないが特に支障はないのだろう。抜け切れてない時差惚けを湯船に浸かるなりして癒したいのだ。
荷物から着替えなどを取り出して収納スペースへ入れると、外套のギリーコートをハンガーにも掛けず、着たまま彼は着替えなどを手に持ち、相部屋に設けられた脱衣場へ向かうと着ている衣服すべて脱いで脱衣場から隣接した浴室へと入ってゆく。その露わになった彼の艶やかな緑の黒髪が映える身目姿へ誰かが視線を傾けたならば、極自然に歴々(まざまざ)と眼が焼き付き奪われてしまったことだろう。
地下三階には比較的豪奢な共同浴場もあるが、監視カメラや人込みなどの理由で利用のつもりは甚だない、決して共同浴場やこの建物の監視体制が悪いのではなく彼自身がそれに適していないことが悪いのである。
共同浴場は順当に行けば込み合う時間帯なので、男湯にはそれなりに人が込み合っているはずであるため、彼が男湯で視線を独占したであろうことは言うまでもないだろう。年齢からすればどちらの湯に入っても構わない年頃ではあるが、容姿的に浮いてしまうので若干の居心地の悪さが周囲の空気に漂ってしまったことだろう。
まあそれでも湯船に浸かってしまえば、そんな些末なことなど気にならなくなり、何事もなく心身の恢復はそれ程の難もなく行なえたのだろうが。
身体を洗って湯船に約十五分浸かり、脱衣所から彼が戻ると客人が一人増えていた。
先程までとの相似点は気性の大人しそうな青年、遡神黎明は携帯端末でオンラインゲームに興じている。そして相違点と言えば、笄年の少女がそこにはいた。その彼女、邉邊邁逕はレイヴンで黎明のパートナーだ。
部屋に居るだけなら何の問題もない。——のだが、当然そんなことで済むべくもないからである。天敵ではない、ただ毎度なにかにつけて向こうが好き勝手に捲し立てているだけに過ぎないので、天敵とは呼べない……それ以前に敵として成立していないからだ。それでも敢えて彼の天敵と口にするならば、パートナーである少女だろう。今回の聖夜絢爛祭には欠席をしているので、開催中に会うことはないだろうが。
「なに素気なく何事も無かったかの様に澄ませてんの?」
「つもらない話をする気はない、邁逕」
「可愛げのないヤツね、あの子も何でこんなのを可愛がってるんだか」
そんな可愛げのある彼を一度でも見たことがあるだろうか、と黎明は記憶の中を捜る。
失礼かもしれないが、そんな所はお世辞にも一度として無かった。決して悪い奴ではないのだが、ご覧の通りの有様だ。これは単なる挨拶程度に交わしていることとは知っているが、その間に黎明は口を挿む。
「彼はイギリス帰りなんだ、疲れてんだよ。そんなにツンケンしないでやれな、邉邊さん」
「なっ……何で毎回こんなヤツの肩を持つの、黎明。子供だからって甘やかし過ぎ」
「そんなことないって、僕らは仲間だろ。無駄に内部分裂しても意味ないから忠告を——」
定文よろしく忠告を挿み終えた直後、遅蒔きながら黎明は自分が冒した失態に気付く。
若干名、故意について行かない黒装束の彼はいつも通りの澄まし顔である。
決して会話について行けないのではない、意図してついて行く必要もないので適当に流しているのだ。そんなこんなで黎明と邁逕がこれまた多用に見られる掛け合いを終える迄に、特装課レイヴンについて簡略に説明しておくことにしよう。
レイヴンという組織には、匿名な少女の支援により出来た組織である、と言っても強ち間違ってはいないだろう。その少女の年齢はたったの十五歳だと言うのだから驚きだ。その少女から齎された技術により誕生した、科学兵(SPEC)の第一世代〝GIFTH〟で重犯罪者を狩る組織、それが特装課レイヴンに割り当てられた当面の役割である。遡神黎明、邉邊邁逕の二人も当然ながらギフスに含まれているし、彼のパートナーだってそうだ。ギフスがどういった存在であるかは明日になれば自ずと解って来るだろうが……——。
現状この簡素な相部屋の宿泊室には先述した三人の姿、それからゲーム画面のまま放置された携帯端末、そしてたとえ在ったとしても読むことはないだろう書籍の数々が書架に収められている。その光景に変化が生じたのは、責め立てられ終えた黎明が携帯端末でオンラインゲームを再開させ、そして責め立てていた邁逕が彼の方へと向き直ったからだ。
「でさ、イギリスへ行ったんでしょ、アンタ。本場イギリスのロケンロールは聴いてきた? それからあと、白神が怪しげな巨漢に幼女だからって襲われたりしてないよね? 三枝さんと逸れたりしてないかな? イギリスの気候は大丈夫かな? ——って、キモイぐらい心配しててさー。アンタ襲われて危機に瀕したりとかしてない、大丈夫だった?」
「そんな些事なら心配ない、たとえ襲い込まれ様が返り討ちにするだけだ。実際そうしたし」
性別が如何であれ、彼にとって性別は然したる問題ではない、それに気負うほど小心者ではないからだ。それと如何やら邁逕は彼の性別を勝手に勘違いしている節が濃厚であるが、経緯が如何であれ、それは彼にとって意図して仕向けているので正すことはしない。
「——っちぇっ。いけ好かねぇガキだこと」
「それに心配をするなら、せめて現時点では自分だけにしておけ、他より優位に立てない者が他者の心配をしたとして……いや、したところで何の気休めにも誰の徳にもなりはしない」
「能力は明日までとって置こうと思ったけど、やっぱ無理だったわ」
ベッドへ腰を掛けていた邁逕が立ちあがって苛々が積もり積もってゆくのを、彼は傍目で一瞥するに止める。
「こんガキ、人がせっかく精一杯振り絞って出した親切心からの心配を——ッ! アンタに決斗を申し込んでやるわ、今すぐ私と闘いなさいッ!!」
「断固拒否する。闘い合うメリットが見出せない」
「何その澄ました態度、ムカつくんですけど。絶対に哭かす!」
「まあまあ邉邊さん、五歳児にそんな本気にならなくても……」
「二十歳児の黎明は黙ってて、それに五歳児はもう立派に人間として生活してるし、甘やかすのは間違ってるのよ、人生の荒波を少しは経験しておいても何の問題もない。いや、本来はそうあって然るべきなんだわ」
二十歳児って、と黎明は項垂れるが、邁逕たちは気にせず口論を続けている。
特に黒装束の彼は、殊の外どうでも良い態度を終始貫いていた。自分を正当化しようと、邁逕は倫理管理局的な場所が耳にしたら今にも駆けつけてきそうな非道い言葉を並べ立て、外套を羽織った邁逕は彼の腕を掴んで引っ手繰って引っ張り、相部屋の宿泊室を後にする。その後へ続いて黎明が追いかけてゆく。
その目的地は会場の外、何もなく開けた場所で三人は立ち止まった。
劈くような寒さではないものの、気温はマイナス三度前後だろう。事前に邁逕と黎明は体感温度を遮断しておいたので暑さ寒さを感じることはない。下手をすれば身の危険に直結してしまうが、長時間に亘り使用しなければその危険はないだろう。
「試合形式は一本締め、それから当然のことだけど能力以外の武具はなしよ」
では邉邊邁逕の能力は偽眼(人為的な魔眼)に該当し、脆弱を視る〝脆弱綻知〟の能力だ。
この脆弱綻知の能力は偽眼の裡、少数派で邁逕を含めたとしても五人といない。通常のそれらは〝透視慧眼〟や〝未来予言〟などが一般的である。理由は身柄確保が主であるからだ。
「それじゃ始めようか、黎明はしっかりタイムカウントしてね」
「はいはい、じゃあスリーカウントで始めっな。三、二……一——」
カウント二で邁逕は双眸を閉じ、開始と共に開いた、脆弱綻知を使うのだろう。
対する彼は構えているのかどうかさえ、判らないくらいに普段通りだ。そこからのらりくらりと、邁逕の許へ向かって歩いてゆく。腕を構え邁逕はステップを刻みながら彼に迫り、下胸部へ一発、遠心力を以って左脇腹へ左裏回し蹴りを狙う。
その攻撃に余裕を持って紙一重で彼は躱してゆく。
邁逕の偽眼に脆弱性の綻びが視認で知覚できるのと同様に、彼には視聴覚、嗅覚とが混在する〝Horæsthesia〟という共感覚の一種(和名:境感共覚)を保持した共感覚者である。それに戦闘技能だけで言うなら、彼の知っている友人の方が格上で闘い辛いだろう。勿論この聖夜絢爛祭にも参加しており、開幕直後から催される舞踏会ならぬ舞闘会、シュヴァリエで勝ち上がって来るだろうが、今は邁逕の方が最優先事項だ。
そして幾何かの攻防を経た末、バックステップで彼は邁逕との距離を拡げ、そこから独特なステップへ切り替えてゆく。そのステップを急加速で変則的に刻みながら邁逕へと迫る。
————クソッ、黒装束の迷彩効果がウザったい……。
たとえ急加速されたとしても、こんな至近距離では、迷彩効果で邁逕が彼を見失うことはまずないだろう。彼の速度に追いつけない場合は仕方ないが。彼は最後に最大急加速をして拳を腹部へ減り込ませる。
「始めてから約十分か、まあこんなとこだろ」
「あー口惜しい、負けたー。やっぱり闇夜は不利かぁ」
「それは関係ないだろう、暗視戦闘が不得意でもない癖に。そこまで再戦したいなら明日のシュヴァリエで存分にしてくれて構わない。——ま、それはお前が出来るならばの話だが」
今回の戦闘は邁逕の返り討ちということで幕を引き、それぞれの宿泊部屋へ戻った。
その聖夜絢爛祭の当日、中止の報せが届くことをまだ知らない。