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第5話  彼という男

 共に旅をしていた頃のラグナ・ラグリーズの印象は、『物事を深く考えない人』だった。

 今でもその印象は変わってはいないが、共に過ごすうちに、彼の本当の姿も垣間見ることができた。

 膨大な知識と、強力な魔術を操る力は、魔法王国と名高いファルスでも群を抜いて優れていた。彼の冷静な判断と決断力には、何度助けられたか分からない。

 天才だと称される魔術の腕に関しても、人知れず努力している事を、私は知っている。


 それから、親しい人間に対しては意外と心を砕く。

 出会った頃は、話しかける事すら出来なかったのに。


 私は幾度となく彼に救われている。

 王子の愛情が偽りだと気付き塞ぎ込んでいたあの頃も、彼は私を励ましてくれた。決して押し付けがましくない、自然な優しさ。それは、空っぽになった私の心を、いつの間にか温かな感情で満たしてくれていた。

 

 そして、そんな優しさに気が付いた時、私の中では既に彼への想いが抑えきれないほど大きく育っていたのである。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇




「梨乃、私の着替えを見るのがそんなに楽しいですか?」


 仕事へ向かう為、身支度を整えていたラグの姿をぼんやりと見つめる私に、そんな声がかかる。

 我に返って首を横に振る。その大きな背中に見惚れていたなんて、言えるはずがない。

 

 魔術師用の、ややゆったりとしたローブを纏う。見慣れた姿だが、ラグにはその格好が一番似合っていると思う。

 首元に絡んだ銀糸のような髪を払い除ける。私の故郷では、滅多に見る事のない髪の色だ。肩よりも少し長いその髪を、慣れた手つきで一つに纏める。チラ、と覗いた首筋からは、目に毒だと思うほどの色香が立ち昇っていた。


 女の私より色気があるって、どうなのよ。

 悔しいような、悲しいような、複雑な気分。


 ……。いや、色気なんてそのうち身に付いてくるものさ。きっと、多分。


 出勤するラグを玄関まで見送る。

 元宮廷魔術師という肩書きを持っている彼の現在の職場は、『ワラワヘム』と呼ばれる魔術師協会の総本山だ。何度説明されても私にとってはチンプンカンプンだが、魔術師にとっては名の知れ渡る場所らしい。とにかく凄いところ、とだけ理解している。


「あまりフラフラと出歩かないで、いい子にしていて下さいね」


 ポンポンと頭を撫でられる。


「私はペットか!?」

「可愛い婚約者ですよ」

「うっ……」


 不意打ちを食らった。その笑顔は反則だぜ。


「……その、さ」

「はい?」

「ラグは、本当に……私でいいの?」


 昨夜、私達は結婚の約束を交わした。晴れて婚約者同士となった私とラグだけど、本当に彼の相手が私なんかでいいのだろうか、と思ってしまう。

 ラグの気持ちを疑っているわけではない。

 ただ、あまりにも幸せすぎて、夢ではないのかと考えてしまうのだ。


「梨乃……昨夜あれだけ愛し合っておいて、今さら何を言っているんですか」

「さらりと変な事を言うなっ」

「まぁ、愛しすぎて最後までできなかったのが辛いところですが」

「だからそういうことを……って、え? 最後まで?」


 んん? どういうことだ?

 そう言えば、途中からの事は私も覚えていない。とにかく必死だったから……って、おい。何を言っているんだ自分。

 およそ玄関先でする会話じゃないぞ、これ。


「覚えていないんですか? 途中で気を失ったじゃないですか、貴女」

「だ、だって、何も考えられなかったんだもん……ラグは意地悪だし……」

「あれだけ可愛い泣き顔を見せておいてお預けさせるほうが、よっぽど意地悪ですよ」

「おあずけって……」


 ど、どうしよう。ここは謝るべきところなのか?

 気を失うほど私を苛めていたことのほうが、よっぽど性質が悪いんじゃないのか?


「と、とにかく、この話はおしまい!!」


 ご近所さんに聞かれたら、なんと思われるやら。

 早く仕事に行きなさいとばかりに、私はラグの荷物を押し付ける。荷物といっても、魔術関係の書物や書類を、大雑把に紐で括ってあるだけなんだけれど。

 ラグはそれを片手で受け取ると、ニヤリと笑って私に詰め寄る。

 海を映したかのような、深い青を湛える瞳。

 私はこの瞳に弱い。この中に、今自分の姿があるのだと思うと、どうしようもなく切ない気持ちになる。


「な、なに?」

「いってらっしゃいのキスは?」

「ええっ!?」


 ベタベタな新婚夫婦のやりとりじゃないか。でも、それが少しだけ嬉しいと感じてしまっている私は、きっと脳味噌まで桃色に染まっているんだろう。

 誰も居ないのに、キョロキョロと辺りを見回す。それから軽く背伸びをして、素早くキスをする。


 いってらっしゃい。


 ――言おうと思って口を開けば、ラグの空いた腕が私を引き寄せて、唇を塞いだ。

 そのまま、長いキス。

 されるがままに受け入れて、頭の中はすっかり蕩けている。


「ん……」

「……このまま続けましょうか?」


 唇を離すと、熱に浮かされた彼の瞳が見える。

 朝からそんな元気は無い、と言っていたのは、一体どこの誰だ。


「仕事に遅れるよ」

「はいはい」

「返事は一回!」


 ふざけ合いながら、玄関を出る。

 私はラグを見送り、彼は軽く手を振って応える。

 遠ざかる背中を見つめながら、本当に奥さんみたいだな……なんて考えて、幸せな気持ちに浸る私であった。


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