閉まらない引き出し
引き出しが閉まらない。内側で何かがそれを抑えている。俺はその小さな隙間から手を伸ばす。内容物が手首の古傷を擦りひりつく。
大分奥の方で引っ掛かっているようで四苦八苦の末にようやく取り出せた。
腕時計。それほど高くないやつ。ゴム製のベルト、安っぽい針と盤面。埃の舞う空気、光る太陽光にそれを照らす。
いつこの時計が自分の物になったかを俺はよく覚えている。それを思い出して、胸の内が押し固められるような心地になる。
その当時、ずっと模試の間に使っていた腕時計が止まり、母がそれを聞いてプレゼントしてくれた。
拘りが強い自分だったから、それを複雑な気持ちで受け取った。けれど、幼少期から母親からこれというプレゼントの無かった自分にとって、それはこそばゆい温もりを与えてくれた。
その後、俺は親元を離れて、学舎の近くに一人暮らしをし始めた。それからというもの、この腕時計の出番はめっきりと無くなった。
こんな所にあったのか。そう思いながらぼんやりとそれを眺める。
「懐かしいわね」背中越しに母親の声が聞こえる。
「あぁ」
母は俺の顔を見て、心配そうな表情を優しく変化させて、笑う。
「無駄にはならないわよ」
「…………あぁ」
腕時計はすでに動くことは無い。けれど、確かに手の内にある。
俺は止まった腕時計を手首につける。何本もの横に走った古傷が隠れる。
荷物の減った部屋を朝日が強く照らす。大学を辞めた朝。




