64.鍛錬とヤングコーンのフリット
……で、それからどうなったかといえば、この翌日からクローディアは姿を消したわけだ。
正確に言えば「女神として、ちぃっとばかし鍛錬を積んでくるわあ」ということなので、ある程度の日時が経てば戻ってくるのだろうけれど。
そもそも、すでに女神という立場なのに、女神としての鍛錬を積むというのがよくわからないんだよなとか、いろいろとツッコみたい気持ちをなんとか抑えながら、俺たちはクローディアを見送ったのだった。
店にちょっとした異変が起きたのは、クローディアの不在と時を同じくしてのことである。
それまで、毎朝、店で朝食を摂っていた妖精たちが、揃って姿を見せなくなったのだ。
最初はクローディアの鍛錬に妖精たちが同行しているのだろうかとか考えたんだけど、エリーによれば、「その可能性は低いと思います」……だそうだ。
「女神様に従っているとはいえ、それは束縛を意味するものではありません。そもそも、妖精たちは自由に行動できますから」
「そういうものか?」
「ええ。ですので、私も妖精たちが姿を見せなくなったことが不思議なのですけれど」
小首をかしげてエリーは聖女の勤めに出かけていくのだった。……うーん、やっぱりクローディアについて行ったんじゃないか? 他の妖精たちはどうかわからないけれど、キキなんてクローディアを崇拝しているしさ。
ちらりと店の片隅に視線を移せば、カウンターに寝そべり、大きなあくびをしている黒猫が見える。妖精たちと仲良くしているラテも、この数日間は話し相手がいなくて退屈しているのか、暇を持て余しているようだ。
「ラテはなにか聞いてないか?」
「んなう?」
「キキたちがどこかお出かけしているとかさ?」
「んにゃー?」
知るわけがないといった面持ちの愛猫である。俺はラテの頭を撫でながら、開店準備を始めるのだった。
***
それからさらに三日が経過した。
相変わらずクローディアは戻ってこないし、妖精たちも姿を見せない。……やっぱり、女神の鍛錬とやらに付き合っているんじゃないのか、これ?
いや、同行しているなら同行しているでいいんだけど、個人的には鍛錬中のクローディアと連絡を取ってもらおうと考えていたので、揃っていなくなってしまうのはちょっと困るというか……。
だってほら、クローディアが結婚式について説得してくれるのはいいとして、だ。
あまりに時間が経ってしまうと、向こう側も準備を進めてしまうのではないかという懸念があってだね?
いまのところはエリーとレオノーラがそれぞれ時間を稼いでくれているし、俺も俺でシャーロットからの使者に「もう少し待ってほしい」と伝えているけれど、それも限界があるわけだ。
せめてクローディアの鍛錬がどういう状況なのかを把握するためにも、妖精たちには戻ってきてもらいたいんだけどなあ。
「にゃう?」
ラテが鳴き声を上げたのは、そんなことを考えていた時だった。頭上の耳をぴょこぴょこと動かし、カウンターから地面に飛び降りては、店の扉へと向かってとことこ歩き出す。
「んなーう」
お客さんがきたぞと言いたげな声に、俺は慌てて後を追うと、慎重に扉を開けるのだった。
「と、透さん。こ、こんにちは」
そこには背中に生えた四本の羽を動かしながら空中を漂う、薄緑色をしたショートヘアの妖精がいて、両手に緑色をした物体を抱えながらニッコリと微笑むその姿に、俺は心から安堵を覚えるのだった。
「キキじゃないか! 突然、姿を見せなくなったから心配していたんだぞ」
「んにゃう、にゃああ」
「ご、ゴメンナサイ。と、透さん、ラテさんにも心配をおかけしてしまったようで……」
「いやいや、無事なら良かった」
そう言って、俺はキキを店内に招き入れながら、どうして妖精たちが姿を消したのかを尋ねたのだけれど、帰ってきたのは不明確な返答だけだった。
「え、えっと、そ、それはですね……。な、なんといいますか」
「やっぱりクローディアの鍛錬とやらに付き合っていたとか?」
「い、いえ。そうではなくて。め、女神様からご指示があって、みんないろいろなところに行っているというか」
「いろいろなところ?」
こちらが聞き返すと、キキははっとしたように口元を押さえた。言ってはいけないことを言ってしまったと表情全体で語っており、どうしようかと心の底から狼狽えるその様子を気の毒に思った俺は、深く掘り下げたい気持ちを抑え、それとなく話題を転じるのだった。
「そういえば、クローディアが『鍛錬を積む』とか言っていたけど、キキたちはクローディアが何をしているのか知っているのか?」
「……え? え、ええ。そ、それはもちろん」
「いったい、なにをしてるんだ? まさか滝行とか、そういうのじゃないよな?」
「め、女神様が仰るには『酒を抜く』と」
「……はい?」
「な、なんといいますか、お酒を飲み過ぎると“女神モード”が発動できないとかなんとか……」
……あんの駄女神っ、やっぱり酒の飲み過ぎが“女神モード”になれない原因だったんじゃないかっ!
たんなる断酒生活を鍛錬だなんて、よくもまあ……と、そこまで考えて、ハッとなった。
よくよく考えれば、クローディアは酒浸りの生活を送ってきたわけで、それを考えれば彼女にとっては断酒生活も鍛錬のひとつになるのではないか?
いやいや、甘やかすのも良くないな。一応はあれでも女神なんだし、信仰する人がいなくなっても困る。これからは店に来ても、お酒の量を控えてもらおう。
「で、でもでも、女神様はとても頑張っておられて」
フォローするように口を開いたキキはカウンターに置かれている、持参した緑色の物体を指し示した。
「め、女神様が鍛錬を積み重ねているおかげで、せ、聖域にも新たな作物が実るようになったのです。と、透さんなら、美味しい料理にできるのではと思ってお持ちしたのですが……」
そう言われて、俺は緑色をした物体を手に取った。……とは言っても、これはどこからどう見ても、とうもろこしが小さくなったものとしか考えられないわけで……。
妖精サイズのとうもろこしでもできたのかなと思いながらも緑色の皮をめくり、ほんのり白い身の部分が姿を見せると、俺はようやくこの野菜の存在を思い出した。
「ヤングコーンだ、これ!」
「や、やんぐ、こーん? ですか……?」
なんてこった、普通のとうもろこしが食べられるよりも前にヤングコーンが食べられるとは……!?
ていうか、ちょっと待てよ? ヤングコーンってとうもろこしと同じ株からできるはずだから、このまま育てれば普通にとうもろこしが食べられるのでは?
そう思った俺は、真相を確かめるためにも、キキとラテを伴って聖域へ向かうのだった。
***
結論から言おう。とうもろこしが育つ気配は皆無だった。
もう、揃いも揃って、ヤングコーンから生長する兆しが見られないの。それはもう見事なまでに、統一された大きさのヤングコーンが実っておりましてね……。
あるいはこのままある程度の時間が経過すれば、とうもろこしになる可能性があるのかもしれないけれど、枯れてダメになってしまう可能性だってあるわけだ。
それならいっそ、美味しく食べられるうちにいただいてしまおうじゃないかと思い直した俺は、いくつかのヤングコーンを収穫すると、店に戻り、調理に取りかかることにした。
理想を言えば。
炭火で皮を焦げるまで焼いたヤングコーンの身の部分だけ取り出して、パラリと塩を振りかけたら、ホクホクでシャクシャクの食感を楽しみながら、キンキンに冷えたビールをきゅーっと喉に流し込みたいところなんだけど。
あいにく冷えたビールはないし、クローディアに酒を控えるよう考えていた手前、俺だけ酒を楽しむのはなんだか悪い気がする。
ここはひとつ、食事にもぴったりな一品を作ろうと思い直した俺は、あらためて下ごしらえに移った。
***
ヤングコーンは皮をむき、ひげの部分を取り除いて水洗いしたら、ザルにあけて水気を切っておく。
その間に衣を作ろう。
ボウルに小麦粉、牛乳、卵黄を加えてよく混ぜる。なめらかになるまで混ぜ合わせたら、別のボウルでメレンゲを作るのだ。
卵白に塩を加えて角が立つまでよく混ぜ合わせたら、小麦粉で作った生地に加え、さっくりと混ぜ合わせる。メレンゲが潰れないように気をつけよう。
鍋にたっぷりのオリーブオイルを入れて熱しておく。混ぜ合わせた生地にヤングコーンをくぐらせて、オリーブオイルで揚げていくのだ。
全体がこんがりときつね色になれば、揚げ上がりの目安である。油をよく切り、皿に盛り付け、塩とトマトソースを添えたら、ヤングコーンのフリットが完成だ!
***
「はふ、はふはふっ。と、透さん、このお野菜、とっても美味しいですねっ」
小さくカットしたフリットを両手に抱えて頬張りながら、キキは満足げな吐息を漏らす。
「こ、衣はふんわりしているのに、中はシャクシャクしていて……。た、食べていて楽しいですっ!」
「うん。ヤングコーンはこの食感が醍醐味みたいなところがあるからね」
「と、トマトソースともよく合います、さっぱりとした味がアクセントになっていいですねっ」
美味しい美味しいと食べ進めるキキを見ながら、俺は、エリーとレオノーラのためにも、もう少しヤングコーンを収穫しておくべきだったなと後悔した。試食しないと味がどうかわからなかったからなあ、またあとで採りに行くとしよう。
「みゃあみゃあ」
「ん? ラテもヤングコーン食べたいのか? 少しぐらいだったら、猫が食べても大丈夫だろうし、茹でたのを用意しようかな」
「ふ、ふふふ、ラテさんも一緒に食べられるね」
「にゃー!」
キッチンに足を運んだ俺は、鍋を火にかけながら、満足げにフリットを頬張る妖精に視線をやった。
「なあ、キキ」
「は、はい」
「食べ終えたらでいいんだけどさ、ちょっとクローディアのところまで行ってくれないか? 連絡を取りたいんだ」
結婚式について説得の件があるのだ。酒を抜くにしても、あとどのぐらいかかるのか知っておきたい。それによっては、さらに時間を稼ぐ必要も出てくるし。
「わ、わかりましたっ。で、では、女神様にもそのようにお伝え……」
「その必要はありません」
キキの言葉を遮るように、店内に聞き覚えのある声が響き渡る。同時にラテは窓辺に移動すると、空を見上げ、驚いたように「にゃっ!」とひと鳴きするのだった。
愛猫につられてキッチンを抜け出した俺は、窓から見える光景に、思わずあんぐりを口を開けた。
女神クローディアが、キラキラとした光の粒をまといつつ、空から舞い降りてきたのである。




