2. 伯爵の提案
シモンを一旦侍女のアンヌに預ける。伯爵を応接間に通して、自分でお茶と茶菓子の用意をする。実はこの別邸の使用人は最低限にしている。自分の家に使用人を置くぐらいなら、フルール商会の従業員を増やした方がいい。
「新しく出したカフェで提供している紅茶と茶菓子ですの。召し上がってご感想を頂けるとうれしいですわ。」
「おお、これはこれは。リリー自ら、茶を入れてもらって悪いな。これは見たことない茶菓子だが…」
「カステラと言いますの。カフェで一番人気の茶菓子ですのよ。」
実はカステラはこの世界に存在していなかった。だから、私が発案者ということになる。そういえば、今世で初めてカステラを作った時、アベルに味見してもらったっけ。とてもうれしそうに頬張っていたのを思い出して、胸がずきりとした。
「これはうまいな。この紅茶ともよく合うし、人気があるのも頷ける。」
「ありがとうございます。」
「ところでだ。君が出奔してから、あと半年と少しで7年になる。知っていると思うが行方不明届を出されて、7年を過ぎた者は死者として処理される。君の父親は君が失踪してすぐに行方不明届を出した。死亡扱いになると貴族籍が完全に抹消され、本来受け継ぐべき資産、爵位が他の者に譲与される。」
「…はい」
「実は君の母親は侯爵夫人というだけではなく、嫁入りの時に当家の子爵位を叙爵している。彼女が亡くなったとき君はまだ成人していなかったから、この爵位は一旦王家の預かりになっているが、本来の継承者は君、リリアーヌだ。」
離縁する、離縁される可能性も考えてこっそり爵位を"嫁入り道具"にしたのか。もともと両親の結婚は、私の祖父である当時のブロワ侯爵の意向が強かったと聞いている。母の実家、マール家は乗り気でなかったと。父は氷属性だ。氷と水は歴史的に別属性として扱われているが、現在は同じ属性だと考えられている。つまり氷属性の中で魔力が弱く氷魔法が扱えないものが水属性なのだ。確実に氷属性の跡継ぎを得るには、強い魔力を持つものを配偶者に選んだほうがよい。こうして同年代の娘で秀でて魔力が高かった母に白羽の矢が立った。
「あと、うちの倅、パスカルの体調が芳しくないんだ。先日医師にもって一年だと言われた。」
「え…!」
マール伯爵家嫡男、従兄のパスカル兄様は一人っ子だ。小さい頃はよく伯爵邸の庭でかくれんぼをして遊んでもらった。十代の頃にかかった肺病の影響で今もよく体調を崩していると聞いてはいたが、まさかそこまで悪かったとは。
「正直、マール伯爵家当主を倅に引き継ぐのは難しいと考えている。そこでだ。君は風の精霊ヴェントス様と共に大時化から領民を守り、フルール商会を通してこの土地の産業を活性化させている。既に領主以上にこの土地に貢献をしていると感謝しているよ。君になら、いや君にこそマール伯爵位を譲りたい。」
「!!!」
「正式な嫡子指定のためには、君を養子か嫁として迎え入れる必要がある。そのためには貴族籍が必要だ。リリアーヌ ブロワとして名乗り出てもらうことはできないだろうか?」
「うれしいお言葉ありがとうございます。私もこの町、この領を愛しています。しかしながら...」
「ブロワ家のことは心配するな。こちらで何とかする。あの家での妹と君の扱いを連名で抗議すれば問題はないだろう。問題はシモン君の方かな?」
「…はい」
アベルの実家、ボナパルト侯爵家の嫡男はアベルの兄だが、アベルの兄夫妻は結婚して5年以上、跡継ぎに恵まれていない。それにアベルが結婚したという話も聞かない。まあ婿入り予定だったのに、あからさまな浮気をして婚約者が失踪したなんて醜聞があるから、好条件の婿入り先がもう見つからないのかもしれない。最近魔獣討伐で武勇をあげ、当代限りの騎士伯を賜ったと聞いたから、さすがにもう新しい婚約者くらいいると思うけど。ボナパルト家の次代跡継ぎがいないとなると、血族で優秀な子がいれば養子として迎え入れたいと思うだろう。騎士家系なら、戦闘能力が高い火属性で魔力量が高いシモンに目をつける可能性がある。
貴族法に基づく親権調停では魔力の属性が他の項目よりも優先される。強い魔力を持つ児童は、時々体力の方が追い付かず魔力を暴走させるためだ。同じ属性の親なら魔力を吸収して暴走を鎮めることができるが、属性が違うとそうもいかない。実際シモンも私に似て魔力が強い。既に小規模の魔力暴走を何度か起こしたので、仕方なく魔力封じの腕輪を身につけさせている。