68.来客ゼロの日々とどら焼き
三十日間連続で来客ゼロ!
そんな不名誉な記録を彷彿とさせるほど、ここ最近、どういうわけか店にお客さんが訪れない。
おかしい……。ついこの間まで、店内には妖精やエルフ、ドワーフたちで賑わっていたというのに。
「いったい、なにが起きているんだろうなあ?」
「にゃあ」
なんとなくラテに問いかけるも、黒猫は自分にはわからないと言いたげに一鳴きして応じて返す。
まったく、ようやく懸念事項を解消できたと思いきや、次から次に頭を悩ませる事態が起きるとは、少しも気が休まらないな。
「ええやんええやん。透も挙式前でいろいろと忙しいやろ? ちっとはゆっくりしたらええやんか」
こちらの悩みなどお構いなしの一言は、もちろん女神クローディアによるもので、自分の役割は終わったと言いたげに、連日、店に足を運んでは酒をたしなんでいる。
「そうは言いますけどね、こっちも生活があるんですから。お金を稼がないと、結婚生活も危ういんですよ」
内心でため息を漏らした俺は、手持ちぶさたをごまかすように食器を磨き始めるのだった。やれやれ、説得工作はなんとかいったんだけどなあ。まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
あ、そうそう。シャーロットも大聖堂も、挙式から、なんとか手を引いてくれることになったのだ。まずはそのことについて話していこうじゃないか。
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エドワード家を尋ねた翌日。
王女シャーロットの住まいを訪問した俺たちは、前の日と同様、クローディアによる説得を試みた。例の、女神様によるありがたいお言葉で説き伏せようというものである。
波乱こそあったものの、エドワード家ではなんとか成功を収めたことで、クローディアは出発前から意気揚々としていたのだが。ここでとんでもないアクシデントが起きてしまう。
『超人気かつ超敬われているから、自分を知らない者はいない』とか豪語していた女神の言葉を裏切るように、シャーロットがクローディアの存在を知らなかったのだ。
もうね、見せてあげたかったよね。空から舞い降りる女神、目をキョトンとさせ、「どちら様ですか?」と呟く王女。明らかに落胆するクローディア。ちょっとかわいそうに思えたからなあ。
とはいえ、そんなことを思っている場合ではなく、どうやって女神だとわかってもらおうか思い悩んでいたところ、タイミング良くシャーロットのお母さん――つまり、国王夫人――が姿を現し、クローディアを認識。
「女神様がそう仰るのでしたら」
と、ギリギリのところでなんとか説き伏せることに成功し、俺たちは胸をなで下ろしながら帰路につけたのだった。
さらに翌日は大聖堂の関係者たちを説得しに向かうことになっていたのだが。……不本意なことに俺は留守番を言いつけられてしまう。
「大変申し上げにくいのですが、大聖堂の関係者たちは透さんを快く思っていないといいますか」
言いよどむエリーに対し、レオノーラはズバリと断言した。
「嫌われているからな、透は」
「はあ? なんでだよ?」
「決まっているだろう? 関係者にしてみたら、敬愛する聖女様と、由緒正しき一角獣騎士団の団長を奪われるようなものだからな。中には恨みを抱く人物がいたとしてもおかしくはないな」
そういえば。
前に関係者が押しかけてきたときも、えらい暴言を吐かれたもんな。好意的に思われないのは仕方ないのかもしれない。
とはいえ、だからといって結婚を諦めるかと聞かれれば、大事な二人を手放せるわけがないだろう、と。
そんなわけでここはひとつ、説得は二人に任せて、俺は愛猫と一緒にカフェを営業しようと思い直した……まではよかったんだけど。
そういう日に限ってお客さんが来ないっ! というか、正しく言うのであれば、クローディアが断酒期間に入ったのと時を同じくして、お客さんは姿を見せなくなってしまったのである。
「えぇ……? なんかやっちゃったかな……? 全然、思い当たる節がないけど……」
「なぁ……?」
ラテと一緒に首をかしげつつ、店内の掃除にいそしんでいた最中、店の扉を開く音が聞こえ、俺は心を弾ませた。
おっ、ついにお客さんか?
……と思いきや、これがイザベラによって遣わされた仕立屋さんだったのだ。
なんでも、「女神様に挙式は譲るけれど、子どもたちが着る礼服とドレスはこちらが用意する」と手配してくれたらしく、その心遣いに感謝を覚えながら、店がすっかり暇なのをいいことに、俺は採寸などをしてもらうのだった。
そのうち、大聖堂からの説得から帰ってきたエリーとレオノーラも加わって、ドレスの完成イメージなどを話し合ったりしていたのだが。
和気あいあいと盛り上がる俺たちをよそに、女神クローディアといえば疲労困憊といった様相で椅子の背もたれに寄りかかり、用意したお茶にも手をつけず、ブツブツと文句をこぼしていた。
「神様を信じる連中ってのは、なんであんなに頭固いねん……。ウチがどんだけ言っても、聞く耳もたへんやんけ……」
なんでも、“女神モード”が解ける寸前まで説得にあたっていたそうで、クローディアがなにか言う度、「我々の神はそれを望んでいない」とか「我々があがめるのはあなたではない」とか反論に遭っていたらしい。そりゃ疲れるわ。
最終的にはエリーとレオノーラが半ば強引に「自分たちが挙式を開く」と言い切って、その場を切り上げたようで、それは果たして説得と言っていいのか、個人的には疑問の余地があるのだが、二人とも問題ないという認識なので、おそらくは大丈夫なのだろう……多分。
……で、三者三様、無事(?)に説得工作を終え、一息つきたいところだったのだけれど。
今度はこちらが主体的に挙式の準備を進めなければならないということで、緑精のレンドがやってきては、翌日以降は披露宴の会場作りに着手することになった。
「キキに頼まれってからよぉ。おれっちもここは一肌脱がせてもらうぜ?」
そう言って、レンドは次々とテーブルやら椅子やらを作っていくのだが、これを森の中にある広場に運び込むのは俺の役割で。
まだ招待状を送っていないにもかかわらず、俺は全体のバランスを図りながら、調度品を配置していくのだった。
もちろん、店の営業を休むわけにはいかないので、並行して作業を行っていったのだけど。
相変わらず、どういうわけか、お客さんがこないのである。十日過ぎても、二十日過ぎても。いや、マジでなんで? 意味がわからないんだけど?
提供しているメニューには自信を持っているし、それは、みんなにも受け入れられてきたはずなのだ。いまさらどうして感が拭えない。
「ただいま戻りました」
「帰ったぞ……む? 相変わらずの閑古鳥か?」
思考を巡らせる中、姿を見せたのはエドワード家に出かけていたエリーとレオノーラで、来客がないことを知っている二人は、それぞれの表現で俺を励ますのだった。
「大丈夫ですよ、透さん。たぶん、皆さん忙しいだけだと思いますよ? だって、透さんの作るお料理やお菓子は、どれも絶品なんですから。そのうち、お客さんも戻ってきますよ」
「そうだぞ、透。客が来なかったら来なかったで、私が代わりに食べるからな。食材が余る心配なんてしなくてもいいんだぞ」
って、言われてもねえ……? こちらは過去のトラウマが残っているわけで。安心してと言われても、不安しかないのが正直なところなのだ。
それに、めでたい挙式前にこんな事態が起きているのもよくない。吉日の前なのだから、それに向かって気分を盛り上げていきたいのに、こんな状況だと、かえって落ち込んでしまうじゃないか。
「そんな時こそ、なんか美味いもん作ったらええやないの」
梅酒を喉に流し込みながら、クローディアが呟く。
「三人とも、お腹空いとるんちゃうか? 空腹やと悪いことばっかり考えてまうで?」
「まあ、仰ることはわかりますが」
「だったらなんか食うたほうがええ。お腹が満たされたら、自然と考えも上向きになるっちゅうもんや」
珍しく、まともなことを言うなと感心を覚えつつも、夕飯とするには時間的にまだ早い。
食べるならおやつぐらいかなあと考えた俺は、来客がなかった時に仕込んでいたものを活かすべく、お菓子作りに取りかかった。
***
仕込んでいたもの、それは、あんこである。
以前、あんバターコッペパンが好評だったので、あんこは受け入れられると確信していたのだが、洋菓子ばかり作っていたため、あんこを炊く機会を逃してしまっていたのだ。
とはいえ、たまには和菓子も食べたい。そんなわけで、今日はどら焼きを作っていこう。
あんこの炊き方は以前作ったものと同じだ。
渋切りをした小豆を鍋に入れじっくりと火にかける。豆が柔らかくなってきたら砂糖とひとつまみの塩を加え、煮汁がなくなるまで炊き上げよう。粗熱が取れたら、あんこは完成だ。
次にどら焼きの生地を作る。
ボウルに卵と砂糖を入れてよく混ぜたら、蜂蜜を加えさらに混ぜ合わせる。そこに振るった小麦粉と重曹を入れて混ぜ合わせたら、馴染ませるために生地を休ませる。
休ませた生地に水を加え、さらに混ぜ合わせよう。これで下準備が完成だ。
フライパンを弱火にかけ、油を敷き、丸くなるよう生地を流し入れる。焦げないように気をつけながら両面を焼き上げ、布巾の上で熱を取ろう。この時に、水分が蒸発しないよう、濡れた布巾を上からかぶせておくのだ。
完全に熱が取れたら生地を手に取り、あんこをたっぷりと塗っていく。これを生地で挟んだら、どら焼きの完成だ!
***
「ん~~~……。生地はしっとり……。それでいて、ほどよい甘みのあんこがたまらないですねえ……」
すっかりあんこに夢中といった感じのエリーは、恍惚の表情でどらやきを味わっている。
「甘く煮たお豆のお菓子なんて、ちょっと前まで想像もできなかったのに、いまじゃ大好物ですから。つくづく不思議ですよねえ」
「む? そうだったのかエリー? 食べず嫌いは良くないが、もし厳しいようだったら、私がエリーの分も食べるから心配しないでくれ」
こちらはガツガツという表現にふさわしい勢いで、どら焼きを食べ進めるレオノーラ。途中、紅茶で喉を潤しながら再びどら焼きを手に取る様を、エリーは呆れたように見つめるのだった。
「ちょっと前までって言ったでしょう?」
「そうだったか?」
「もう、人の話はちゃんと聞いてよ」
「アッハッハ、相変わらず賑やかでええなあ」
こちらはあんこをはじめて食べる女神クローディアで、どら焼きと梅酒を交互に口に運んでは、「このマリアージュがたまらんな」と感想を漏らした。
「たまには甘いモンをつまみに、酒を楽しむのもええもんやねえ」
「甘いものだろうが、しょっぱいものだろうが、いつも変わらず酒を飲んでるじゃないですか」
「そうやったっけか?」
再び笑い声を上げる女神を見ながら、俺はどら焼きを口に運んだ。賑やかな光景と優しい甘みが、心を穏やかなものに変えていく。
そんな時である。
窓辺に妖精のキキが姿を見せたかと思いきや、店内に入ってきたかと思うと、挨拶もそこそこに切り上げ、なにやらクローディアに耳打ちしてみせる。
「……ふむふむ。なるほど、ご苦労やったな。ほかの妖精にもよろしく伝えてや」
クローディアがそう言うと、キキはうやうやしく頭を下げ、再び空の彼方へと飛び去ってしまう。
いまのは何だっただろうかと思うより先に、女神クローディアはこちらに向き直り、そしてとんでもないことを言い始めた。
「自分らの結婚式やけど」
「はい」
「明日、執り行うからな」
「……はい?」




