第8話 今へと至る物語【前】
城を出た私とラグは、ひとまず件の場所へと向かった。
ワラワヘム。
魔術師協会の総本山。魔術師にとっては『聖域』であり、他の者にとっての『魔窟』、世界の変革を促す、神の臨む場所――。
うーん……聞けば聞くほど分からない。というか、胡散臭いことこの上ない。
「魔術師なんて変わり者が多いですからね。分からないのも当然ですよ」
そうは言うけど、ラグ。貴方もその魔術師の一人なんじゃ……と思ったが、口に出さずに心の中に留めておいた。
目的の場所は、聖国ファルスの城都より馬車で二日ほどの、大きな古い街の中にある。エンデと呼ばれるその街は、白い石壁で造られた建物と、縫うように走る水路の水で美しい色合いを見せていた。
聞けば、宮廷魔術師になる前に、ラグが住んでいた街だという。
ワラワヘムへ勤めるにあたり、住む家は魔術師協会(これも何だか胡散臭いよね)が用意してくれた。高台に建てられた、一階建ての一軒家。白を基調として造られたその家は、なかなかセンスがいい。キッチンやお風呂場もゆったりとしていて、窓からは美しい街並みを見ることができる。
ラグは当たり前のように、今日からここが私達の家ですからね、と言った。
突然の同棲宣言!? いや、一緒に生きようと言われた時から、『いずれはこんな事に』と期待しなかったわけではない、のだが……。
あらためて彼の口から言われると、その、なんというか――凄く照れる。
一人もじもじしている私を横目に、ラグはテキパキと馬車から荷物を降ろし、硬貨の支払いまで済ませていた。この後すぐにワラワヘムへと行かなければならないらしい。
旅の汚れが目立つ服から、綺麗なものに着替えて、彼に連れられるまま家を出る。
途中でお守りのアミュレットを手渡され、必ず身に付けておくように、と言われた。
「魔力の無い者にとってあの場所は危険ですからね。毒の沼地に裸で飛び込むようなものです」
おい、その物騒な例えは何だ? というか、そんな危険な場所なのか。恐るべし魔術師協会。
そんな危険な場所がこの街のどこにあるのだろう、と思いつつ連れて行かれた先は、街の中心部。ひしめきあった街並みの中に、ひっそりと立つ古びた建物だった。
意外にも普通の建物で、拍子抜けしてしまう。もっとこう……近寄りがたくて、ドーンと構えた(表現がアバウトすぎるぞ自分)、威厳のある場所かと思っていたんだけど。興味本位で窓から中を覗くと、ずらりと並んだ本棚が見える。
「図書館と間違えてないよね?」
「ちゃんと看板に書かれているじゃありませんか、ほら」
ラグが指をさす先には、異国情緒に溢れた文字が書かれた木製の看板。
かろうじて、『魔術師』と『こちら』までは読める。
日本語に慣れ親しんだ私にとって、この世界の文字は難しすぎる。なんだ、あの記号のような形は。
言葉を聞けたり話したりできるのは、ラグ特製の『魔術を仕込んだ指輪』があるからで、それがなければこの世界の言葉などほとんど理解できない。
旅の間にラグから教わってはいたものの、覚えられたのは簡単な挨拶程度で、今でも進歩は見られない。
……勉強は苦手だったんだ。特に、語学に関しては。
建物内に入ってみても、特別変わった様子は見られない。古びた図書館、といった雰囲気だ。
ラグは入り口の受付らしき席に座る女性と軽く挨拶を交わし、建物の奥へと進んで行く。そして、一番奥にある大きな扉の前に立つと、私に目配せした。
「この先にワラワヘムがあります」
「この先って……」
「まぁ、入ってみれば分かりますよ」
そう言うなり、ラグは扉を開いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……驚いた。
異世界に来てから何かと驚くことが多すぎて、最近ではちょっとの事じゃ動じなくなっていたけど、これには正直、言葉を失った。
扉の向こうに街が見える。エンデの街並みではない。薄汚れた石造りの建物が詰まるように立ち並び、雑踏は人(もちろん魔術師)で溢れかえっている。道沿いに軒を連ねる店舗のほとんどが魔術関係の品を取り扱っているようで、あちこちから奇妙な呪文が聞こえてくる。
うーん……怪しすぎる。
それにしても、あんな普通の建物の中に、こんな街へと続く扉があったとは。凄いじゃないか、魔術師協会。でも、エンデの街の人達は知っているんだろうか? 一般人にとっては『魔窟』とまで呼ばれる場所が近くにあるなんて知られたら、大変ではないのか?そんなことを訊ねると、
「エンデに住んでいるのは、ほとんどが魔術師ですよ」
成程。それなら問題ないわけだ。
しかし住人のほとんどが魔術師となると、私はかなり浮いてしまうのだろうな。何たって、私は魔力の欠片ほども持ってはいない。ラグは違うけれど、魔術師の中には人を魔力の有る無しで判断する人間もいるらしいから、そういう人達にとって私は透明人間にも等しいというわけだ。
そういう訳ですから、私から離れないでくださいね――と言うラグの手を握って、先へ進む。目指すのは、この通りの先に見える、天まで聳えた巨大な塔だ。あの塔こそが魔術師にとっての聖域、ワラワヘムだという。
いざ、本丸!!
緊張のあまり妙ちきりんな気合を入れる私を連れたまま、ラグは慣れた様子で塔へと向かった。