63.挙式問題と燻製魚のサンドイッチ(後編)
「委ねられても困るんですけどっ!!」
帰宅早々、頭を抱えて叫んだ俺は、カウンターに突っ伏して途方に暮れていた。まったく、こんなことは言いたくないけれど、立場がどうとか、権力がどうとかどうでもいいし、心の底から面倒くさいっ!
「スミマセン……。大聖堂が勝手を言って……」
「いや、それで言うならウチの家もだな。まさか、王族のシャーロットが名乗りを上げるとは意外だったが」
エリーとレオノーラが申し訳なさそうに呟いては、こちらと同じく、途方に暮れたように椅子へ腰かけている。
店内を困惑と当惑が支配する中、沈黙を打ち破るかのように、とある人物がアルコールのもやを漂わせながら口を開いた。
「どうやらお困りのようやなあ。事情を察するに、これはウチの出番やなっ!」
女神クローディアは特徴的な糸目を見開き、得意げに席を立ったものの、俺はといえば無感動に応じるしかないわけだ。
「……いたんですか、クローディア」
「最初からいたわいっ! なんやもう、透ってば、最近、ウチの扱いが雑になってきてへんか?」
「そんなことはないですけど」
「いいや、ある! まったく、ウチのことをかまってくれるんはラテだけやで。なあ、ラテ?」
「にゃあ?」
「おお、よしよし。どや、ラテも赤ワインいっとくか?」
「やめてください。……で? なにがどうしてクローディアの出番ってことになるんです?」
問いかける俺に、クローディアは黒猫を抱きかかえながら応じるのだった。
「そもそもやな。結局はお互いの立場が拮抗しているからこそ、見栄の張り合いや権力争いが生じるワケや」
「まあ、そうなりますね」
「ちうことは、や。それよりも上の立場が挙式を主催するいうたら、三者とも身を引かざるを得ないやろ?」
おっしゃることはまさしく正論だけど……。三者三様、そうとうに高い地位にあるところだぞ? これより高い立場にいる人なんて。
「おるやん」
「どこに?」
「目の前に」
「……はい?」
「ウチのことやんかあ。言わせんといてよ、もう」
その言葉を聞いた俺は、ワイン瓶に入っている残りの量をまじまじと眺め、それから再びクローディアへと視線を移した。
「酔っ払うにしては、今日はまだ酒の量が控えめですが……」
「誰が酔うとんのや。ええか、真面目な話をしてるんやで?」
つまり、いわゆる上位存在である女神クローディアは、国中にその名が知れ渡っているだけでなく、人々からの信仰心も厚い。
権力という言葉でははかれないカリスマ性を持ち、そんな女神が、俺たちの挙式を執り行うとなれば、三者とも身を引くしかないだろう。……と、そういうことらしい。
「本当かなあ……」
自信満々に言われたところで、疑問の眼差しを向けざるを得ない。
「ちょ、マジもマジやって! 透も知ってるやん。“女神モード”のウチが、めっちゃ神々しいの」
……女神モード? あー、妖精のキキに連れられて、クローディアと初めて会ったときの“外面”のことか。
確かに、神秘という名の見えない毛皮を何枚も羽織っておりましたね、あの時のクローディアは。
でもなあ、いまじゃ単なる酒乱としか思えないけどな。ボリボリとお腹をかきむしりながら、酒をかっくらう駄女神だもん。
「なんやねん、もうー! そんなん透の前だけでしかせえへんもん! 他の人間の前やったら、神様としてちゃんと振る舞えるもん!」
だからこそ、ここはひとつ自分に任させて欲しいと、俺の服をつかみながらクローディアは訴える。
「お任せしたいのはやまやまですけどね。本当に皆の前で“女神モード”になることができるんですか?」
なにせ、外面状態のクローディアにはしばらくお目にかかっていないのだ。三者を説得するにも、ちゃんと神様として振る舞ってもらわないと困る。酒乱状態など、もってのほかなのだ。
「ふーんだ。そこまで言うなら、ウチの本当の姿っちうんを見せてやろうやないの」
こほんと咳払いしたクローディアは、姿勢を正し、それから瞳を閉じて集中し始めた。
あたりが静寂に包まれる中、やがて数十秒に及ぶ沈黙の時間が流れると、やがてクローディアはかっと瞳を見開くのだった。
「……“女神モード”ってどうやるんやったっけ?」
「さよなら」
「ああん! 違うの! これは違うの!」
「なにが違うんです?」
「……ええっと、そう! お腹がすいているから! お腹がすいているから力が出えへんやっただけやもん! なんか美味しいもん食べさせてくれたら、ちゃんと“女神モード”ができるから!」
なおも疑いの眼差しを向ける俺だが、エリーとレオノーラはクローディアに同調する。
「透さん、現状では女神様のご提案が一番の解決策だと思います」
「うん。いずれにせよ、このままだと禍根を残すだけだ。ここはクローディアを信じてみようじゃないか」
ウルウルと瞳をにじませるクローディアを見ながら、二人がそこまで言うのならと、俺はため息交じりで立ち上がり、女神が真の力を発揮できるための料理を作るべく、キッチンへと足を運ぶのだった。
***
今日は魚の燻製を作っていきたい。
実を言うとイザベラから養殖魚がいくつか送られており、長期保存をかねて燻製にしようと下準備を進めていたのだった。まずはその手順を説明しよう。
最初に調理液を作る。鍋に水、塩、香草類を加えて沸騰させてから冷ましておくのだ。いわゆるソミュール液というやつである。
熱が取れるまでの間に、魚の下ごしらえに移ろう。
淡水魚は内臓を取り除いてから、独特の匂いを取り除くため、水でよく洗い流しておく。調理液に投入したら、そのまま一晩放置しよう。
一晩経ったら、魚を調理液から取り出して、再び水で洗い流す。水気をよく拭き取ったら天日干しにして、水分を取り除くのだ。干しすぎてしまうと、カラカラになってしまうので、様子を見ながら水分量を調整したい。
燻製機は陶器製のものが物置の奥深くにあったのを見つけたので、これを使うことにする。元々は女神クローディアへの奉納物なので、有効活用させてもらおう。
燻製機の底にウッドチップを敷き詰め、火をつけたら、金網を乗せる。そこに川魚を敷き詰めて蓋をし、しばらく燻すのだ。
しばらく経ったら完成……なんだけど。今日はもう一手間加えたい。燻製した魚でサンドイッチを作るのだ。
丸パンを横半分にカットして、焼き色をつけたらバターを塗っておく。
お手製のマヨネーズと卵でタルタルソースを作ったら、聖女エリーの畑で収穫した、生で食べられるレタスをちぎって水洗いしておこう。
片面のパンの上に燻製した魚、たっぷりのレタス、それに負けない量のタルタルソースを順に乗せていき、もう片面のパンを乗せたら、軽く押しつぶして形を整える。
食べやすいようにカットしたら、燻製魚のサンドイッチの完成だ!
***
「んっ!!!! うっまー!!!! なんやこれ!? めちゃくちゃ美味いやんけ!」
タルタルソースを口の端につけながら、興奮した様子でクローディアは続ける。
「燻製した魚は食べたことあるけど……。なんていうの、旨味が次々と押し寄せてくるっちゅうか。アカン……! 止まらんわ!」
タルタルソースが口の周りにべったりとついていることなど、もはやお構いなしとばかりにクローディアはサンドウィッチを夢中で頬張った。
「これだけ濃厚なソースがあるのに、魚の旨味が負けていないのはすごいですね。味がぎゅっと濃縮されているというか」
そう言ってエリーは上品にナプキンで口を拭いながら、サンドイッチを食べ進めている。一方、タルタルソースが周りにつく心配もないほど、大きな口を開けてサンドイッチを放り込んでいるのはレオノーラだ。
「ほほー、ほほほ、ほほほほー」
「……口にものが入った状態で喋ろうとするな。飲み込んでから話しなさい」
「……ごくん。いや、透。これはものすごく美味しいぞ。濃厚なのにあっさり食べられるのが実に不思議だ」
「ああ、レタスのおかげだね。みずみずしい野菜があると、アクセントになっていいよなあ」
「アカン……、これはアカンで、透」
しばらくの間、サンドイッチの虜になっていたクローディアは、わなわなと身体を震わせた。
「なにがまずいんです?」
「めっちゃ白ワイン飲みたくなってきた。この料理に白ワインあわせんで、どないせえっちゅう話やんか」
「……料理だけ食べたいという話では」
「ええやーん! 美味しい料理を前にしたら、そりゃ酒も飲みたくなるやんかー! な? な???」
……まあ、もう赤ワイン飲んじゃってるしな、この人。いまさら白ワイン追加したところでどうってことないだろうと、俺は白ワインの瓶を取り出しては、グラスに透明な液体を注ぐのだった。
「やったー! 透、愛してんで!」
「はいはい。というか、これで本当に“女神モード”とやらになれるんですか?」
「任せとき! バッチリや!」
白ワインを水のように喉へ流し込むクローディアの様子を見ながら、俺は一抹の不安を覚えたものの、こうなった以上は任せるほかにないわけで……。
どこにも角が立つことなく、丸く収まってくれるといいんだけどなあ。果たして、どうなることやら。




