妹ばかり可愛がられて歪んだ私は、否定から入る公爵令息と出会った
私には両親に可愛がられた記憶がない。
なぜなら父も母も妹ばかり可愛がったから。
おもちゃを買ってくれたこともないし、勉強を教えてもらったこともないし、家族でピクニックに行く時も私は置いていかれた。
無理もない。だって妹の方が目がぱっちりしていて可愛いし、頭もいいし、要領もいい。
我が家はお世辞にも格が高いとはいえない子爵家。貴族の娘の使命が、優秀で家柄のいい男を見つけることである以上、両親が妹にだけ愛情を注ぐのは当然のことだ。
父からこんなことを言われたこともある。
「ブルネ、なんでお前はフィオーネの姉として生まれてしまったんだろうね。お前のような姉がいると知られると、フィオーネの結婚相手探しにも支障が出るかもしれん。せいぜい妹の足を引っ張らないでくれよ」
娘どころか、邪魔者扱いだ。
いっそ自分の手で自分を……と川に向かったこともあった。
だけど、川で溺れている子を助けちゃって、死ぬこともできなかった。
こうして私は愛されることなく、期待されることなく、無駄に年を取っていった。
この国には『熱い時に曲がった鉄はもう戻らない』ということわざがある。
幼い頃に形成された性格は変わらないから、そこで歪んでしまったらもう直らないという意味だ。
私も15になり、社交界でデビュタントを迎える頃には身も心もすっかり歪んでしまっていた。
こんな私にいい縁談なんか舞い込むわけもなく、私に話しかけてくる男はもれなく――
「フィオーネさんと話せるよう、セッティングしてくれないか?」
「君、フィオーネさんの姉なんだって? ぜひ彼女を紹介してくれ!」
「このラブレターをフィオーネさんに渡してくれ。なかなかチャンスがなくて」
フィオーネも――
「ごめんなさいね、お姉様。お姉様にも少し分けてあげられたらいいのだけど、こればかりは、ねぇ」
こう言った妹の口には得意げな薄い笑みが浮かんでいた。
改めて鏡を見る。
私の髪。くすんだ茶色で、長くボサボサしている。鮮やかなブルネットで、ふわりとした髪質の妹とは大違い。
顔立ち。妹に比べ目は細い、というより険しい。ブラウンの瞳も泥のように濁っている。
表情は暗く、一目で性格が分かる。悪い意味で。
いつしか好んで着るようになった灰色のブラウスが、不思議とよく似合う。
だって灰色って、まるで私の心の中のようなんだもの。
「こんな女と誰が結婚するってのよ」
私は無性におかしくなって、笑った。
目の下に生温かいものがこみ上げたのなんてきっと気のせいだ。
それからも私は夜会にこそ出るものの、話しかけてくる男に対しては、
「私は可愛くもなければ、性格も悪く、この通り歪んでいます。こんな私でよろしければ、結婚しませんか?」
こう言い放つ日々。
いつしか私に話しかけてくる男なんていなくなっていた。
フィオーネはこんな私を見て、ニヤリと笑う。
私はもう、自分の人生を諦めていた。
***
ある日の夜会、灰色のドレスを着た私は一人、壁際でサラダを食べていた。
レタスのシャキシャキとした歯ごたえが心地よい。
私に近づいてくる男は誰もなく、フィオーネの周囲には人が集まっている。いつも通りの光景。
そんな時、視界の端に近づいてくる男がいるのに気づいた。
青みがかったさらりとした耳にかかるほどの黒髪、切れ長な眼、整った鼻筋、白いシャツに青いコートを羽織っている。背は私より頭一つ分は高いだろうか。
私が抱いた第一印象は“いけ好かない”だった。
その瞳はまっすぐで、私のように曲がっていない。さぞ恵まれた人生を送ってきたのでしょうね、と卑屈な気分になる。
こんな男が、私に声をかける用件はほぼ決まっている。
フィオーネに近づきたいのだろう。
「何かご用?」
私はじろりと相手を見る。
すると――
「僕はリヴェル・フューザルと申します。ブルネ・ルマーナさんですね?」
「……ええ、そうですけど」
フューザル家……聞いたことがある。確か公爵の家系だ。
まさか、私が出席できるような夜会で出くわすなんて。驚きはしないけど、意外には思った。
公爵家の令息なら私なんかに頼らなくてもフィオーネにアプローチできるでしょうに。
適当にあしらって追い払おうと思った。
しかし、次に飛んできた言葉にはさすがに驚いた。
「僕と婚約してください」
「……は?」
仮にも貴族令嬢らしからぬ、素っ頓狂な声を出してしまった。
***
私は流されるまま、このリヴェル様と婚約してしまった。
嬉しいか嬉しくないかと問われれば、全然嬉しくない。
なにしろ私自身に彼からアプローチされる覚えがまるでないのだ。
絶対に何かの間違いかイタズラだと思うが、どちらにせよ彼にメリットがなさすぎる。
父も母も「なぜこんな娘に」と困惑していた。
フィオーネに至っては「こんなことあり得ない。お姉様如きにこんないい話が舞い込むなんて」と遠慮のない言葉をぶつけてきたが、その通りすぎて反論しようがない。
とはいえ婚約者は婚約者。
私はデートという名目で、リヴェル様と並んで街を歩く。
そして、思い切って疑問の数々をぶつけてみることにした。
「質問よろしいでしょうか」
「いいとも」
「なぜ私と結婚しようと思ったんです? 何かの間違いじゃないんですか?」
「いや、間違いじゃないよ」
いきなり否定された。
「納得いきませんね。私なんて可愛くありませんし」
「いや、可愛いよ」
「性格も悪いですし」
「いや、性格も素敵だよ」
「私と結婚しても幸せにはなれませんよ?」
「いや、君と結婚すること以上の幸せはないよ」
なんなの、この人。
何を言っても否定から入ってくる。
「私を選んだ理由はあるんですか?」
「もちろん、ある」
あ、そこは肯定するんだ。
「理由を教えてもらえませんか?」
「いや、できれば君自身に思い出してもらいたい」
むぅ、教えてくれないとは。
だけどいくら思い出そうとしても、私はリヴェル様のことを思い出せない。
思い出そうとすればするほど、心当たりがなさすぎて頭がこんがらがる。
絶対解けないパズルをやらされてるようで不愉快にすらなってくる。
「ヒントをくださいませんか?」
「いいよ。ヒントは……川だ」
川、川、川……。
私の人生で川が出てきた場面といえば、やっぱり身投げしようとしたあの時……。
次の瞬間、私は弾けたように全てを思い出した。
「あっ、あんたあの時の!」
思わず“あんた”と言ってしまった。
***
あれは10歳か、11歳ぐらいのことだったか。
フィオーネばかり可愛がられる日々に耐え切れなくなって、私はある大きな川で死のうと思った。
川の中に入ろうと思ったその時、私より早く、一人の男の子が川に飛び込んだ。
「……え?」
私が呆気に取られていると、その男の子は水面でもがき出した。
きっと覚悟を決めて飛び込んだんだろうけど、溺れるのはやっぱり苦しいはず。
だから必死に手足をばたつかせている。
この時、なぜだか私の心に火がついた。
――この子を死なせるわけにはいかない!
私もすかさず飛び込んで、どうにか男の子の体を掴み、川岸まで必死に泳いだ。
男の子は黒髪で、よく見ると可愛らしい顔立ちをしていた。
「まったく、バカなことしてくれちゃって!」
おかげで私が死に損なってしまった。
男の子はゲホゲホと咳き込みつつも、命に別状はないようだ。ひとまずホッとする。
「大丈夫? ほら、ハンカチ。風邪ひくよ」
男の子は泣きそうな顔で、自分の顔をハンカチで拭く。
「うう……」
「なんで死のうとしたの?」
「……」
「私はあなたを助けた。理由を聞く権利ぐらいあるはずよ」
男の子はうなずくと、ゆっくりと語り始めた。
どうやら名家の生まれである彼は、両親から厳しく育てられているみたい。
家を背負わされ、期待をかけられ、将来は立派になれ、大物になれと言われ続ける日々。
そんな毎日に嫌気がさし、死にたくなったという。
期待されていない私からすれば、羨ましい悩みだ。
だけど、期待されていないのと同様、期待されるというのもやはり辛いものがあるのだろう。軽々しく「そんなことで死のうとするな」とは言えなかった。
だから私は――
「そんなに辛いのなら、一つ生きる理由をあげる」
「え?」
「将来、私をお嫁にして!」
完全に思いつきで言った言葉だった。
「いいの?」
私はうなずいた。
「うん。ただし、あんたが結婚できる年になって、私に相手がいなかったらだけどね」
「じゃあ僕、頑張ってすぐ大人になるよ!」
「頑張ってなれるもんじゃないでしょうに……」
こんなやり取りの後、私たちは別れた。
辛いことばかりの毎日の中で、数少ない楽しい出来事といえた。
私はすっかり忘れてたけど、あの時以降私が自分の命を絶とうと思わなくなったのは、このことを心のどこかで覚えていたからかもしれない。
この時の男の子こそ、もちろん――
***
「……思い出しました」
リヴェル様が嬉しそうに笑う。
しかし、私はちっとも嬉しくない。
リヴェル様は両親の期待に応えられるような貴公子になったけど、対する私は……。
「あなたは立派に成長なさったようですね。だけど私は違う。すっかり歪んでしまった。今の私にあなたと結婚する資格はありません」
「いや、それは違う」
また否定するというの。
「僕も成長した君が、もしあの頃に比べ劣化しているなら、僕が惹かれるような女性でなくなっているのなら、婚約など申し込まなかっただろう。僕とてそこまでお人好しでもロマンチストでもない」
それはそう。
貴族は徹底してリアリストであるべき。
幼き日の約束を守るため、不良物件に過ぎない女と結婚するなんて論外だ。
「だが、夜会で成長した君を見た時、僕の気持ちは変わらなかったよ。君の印象は、僕を助けてくれたあの頃のままだ」
見え透いたお世辞に私はカッとなった。
「そんなはずない!」
「いや、そんなはずある」
「あなたの思い込みです!」
「いや、思い込みじゃない」
ことごとく否定される。
「僕とて君について事前に調査はした。君の受けた仕打ちは知っている。両親に突き放され、妹にも下に見られ、誰からも愛されない孤独な日々……。僕を助けてくれたあの日も、もしかしたら君は死のうとしていたんじゃないか?」
私は無言でうつむくという形で、問いにイエスと答えた。
「そんな心境の時だというのに、君は川で溺れる僕を助けてくれた。その上、僕に生きていく理由まで与えてくれた。あの時の君は、僕にとっては本当に天使か女神のように見えた」
私は黙って聞いている。歯が浮くような文句の数々がどこか心地よい。
「あれから数年、君はさらに過酷な日々を過ごしたことだろう。それなのに、今も表舞台から逃げずに社交の世界に身を置き続けている。並みの人間であればこんなことはできない。この僕が断言しよう。君は強く、美しく、そして優しい女性だ。君が自分をどう評価していても、僕は言い切ってみせる」
荒んだ私を、歪み切った私を、否定し、受け入れてくれている。
「君のような傑出した淑女を迎え入れ、フューザル家を発展させるのが僕の使命だ。頼む、協力してくれ!」
体の芯が熱くなるのが分かった。
生まれて初めて、自分に期待をしてくれる、自分を必要としてくれる人に出会えた。
生きててよかった。生まれてよかった。心からそう思った。
あとはただ、自分の心に従うだけ――
「はい……よろしくお願いします」
こうして、私たちは結婚した――
両親は掌を返し、私とフューザル家にすり寄ってきたが、リヴェル様は「あなた方がブルネにしてきたことを僕は決して忘れないだろう」と一刀両断。あの時の青ざめた二人は、少し同情してしまうほどだった。
今後二人は「公爵家を敵に回してしまった」という恐怖を背負って生きていくことになる。
妹フィオーネは「お姉様以上の男を見つけてやる」と躍起になるも、公爵令息以上の男子などそうそう見つかるはずもない。
選り好みをしているうち、言い寄ってきていた男たちも離れていってしまい、今じゃすっかり性格も曲がって、孤独に荒んだ生活をしているそう。
まあ、私たち以外にもルマーナ家の人間はいる。きっと向こうは向こうで上手くやっていくことだろう。
ある日、ふと私は鏡で自分を見た。
そこにはみずみずしい茶髪で、穏やかな目をした、幸せそうな女の子が映っていた。
『熱い時に曲がった鉄はもう戻らない』というけれど、もう一度熱することさえできれば、戻ることだってある。
私は思わず「おめでとう」と言ってあげた。
***
時は流れ――
私ブルネ・フューザルは夫や子供と共に幸せな日々を送っている。
夜、鏡を見る。
夫人としての貫禄はついたけど、その分、肌のつややかさが減ってきたように思う。つねってみても、以前のようなプルンとした感じがしない。
顔のマッサージをしていると、夫が話しかけてきた。
「どうしたんだい、ブルネ」
「いえね、私もあなたと結婚した頃に比べると、だいぶ衰えたかなって感じるの」
「いや、君は今も綺麗だよ」
「そう? 肌なんかほら……」
私が促すと、夫が私の頬を指で触れる。
「いや、とてもスベスベだよ」
「……もう。相変わらず否定してくるんだから」
私たちは笑い合った。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。