第16話 貴方にまつわるエトセトラ
夕飯を終えた私は、マリベルさんに案内されてリビングへと移動していた。
なんとあの広い部屋は、食事をとるためだけに使われているらしい。凄い贅沢だ。私が住んでいた後宮の部屋並みだったというのに。
だが、リビングはもっと凄かった。ここは何処のお城ですか? と思うほど。
家具や調度品は、一目見ただけでもアンティーク物だと分かるし、一際目を引く大きな暖炉には精巧な彫刻が施されている。けれども下品な豪華さではなく、嫌味のない上品さが漂う。
今夜は泊まっていきなさい、というアルバートさんの言葉に、私達は甘える事にした。ラグは乗り気ではなかったみたいだけど、久しぶりの我が家だと聞いたので私がほぼ強制的に決めてしまったのだ。
お尻が沈むほどフカフカなソファに座り、マリベルさんが煎れてくれたお茶を飲む。すっきりとしたハーブティー。凄く美味しくて、心がほっとする。
「お味はいかがかしら?」
「美味しいです。でも、ちょっと珍しい香りがします。このお茶、もしかしてマリベルさんが自分でブレンドしたんですか?」
「そうなの。わたくしのお茶を飲むと疲れが取れるって、アルが誉めてくださるから。ラグナも昔、よく飲んでいたのよ」
そう言って笑うマリベルさんは、とても可愛らしい。
ふくよかな頬をバラ色に染めて、幸せそうな顔をしている。こういう年齢の重ね方って素敵だな、なんてぼんやりと思う。
ラグはアルバートさんと仕事の話があるらしく、隣の書室に篭っている。今日の出来事も含め、色々と話しているのだろう。その為、現在私はマリベルさん――つまりラグのお母さんと二人きりなのだ。
うん……流石に少し緊張しているかも。
マリベルさんは、アルバートさんよりも少し濃い茶色の髪の毛を結い上げて、上品でいながらもシンプルなドレスを着ている。
聞けば、上流貴族の出身らしい。なるほど、どうりで身のこなしも洗練されているわけだ。
驚いた事に、アルバートさんとは駆け落ち同然で結婚したという。その頃、まだ無名の魔術師であったアルバートさんとの結婚を、両親や一族に揃って反対されたので、逃げるようにエンデの街へやって来たと言うのだ。
情熱的だな……。まあ、私も人のことは言えないけれど。
マリベルさんの物腰の優しさと丁寧な言葉遣いは、ラグに通じるものがある。血は繋がっていなくとも、やはり親子なのだな。そんな事を考えていたら、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
……お父さん、お母さん、元気かな。
故郷にいる家族を思い出して、心が沈む。
しかし、マリベルさんにそれを悟られないように、私は慌ててハーブティーを煽った。
「あの、もし良かったら、今度このハーブティーの作り方を教えてもらえますか?」
「ええ、喜んで」
「私、お料理はまだ全然ダメなんですけど、お茶だけは美味しいってラグが言ってくれるんです」
「あら。それじゃあ、一緒にお料理も作りましょう。わたくし、娘とお料理をするのが夢だったのよ」
「は、はい!!」
娘、というマリベルさんの言葉に、つい照れてしまう。
そうか……ラグの婚約者ってことは、そのうちお嫁さんになるわけで(当たり前だけど)、マリベルさんとも家族になるわけだ。
嫁と姑なんて言うと、お昼のドラマみたいなドロドロした関係を思わせるけど、マリベルさんとなら上手にやっていけそうな気がする。爽やかな母娘関係が築けそうだ。
嬉しさで口元を綻ばせている私を、マリベルさんの優しい瞳が見つめている。深い緑の、しかしラグにどことなしか似た眼差し。
彼女は暫く黙ったまま私を見ていたが、やがてフワリと柔らかく笑うと、ゆっくりと話し始めた。
「貴女が、ラグナを変えてくれたのね……」
「え?」
私が、ラグを変えた?
不思議そうに首を傾げる私に向かい、マリベルさんは言葉を続ける。
「あの子は昔から優しい子だったけれど、どこか淡白なところがあったの。人との関わりを好まず、心を開けるような人間もいなかった。ラグナが孤児であったことは、聞いているかしら?」
「……はい。以前、彼から聞いたことが」
「あの子はね、本当の両親に捨てられた時の恐怖を、ずっと覚えていたの。また捨てられるんじゃないかって気持ちが、あの子の奔放さを縛り付けていたのでしょうね。今度は捨てられないように、ちゃんといい子にしてるんだ――って、まだ子供だったラグナは言っていたわ」
……そうだったんだ。
初めて聞くラグの子供時代に、私は驚きを隠せなかった。ギュ、と両手を握り締めて、続きを待つ。
「人との関わりを持たないのも、いつか離れていってしまうから……。それなら、最初から関わらない方が楽だって。だからあの子はずっと淡白なまま、笑う事も怒る事もしないで、大人になってしまった……」
幼い頃のラグが、そんな思いを抱いていただなんて。
確かに、出会った頃の彼は、何を考えているのか分からないくらい感情を見せなかったし、自らの事に関しては無口であった。それでも、旅を続けるうちに私達の心は近付いた。助け合って、笑い合って、時には言い争って――そうして今、私達は一緒に生きている。
出来る事なら、過去のラグに会って言ってやりたい。大丈夫だよ、って。貴方を愛してくれる人は、こんなにも沢山いるんだよ、って。苦しくなるぐらい、抱きしめてあげたい。
「でも、今日あの子の顔を久しぶりに見て、とても安心したわ。だって、あんなに生き生きとした表情、はじめて見たから……。貴女の隣にいるラグナが、本当に幸せそうだったから」
「マリベルさん……」
言葉を無くしていると、彼女はまっすぐに私を見て、それから頭を下げた。
「あの子を……ラグナをよろしくお願いしますね、梨乃さん」