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箱の中のロデリック ―The Box―

作者: もーまっと
掲載日:2025/10/13

Ⅰ. 閉じ込められた現在(The Box)


夜気を通さない黒いカーテンに覆われた部屋。そこは、ロデリック・クロースにとって唯一の居場所であり、逃げ場のない監獄だった。


ロデリックは、何度も座り直さなければ尻が沈む、過度に柔らかいソファに浅く座っていた。彼の太もも、それよりも上でも下でもない場所に、フィメル・ゴバニーの手が静かに置かれている。フィメルの満足げな視線が、ロデリックの横顔に吸い付いていた。


「本当にまた来てくれるとは思わなかったわ。今日はありがとう」


フィメルは不気味なほど白すぎる肌を胸元に寄せ、血管を浮かび上がらせながら囁く。ロデリックには行くあてがない。ここしかない。それは彼自身が一番よく分かっていた。


ロデリックの太ももに触れるフィメルの手が、次第に上へと動き出す。距離が縮まるのを感じながら、ロデリックは虚ろな視線を正面の壁に向けた。まるでそこに美しい肖像画がかかっているかのように。それは、現実から逃れる彼の常習的な空想だった。


「僕はいつも来てるだろ……。ここしか居場所はもう無いのだから」


ロデリックがそう言うと、フィメルは確信めいた言葉を投げかけた。


「そうね。もうあなたはどこへも行かないわ」


そして、避けられない口づけ。フィメルの湿った感触が頬に残る。ロデリックはそれを拭うことすらできない。なぜなら、彼は手足を失っているからだ。この広大な屋敷の中で、彼には、この小さな部屋──「箱」の中でしか生きる術がない。


Ⅱ. 途切れた記憶(The Incident)


ロデリックの意識が、一年前のあの日の午後へと引き戻される。


妻、ファニーと、何の変哲もない休日を過ごしていた時、激しい轟音が鳴り響いた。狩猟用のセミオートライフルを乱射する侵入者。「ロデリックは!?」「ロデリックをどこへ隠した!?」と叫ぶ、どこの誰かも分からぬ男の声。


二人は反射的に二階の部屋に駆け上がり、ロデリックはファニーをクローゼットに押し込んだ。彼がそっと廊下を覗き込んだとき、侵入者が叫んだ言葉は「ルーダー」だった。自分の名前ではないことに安堵する一方で、階段を駆け上がってくる足音が迫る。


ロデリックはクローゼットの前に立ち、愚かにも犯人に訴えた。


「ロデリックは俺だ。金が欲しいのか? 金なら幾らでもやる。俺たちが一階へ降りる前に逃げ延びてくれ」


機転を利かせたつもりだった。だが、それはクローゼットの妻の存在を教えてしまうという、致命的なミスだった。


犯人は、ライフルの銃身でロデリックの後頭部を殴りつけ、彼を床に伏させた。次に目を覚ました時、ロデリックの目に映ったのは、犯人に引きずり出され、膝の前に跪かされた妻の姿だった。


ロデリックが何も言えないまま、スローモーションのように、ファニーが犯人の銃身を掴もうと立ち上がった。その瞬間、妻の後頭部から赤い絵の具のようなものが飛び散り、壁に飾ってあった絵画にぶつかって、スッと床へ崩れ落ちた。


豚の腸のようなものが流れ出し、ロデリックはそれを元に戻そうと必死でもがくが、床に達した光景を見て、意識が遠のく──。


目を覚ますと、ロデリックはここにいた。フィメルの屋敷の、この小さな箱の中に。


Ⅲ. 支配と復讐(The Truth)


フィメルはロデリックに対し、彼が錯乱している間に警察へ通報し、死体以外には痕跡を残さず逃走した犯人からロデリックを救った、と説明した。フィメルの家は、周囲に家がないあの新居の一番近い「お隣さん」だった。


「さあ、もう休みましょう。まだあなたはあのことから立ち直れていないわ……」


ロデリックは、自分が二十四時間監視下に置かれていることに気づいていた。フィメルは彼をベッドに横たえ、メイドのペディ・キンスに何かを言いつける。ペディはロデリックを心配そうに覗き込む、ファニーに面影の似た若い女性だった。


フィメルがテレビをつけると、ボクシング中継の音が鳴り響き、そして消える。替わりに、フィメルの男のような唸り声が部屋を満たし、ロデリックを像のような雄叫びとともに解放する。彼は屈辱と無力感に身を震わせる。


事が終わると、フィメルはいつものようにキッチンへ向かう前に、メイドのぺディに飲み物を持って来させる。


「ロデリックはアルコールは飲めないのよ」


フィメルはペディに言い放ち、自身がキッチンへ向かうと、ペディは慌てて後を追う。


そして、ドサッ!と何かが床に倒れる音がした。


やがて、火をつける音と、油の弾ける音が聞こえてくる。フィメルが鍋を持ってきた。手足のないロデリックは、誰かの助けがなければ食事もできない。


「上手くいったのかい?」ロデリックが尋ねる。

「ええ、旨く作れたわ」


フィメルが差し出した鍋の中身を見て、ロデリックは吐き気を催した。それは、頬肉と、白子のように生々しい皺々になった物体。


「今日は活きの良い牝鹿バンビの姿煮よ。ぺディ・キンスは、お姉さんに不幸があったらしくて、暫くお暇させて下さいって、辞めてしまったわ。さっき」


「キンス!? ぺディ……キンス?」


ロデリックは目眩がした。ファニーの旧姓もキンス。ペディはファニーの妹だ。


「ビッキーとベティよ。あそこは年の離れた姉妹がいたのよ。ほんとファニー(滑稽)ね。あの姉妹は」


ロデリックは全てを理解した。あの大きく見開いた暗い瞳が、妹のペディだったこと。妻と揉み合っていた人物が、彼女たちの身内だった可能性。そして、フィメルが自分を救ったのではなく、監禁している事実。


そして、最大の裏切りを思い出す。


「そう言えば、ここへ引っ越したばかりの頃、フィメルは婚約者と住んでいた筈だ。名前は確か……バー・バックスター」


フィメルが微笑む。


「私を命の恩人だとか、大袈裟に取らないでね。それに──浮気をする男は嫌いなの、と事も無げに言い、手足を無くしても男は浮気を出来るものなのね」


ロデリックは、フィメルの婚約者バーと、自分の妻ファニーが浮気関係にあり、フィメルがその事実を知っていたことを悟った。そして、妻を殺した犯人を巡る混乱を利用し、ロデリックをこの「箱」へ閉じ込めたのだ。ぺディもまた、彼女の復讐計画から消された。


ロデリックは、自分がフィメルの手の中にしか生きられない、色を無くした透明な木偶であることを思い出す。


「本当にまた来てくれるとは思わなかったわ。今日はありがとう」

「僕はいつも来てるだろ……。ここしか居場所はもう無いのだから」


ロデリックは完全に色を失った無色透明な生き物として、箱の中へまた返った。フィメルの復讐は、永遠に続く。



──末永く、お幸せに。




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