花が咲くまで初見月。
最初の五文字が浮かばない。
だけど、あとの七文字と五文字はできた。
「――花を見るまで、初見月」
時は元禄二年三月二十七日。
春である。
曽良は、自身の俳諧の師である松尾芭蕉について、今、千住の大橋の袂にいる。
今日、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払い、ここまで舟に乗ってやって来た。
「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」
とは、その際の芭蕉の句である。
それを聞いた曽良は、ならば自分もと頭を捻って呻吟し、その結果が、冒頭の「花を見るまで、初見月」である。
途中、船べりから望んだ川岸で桜の花を見かけ、つい思いついた句である。
まだ完成はしていないが。
「ううむ……」
「どうしましたか、曽良」
先に下船した芭蕉が振り返って心配げな様子でこちらを見てくる。
「いえ」
曽良は頭を掻いて、自分も詠んでみようとしている、苦吟していると芭蕉に告げた。
「せっかく、こうした旅の旅立ちの日に……しかも春に……何か、ふさわしい句を作りたいものだと思って……」
のちに「おくの細道」としてその紀行文が伝わる旅の旅立ちが、この日のこの千住である。
ここから日光街道を北上し、草加を経て、日光へ、その先へと進む。
「つまり……千住から草加までが、いわば武蔵野。そこを過ぎ行けば、特に陸奥へ至れば、そこはもはや外つ国」
「外つ国」
芭蕉は、大げさだな、という表情をする。
だが曽良としては、陸奥へ出るということは、異国の地へ赴くに等しい。
この時代、天下泰平により諸国の往来は活発たるものであったが、やはり個々の人々にとって、遠くの地はそんな認識だったかもしれない。
「だからこそ。こういう旅だからこそ、そういう……江戸に、武蔵野に別れを告げる句を作りたいと」
「そうですか」
そして今日の春の日。
「矢立の初め」(矢立は携帯用の筆と墨壺。つまり、「矢立」を使う「旅」の始まり)として、何か好い句は浮かばないかと曽良は考える。
「何というかこう……この花を見るまで、われわれは待った。旅立ちを。つまり、花を見るまでは初見月だった……」
初見月とは正月のことである。
すなわち、花を見るまで初見月とは、桜の花を見るまでは、自分たちは正月つまり始まりであった……と、曽良は言いたいのである。
「……と、ここまでは思い浮かんだのですが」
そこで曽良は含羞む。
そこからがどうも、うまくいかない。
何となく七文字と五文字は浮かんだのだが、最初の五文字が浮かばない。
芭蕉に弟子入りしたもの、曽良はこういう情景というか情緒を詠うのがうまくない。
どちらかというと観念的なものの方が得意だ。
「旅立ち。始まり。桜の花。武蔵野。別れ。うーん……こういう状況ならば、うまくいくと思ったんですが……」
爾来、曽良は観念的な俳句を詠む傾向がある。
曽良としては、この旅で、自身の句のそういうところを払拭したい。
そういう意味でも、この「初見月」の句に取り組んでいた。
そうして歩むうちにも、路傍の桜の花が目に付く。
「先生はどう思います?」
曽良は師を顧みた。
その芭蕉は道端を流れる小川を見ていた。
時折川の瀬に見え隠れする小魚が目に楽しい。
だが芭蕉はその魚から目を離す。
そして少し考えてから、口を開いた。
「そう気負わなくてもいいんじゃないですか」
のんびりとした口調。
曽良は、いやしかしこれだけの旅をしているのだからと言いつのるが、芭蕉は天を指した。
「たとえば別れ。別れについてですが、こう問いましょう」
芭蕉の指差す先には、鳥が飛んでいた。
啼きながら。
「別れはどこにあるのかな?」
上空を仰ぎ見る曽良は、すぐには答えられなかった。
鳥を見るのに夢中になったからではない。
そんな年齢ではない。
それよりも、芭蕉の問いが虚を突いてきたため、かえって顔を下げることができなかった。
「……どこにあるのでしょう」
「それこそ、曽良がいつも詠んでいる句のような感じに考えれば良いのでは」
観念的でも良いということか。
そう、芭蕉は自身が侘び寂びといったものを重視しているきらいがあるが、他者の句がそうでなくても、けして気にしない。
滑稽に傾いても(むしろそれが従来の俳諧の「流れ」だが)、芭蕉はそれを否定しない。
「別れはどこにあるのかな、か」
曽良はそう独り言ちた。
たしかに、これだけのことだから、これだけのことだからと入れ込み過ぎたのかもしれない。
別れはどこにあるのだろう。
今、武蔵野とは別れつつあるけれど、江戸とはすでに別れた。
ではどこに……。
その時、芭蕉が「では一句」と告げた。
「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」
のちに、「おくの細道」の矢立の初めとして伝わる一句である。
それを聞いて、曽良ははっとした。
そうだ。
別れはどこにでもある。
それこそ観念的かもしれないが。
「花を見るまで初見月。その句の完成、楽しみにしていますよ」
芭蕉はその言葉を落として、また足を運ぶ。
特にああしなさいこうしなさいとは言わない。
その自らの句を手本としなさいとも言わない。
それが芭蕉だ。
今の句も、けして曽良に学べと言っているわけではない。
敢えて言うならば、自らの目指す句の境地、それを睨んで句を詠んだ。
そうすることにより、そうする姿勢を示すことにより、芭蕉は、曽良に己の道を見つけろ、己の道を歩めと示しているのだ。
「……ありがとうございます」
「何、これだけの旅に付き合ってもらうのです。礼には及びません」
芭蕉は微笑み、曽良もまた微笑んだ。
……気がつくと、草加の宿が見えてきた。
だがまだ日が高い。
芭蕉の足は止まらない。
曽良もまた、同じだ。
それを見た芭蕉はつぶやく。
「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」
李白の「春夜宴桃李園序」の文言である。
天地というものは、あらゆるものを迎え、そして送る「宿」であり、光と陰、すなわち「時」とは、百代にも閲する永遠の旅人である、という意である。
芭蕉はそれを気に入っていた。そのことは、彼の手になる「おくの細道」の序文からわかる。
「光陰矢の如し。旅を、つづけましょう」
「……ええ、先生」
曽良と芭蕉は旅をつづける。
武蔵野に別れを告げる。
そう……別れはここにある。
けれどもこれからもある。
花が咲くまでは初見月かもしれないが、光陰はたしかに流れ、旅している。
ならば今はその光陰を惜しみ、旅をつづけよう。
その旅の果てに、求める句があるのかもしれないから。
「あ、先生」
「何ですか」
「さっきの句、思いつきました」
「そうですか」
曽良がその句を詠むと、芭蕉は満足げに笑った。
――月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也
松尾芭蕉「おくの細道」序文より
【了】




