第21話 天使と悪魔は紙一重
「ほら、そんな拗ねたお顔をしないで、可愛いベル。しっかりとご挨拶できるでしょう?」
「…………」
「ベル……梨乃さんはラグナのお嫁さんになる方なのよ。喜ばしい事なのに、どうして――」
「あたしは認めておりませんわ」
ひとまず市場より移動した私達は、こちらの方が近いこともあって我が家へとやって来ていた。
リビングに渦巻くのは、気まずい空気。自分の家だというのに、心が休まらない。
私の向かいには、マリベルさんが座っている。そしてその隣には、精巧なビスクドールを思わせる愛らしい少女の姿。綿菓子のようにフワフワとした金髪、白磁のような白い肌、緑色の大きな瞳は長い睫毛に縁取られている。
どこからどう見ても、立派な美少女だ。思わず感嘆のため息が漏れる。
――この可憐な少女が、つい先程までドラゴンに変身していたなど、誰が信じられよう。
「ベル……そんな事を言ってはいけません。ラグナに怒られてしまうわよ?」
「だっておばさま、この人は――」
「ベル。きちんとご挨拶をなさい」
マリベルさんが、有無を言わせない口調で少女をたしなめた。途端に少女は黙り込み、嫌悪感溢れる瞳を私に向けた。
どうやら私は、この子に良い印象を持たれてはいない。というか、嫌われているんだろう。理由は何となく分かる。彼女もラグナが好きなのだ、きっと。
しばしの沈黙が流れる。うう、この空気は苦手だ。
なんとか場を取り繕おうとして、私は笑顔で声をかける。
「えーっと……ベルちゃん、でいいのかな? 梨乃といいます。はじめまして」
「あたしは子供じゃありません。呼び捨てで結構です」
小さく頭を下げると、思い切り睨まれた。
私よりも年下のはずなのに、この凄みはなんだろう。百戦錬磨の傭兵か、いや、猛獣にも似た迫力だ。思わず笑顔が固まってしまった。
少女――ベルは鼻を鳴らすと、嫌々な雰囲気を隠そうともせず私から視線を外した。
「ベルベロッサ・クォーサーと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「はあ。ベルったら、本当に困ったさんね。梨乃さん、気を悪くなさらないでね」
「いや、大丈夫ですけど……マリベルさんとは、どういったご関係で?」
「わたくしの妹の子供ですの。ラグナとは従兄妹にあたります」
「へー……」
ラグナの従兄妹か。しかし彼は養子であるから、血の繋がりは無いのだろう。そんな事を考えながらベルを眺めると、彼女は私の視線に気付き、真正面から睨んできた。そして席から立つと、細い指をこちらに突きつける。
「やっぱり認められません!! この人は、ラグナ兄様のお嫁さんには相応しくない!!」
きっぱりと言われて、私は言葉を詰まらせた。
マリベルさんを見ると、彼女も困り果てたように眉を顰めている。
子供相手に反論なんて、大人気ないとは思う。しかし、私がラグに相応しくないという、その理由をぜひ聞かせて欲しい。私はベルの厳しい視線を真っ向から受けながら、ゆっくりと息を吐いた。
そして口を開いたその瞬間、
「もしやと思っていましたが……市場での騒動は、やはり君の仕業だったようですね、ベルベロッサ」
呆れたようなラグの声に、私の言葉は遮られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ラグナ兄様っ!!」
そう言ってラグに駆け寄るベルの姿は、本当に愛らしい。豪奢な金髪をふんわり揺らして、華奢な腕を目一杯広げて彼に抱きつく。
先程まで猛獣オーラを漂わせていたとは到底思えない。ラグに対してだと、声色も違う。こんなにも態度の使い分けができるとは、恐ろしい少女だ。
キャラ違うだろ!? と突っ込んでやりたいところだが、ラグを見る瞳があまりにも嬉しそうだったので、私は言葉を飲み込んだ。やっぱり彼女は子供なのだ。少しでも張り合おうと思った私が馬鹿だった。
「お元気そうで何よりですが……来るのが随分早いですね」
「一刻も早く兄様にお会いしたくて。だからドラゴンに変身して飛んできたの」
凄いでしょ、と胸を張るベルに、ラグも穏やかな笑みを見せる。
「しかしドラゴンにまで変身できるとは、また腕を上げましたね」
「はい。兄様に誉めていただきたくて頑張ったの!!」
「凄いですね。流石はワラワヘムの最年少魔術師です」
「うふふ」
ベルは恥ずかしそうにはにかみながら、頬を薔薇色に染めている。その様子がとてつもなく可愛くて、微笑ましい気持ちになった。天使だ。ここに天使がいるぞ……!!
「ねえ、兄様。頑張ったご褒美にキスをしてください」
チラ、と私の顔を窺って、一瞬だけ意地の悪い笑みを浮かべる天使。
……訂正させてもらう。やっぱりあの子は天使じゃないな。天使の皮を被った小悪魔だ。
笑顔の裏で苛立ちを募らせる私を横目に、ベルはひたすらキスをせがんでいる。しかしラグは、健気な従妹の頭を優しく撫でると、苦笑いを浮かべて言った。
「君はもう十四歳でしょう。立派な淑女なのですから、簡単に唇を許してはいけません」
「ラグナ兄様……あたしはずっと兄様だけを想っていますのよ? 少しくらい……」
「気持ちは嬉しいですが、私にはもう婚約者がおりますから」
ラグはそう言うと、やんわりとベルの身体を離し、私の元へとやって来た。
それから、ただいま、と言いながら頬に口付けを落とす。
おいおい。このタイミングでキスをするのか。悪魔が激怒していますよ。思い切り睨まれてますよ……!?
「この様子だと、私が紹介しなくてもよさそうですね」
「ラグの従妹だって聞いたけど……もしかして、朝言ってた『紹介したい人』って……」
「ええ、彼女のことです。私の婚約者に、どうしても会いたいと言っていたのですよ」
ラグは頷くと、私だけに聞こえるような小さな声で付け足した。
「ただ、彼女少し気が強いでしょう? 梨乃に会わせる時は、私が注意を払っておこうと思っていたのですが……何事もありませんでした?」
「いやぁ、まあ、何事もなかったと思うよ……」
ドラゴンに襲われかけたり、相応しくない宣言をされたりもしたけど。
何事もなかった。うん、そういう事にしておこう。
「悪い子ではないので、仲良くしてやってください」
「ははは、仲良くね。頑張ってみるよ」
多分、当分の間は無理そうだけど。
私はベルの鋭い視線に晒されながら、力なく答えるのだった。