歴史の分岐点
手始めにこの世界線の説明、もしも商鞅が魏じゃなくて燕に亡命していたらと言う話です
実際の地名を間違える事があるので注意
時は中国の春秋戦国時代、周王朝から独立した国々が侵略し時には協力して国を復興し、そして同盟を結んで助け合った時代だったがこの時代は秦の嬴政、後の始皇帝が良い人材を登用によって戦国七雄の韓、趙、魏、燕、楚、斉を滅ぼし中華を君臨したこれは初の出来事であるしかし、もしもたった一つの判断が史実と違ったら、当然歴史は変わる。そう、変わるのだ。そうたった今変わる、変わろうとしているのだ、いま商鞅が魏ではなく趙を通り燕に亡命しようとしているのだ。では物語にようこそ
秦国領内、函谷関を通り過ぎたての道にてある一つの趙国の馬車の中で、こう言う会話がされていた。
商鞅様、無事函谷関をお抜きになられました、もう出て来られても大丈夫です。
ガォァラ、もう通り過ぎたのか以外に速いもんだなてっきり秦軍が追いかけて来るのかと思ったが、追いかけて来た気配はなかった。向こうの所で何かしてくれてたのか?
はい、秦を欺く為、一個細工を施しました。一つ目は、そもそもこの馬車は秦国の命令で動いているのです、無断ではないのです。だから、函谷関を簡単に通過でき、秦軍も簡単にこの馬車を止められないのです。
何の命令で?
はい、この馬車は秦王の会合によって趙国の要人を送る馬車であり今日は泊まり明日の晩に帰るので、秦王は、馬車は帰って迎えにこいという命だったので、その帰りに、ついでに商鞅様を連れてこい、と大王様がそうおっしゃりました。
何故。趙王は、何の理由で俺を、呼んだんだ。
詳しくは分かりません、ですが宮中にて、色々な憶測が立てられています、そして、その中で一番信憑性がある噂は、趙国は商鞅様を登用したい訳でもなく、趙国はただの運び屋と言う説が一番宮中で、出回っております。
その噂は趙王が何がしたいのかがあまりわからない登用する訳でもなく、ただの運び屋だったら利益しか思いつかない。
そこなのです商鞅様。その依頼主は、魏、韓、楚、斉、燕の五カ国の内の何れかで宮中は持ちきりです。 ですが商鞅様、候補は実質三つですよね。
ああ、そうだな昔、魏は俺が侵略し、魏の首都安邑を陥落させさらに、魏の領地を黄河の東側に追いやり魏を時代の覇権国から俺が引きずり下ろした。
だから魏は無いと言いたいんだろ。
ええ、その通りです。やはり秦を『東の斉、西の秦』と言わせられる時代を造った商鞅様には分かりますよね。
ああ、後のもう一つは楚だろう。
はい、そうです。理由を聞いてもよろしいでしょうか。
楚は、昔呉起という者がいた、その呉起は俺と同じく、法によって国を創っていこうとしていたしかし、その志半ばで法に恨みを抱いた特権階級の連中に呉起は殺されてしまった。今は呉起が作った法はもう廃れているらしい。だから俺が楚に行くとなったら特権階級の連中にまた不都合が生じてしまうまた、その貴族らを抑えるために王は貴族に対して融和政策をとっているはずだ、だから楚王は俺を連れて来ないはずだ、よって、楚は無いと言う訳だ、趙の遣い。だとするならばもう韓か斉か燕か
宮中でも同じような事が流れていました流石です。
多分だが斉や韓もおそらく無いだろう。
商鞅様理由をお聞かせていただいても良いでしょうか?
ああ、まずは斉、この国は一度乗っ取られた国だ。
姜氏から田氏ですね。
そうだ、斉は田氏の斉になってからはどうやら身内で国の政権を固めているらしい、
そうなのですか、その情報は何処からのですか商鞅様。
おいおい俺が信憑性のある情報とない情報の区別がつかないと思っているのか?趙の遣い
いいえ、滅相もありません。続けてください
俺の食客に斉の事を詳しい奴がいてなそいつからの情報だ。つまり斉王は自分の一族だけで国の高い地位を独占している、だから俺を招待し登用なんて斉王はそんな事するはずが無い。
ごもっともな意見です。では韓はどうなんでしょうか?
これは俺のただの感だが、韓にそもそもそんな度胸なんて無いと感じる、なぜなら韓は絶対に趙と秦、魏には頭を下げていないといけない理由は簡単に韓は滅ぼされてしまうから、趙は提案されたら値を韓の払えない所までに趙は吊り上げるだろう、そして韓はその事に対して反発は出来ないからだ。反発したら戦をするかと言われる恐れがある、だから韓は何も言えなくなる。故に秦、趙、魏とは対等にはなれない、それをやれば返って国が滅びるきっかけをつくる事になるかもしれない。初めてに言ったが韓はそこまでする度胸はないと感じる、だから韓は無い。
成程そういう訳ですか。
という事は商鞅様は燕だと思っていらっしゃるのですか?
そうだな、そう思っているがもしかしたら違うかもしれない。そもそも、趙がただの運び屋という情報自体が正しく無いかもしれないからな。
ゴロ(馬車が止まる音)
商鞅様着いたみたいです。
あっという間だったな。情報を俺に渡してくれて感謝する。
ええ、国の命令に私は従ったまでです。
最後に聞きたいんだが、何故俺を趙の要人の馬車で俺を連れて来たんだ。
それは、その方が速くて都合が良かったからです。
わざわざ商人を買収して俺を連れて行ったら秦軍が追って来て、かえって函谷関を簡単に抜く事が難しくなるだが、正式な馬車だったら秦軍が追って来ずらい上に函谷関を簡単に抜けられるからか。
その通りです。商鞅様
趙王は機転が効く人で良い王だな。
じゃあ俺は行く、じゃあな。
商鞅様、最後に一言よろしいでしょうか。趙でまたお会い出来る日が来ると、私は願っていますよ
商鞅
更新頻度は遅いかもしれませんが頑張って物語を書きますので応援の方をよろしくお願いします。ちなみにここは紀元前338年のせかいです。穆公や桓公は紀元前600年くらいです。穆公と桓公を見て世界観が分かりづらくなった方がいたら申し訳ありませんでした