第9話 今へと至る物語【後】
遠くからでも全貌を見ることの出来ないその塔は、近くで見上げてみてもやはり圧巻で、気圧されてしまいそうになる。
しかし、こんなに高く造る必要があるのだろうか。頂上にいたっては、雲に隠れて姿さえ見えない。
……いつか言葉をバラバラに別けられても知らないぞ。
そんな事を考えながらぼんやり歩いていると、ラグが小さく笑ってこちらを見ていた。
「さっきから口が開きっぱなしですよ」
「だって、やたらとデカいんだもん。何でこんなに高く造っちゃったの?」
「このワラワヘムは大賢者リューカーンの建造物ですよ。彼は天上の女神に恋をして、彼女に会いに行く為にこの塔を造った、とされていますが……」
「へー……それで、女神とやらには会えたの?」
「塔の建設中に墜ちて亡くなられました」
「ああ、そう……」
大賢者って言われるほどだから相当頭が良かったはずなのに、何でそうなってしまうんだ。本気で女神に会えると思っていたのだろうか。
でも彼女に会いたい一心でこれを造った男気だけは素晴らしい。大賢者様に合掌。
塔の中に入ると、まず広いホールがあり、壁際に沿って扉が幾つも並んでいた。というよりも、それしかなかった。
意外とあっさりした内部構造だ。こんなに高い塔だというのに、階層は一つだけしかないなんて勿体無い。見上げると、吹き抜けになっていて天井が見えない。
「デッドスペースばかりじゃないか。匠に怒られるぞ」
「はい? 何のことです?」
「ううん、何でもない」
私の故郷のテレビ番組の話をしたところで、ラグにはまったく分からないだろう。話したら長くなりそうなので、とりあえず笑って誤魔化しておいた。
広いホールの中を歩き、幾つもある扉のうちの一つに辿り付く。
黒塗りの重厚な扉には、魔術師だけが使う事のできる古代文字が書かれている。勿論、私に読めるはずがない。ゲームのラスボスがいる部屋の扉みたいだ。
ラグは扉を開く前に、私に向かって言った。
「この部屋には、ある危険人物がいます。気を抜かないでくださいね、梨乃」
「えっ、危険人物!?」
ラグが言うからには、相当危ないんだろう……。
私はラグの背に隠れるようにしながら、その中へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いらっしゃ~い、梨乃ちゃ~ん! 会いたかったよ~! うーん、思ったよりも可愛い子じゃないかぁ、うんうん、若い子はいいねやっぱり!! もうね、いつ来てくれるんだろうって、オジサンずっと待っていたんだよぉ~!!」
やたらとテンションの高い男性に抱きしめられて、グリグリと頬ずりをされる。ロマンスグレーを思わせる、気品漂うチョビヒゲが、サワサワと私の肌を撫でる。くすぐったい、っていうか痛い!!
部屋に入るなり、そんな熱烈すぎる歓迎を受けて、私は動く事すらままならない。
……危険人物ってこういうこと!? 危険の意味が違うだろう!!
ラグは、唖然としてされるがまの私を男性から引き離すと、背中に匿う。一気に不機嫌な表情へと変わり、目の前の男性に向けて胡乱な視線を投げた。
「梨乃に何をするんです、この変態」
「ああっ!? ラグナ、何をする!! ずるいぞ、梨乃ちゃんを独り占めするなんて。私だって彼女に会えるのを楽しみにしていたんだ!!」
「うるさいですね。これ以上梨乃に不貞を働くというのなら、奥方に言いつけますよ」
「うっ……!! ひ、卑怯だぞ、ラグナ!!」
ラグの背中で二人の会話を聞きながら、あの人の奥さんは大変そうだな、なんて事を考えてしまった。
「梨乃、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だけど……びっくりした……」
「まったく、とんでもない人ですね貴方は。梨乃に変なトラウマが残ったら、どうしてくれるんですか」
「ええ~、だって~……」
「だって、じゃありません。金輪際、梨乃には触れないで下さい」
ぴしゃりと言われて、男性はシュンと頭を下げた。
この人、見た目は『素敵なオジサマ』といった感じなのに、見た目と性格が一致しない。
「ごめんよ、梨乃ちゃん」
「えっ!?いや、その……大丈夫ですから」
自分よりも明らかに年上のおじさんに、真っ向から謝られるというのは妙な感覚だ。それにしても、この人は一体何者なんだ? ラグと似たようなローブを着ているし、何よりこの場所にいるという事は、この人も魔術師なんだろうけど……。
そんな私の疑問に気が付いたのか、ラグは深いため息をつくと、嫌そうな表情を浮かべながらも男性を紹介してくれた。
「彼はアルバート・ラグリーズ。このワラワヘムを統括している、魔術師たちの長で……」
「そう、私はえらーい大魔術師。そんでもって、ラグナの師匠であーる」
えっへん、と意味も無く胸を張る男性――アルバートさんの姿に、ラグナがぽつりと呟く。
「……認めたくはありませんがね。ちなみに、私の養父でもあります」
「え、ラグのお父さん!?」
「お、お父さん……!! なんという甘美な響きだ、素晴らしいっ!!おお~我が娘よ~!!」
「梨乃、甘やかさないでいいですよ。変態オジサンで十分です」
「えっと、じゃあ……おじ様で」
「そんなっ!? お父さんと呼んでくれて構わないのだよ!?」
……このやりとり、疲れる。
そういえば、以前にラグの身の上話を聞いたことがある。孤児であった彼は、その魔力の強さを認められ魔術師の家に養子に入ったのだと。
この人に育てられたにしては、ラグはまともに成長したんだな。反面教師ってやつだろうか。
でも、ラグの養父ということで、アルバートさんへの印象は一気に良好になった。そうか、この人がラグを育ててくれたんだ……。
彼の家族を前にしてると思ったら、少し緊張してしまった。まだ挨拶も済ませていないことに気付いて、私はおずおずとラグの隣に並び、頭を下げた。
「大崎 梨乃です。ラグには、この世界に来た時から色々とお世話になりました。今回の事でも、助けられてばっかりで……」
私の言葉に、アルバートさんはうんうんと頷くと、少し真面目な態度になって微笑んだ。
まともにしていれば、本当に素敵な人じゃないか。目尻の笑い皺がまぶしいぜ。
「ラグナから色々と聞いてはいたよ。知らぬ世界の為に身を尽くしてくれた君が、これ以上辛い思いをすることはない。これからは私達が、君を全力でお守りしよう……罪滅ぼしにもならないだろうが」
私がこの異世界へ召喚されたのは、このワラワヘムからファルスへの神託があった為だと、ラグはつい先日教えてくれた。だから召喚魔術を使えるラグが城へ召され、私を呼んだのだと。
「あの、あまり気を使って頂かなくても平気です。たしかに、この世界へ来たばかりの頃は、どうして私がこんな目に、って思っていました。でも今は……ラグが側にいてくれるから――」
「梨乃……」
ラグの手を取ると、すぐに強い力で握り返された。ラグがいれば、大丈夫。一人じゃないって感じられるから。
「そうか……ラグナを大切に思ってくれているんだね、ありがとう」
アルバートさんの顔は、まさに親が子を思うそれだった。
この人も、ラグナを大切にしてくれているんだ。そう思ったら、胸のうちが温かいもので満たされた。
「うんうん。この様子なら、孫の顔を見るのもそう遠くはないな!!はっはっはっ!!」
「ええっ!?ま、孫!?」
いい雰囲気だったのに、何だっていきなりそんな所までぶっ飛んでしまうんだ!?
ラグはラグで、
「その事なら任せておいてください」
なんて、しれっとして答えているし。妙なところで話に花を咲かせるな!!
もしかしたらこの二人、案外似た者親子なのかもしれないな……はぁ。
――そしてこの日の夜、気持ちを確かめ合った私とラグは結ばれたのだが……。
彼の口から出る攻め言葉のオンパレードに、『この親にしてこの子あり』という言葉を、私は身をもって実感するはめになったのである。
回想編終了。
ラグとの一夜については『思い出せません!!』と梨乃が申しております(笑)