62.挙式問題と燻製魚のサンドイッチ(前編)
指輪だけでなく、挙式までお世話になってしまっていいのだろうか? 準備してもらえるというのであれば、それはそれでありがたい心境ではあるのだけれど。
反面、正直、ここまで甘えてしまっていいのだろうかという葛藤もあるわけだ。はてさて返事はどうするべきかと、数秒間、思考を巡らせていた最中、控えめに異議を申し立てる声が聞こえた。
「お、お待ちください、イザベラおばさま。挙式と披露宴については、当家で行う手はずを整えているのです」
それはシャーロットによるもので、エプロンをまとった小さな王女は、確固たる意思をにじませながら続けるのだった。
「そもそも先生は当家の騎士にあたるお方。であれば、王族たる当家に、その世話をする義務と権利があってしかるべきかと」
「あら、その理論なら、レオノーラは当家の娘であるのだから、世話をする義務と権利があるのではなくて?」
「あのう……」
遠慮気味に挙手をしながら、話題に加わったのはエリーである。
「挙式と披露宴なのですが、大聖堂側からも盛大に執り行いたいという申し出がありましてですね……」
「呆れた。聖女であるあなたが結婚することに、さんざん反対していたじゃない。いまさら祝福しようだなんて虫が良すぎるわ」
「私もそう思ったのですが……。『聖女が結婚するのであれば、挙式は大聖堂に仕えるものたちで祝うべきだ』と譲らなくて……」
苦悩めいた表情の聖女を見つめながら、腕組みしたイザベラはため息を漏らした。シャーロットは二人へ交互に視線を向け、譲らないという姿勢を崩そうとしない。
控えめな彼女にしては珍しいなと考えつつ、どうしてそんなに挙式を開きたがるのかと不思議に思っていると、後ろで話を聞いていたサラが耳元でささやいた。
「私が言うのもおかしな話ですが、皆、それぞれの立場で権力を誇示したいのですわ」
「なんだい、そりゃ」
「詳しい話はお父様からお聞きになったほうがよろしいかと。それより、このまま立ち話をしているのもなんですし、ひとまずは場所を変えましょう」
緊迫している空間で、それはきわめて建設的な提案だった。りんごの花束タルトをメイドに預けると、俺たちはエドワードとラテの待つ応接室へと移動した。
***
「なるほどなるほど。そんなことになっていたとはねえ」
ラテを膝に乗せたエドワードは黒猫を撫でながら、興味深いという面持ちで、話に耳を傾けている。
セバスの淹れた紅茶の湯気がティーカップから立ち上り、豊かな香気が心を落ち着かせるかと思いきや、イザベラは心外だとばかりに声を荒らげた。
「当主のあなたがそんな調子でどうします。レオノーラは我らの娘というだけでなく、誇り高き一角獣騎士団の団長なのですよ? そんな娘の一世一代の晴れ舞台を他に譲り渡すなど言語道断ではありませんか」
「怒るな、イザベラよ。美人が台無しだぞ。透君たちが作ってくれたタルトを食べて、気持ちを落ち着かせてはどうだね」
「悠長にタルトを食べている場合ですかっ」
「つれないことを言うな。聞けばサラとシャーロットも手伝ってくれたという話じゃないか。二人の努力の結晶を無下にするのはよくないだろう?」
エドワードがそう言うと、大きな息を吐きながらイザベラはようやく腰を落ち着かせ、ティーカップを口へと運んだ。
「いやはや、騒がしくて申し訳ないね、透君。ラテたんもびっくりしただろう?」
「にゃ?」
「ふふふ、ラテたんは本当にかわいいなあ。タルトを食べるかい?」
「それ、猫用じゃないので止めていただけると……。それはさておき、どうして皆さん挙式を開くのに躍起になっているのでしょうか?」
「ふむ。他の世界からやってきた君にはわからないだろうがね、我々にとって結婚式は権力を誇示するにはうってつけの催しなのだよ。……ふむふむ、このタルトは絶品だな」
りんごの花束タルトを頬張ってから、エドワードは続ける。
「有力者同士の結婚ならなおさらのこと。それを主催する立場であれば、有力者と近しいと名声を広めることができるし、それだけ立場を強固できるだろう?」
「なるほど……?」
エドワードの説明は理解できるけれど、わからないのは『有力者同士の結婚』という部分だ。イザベラやシャーロット、それに大聖堂が争うほど、今回の結婚は大事なのだろうか?
「君は驚くほどに鈍感だな。君は自分自身をそれほど評価していないのかも知れないが、我々にしてみたら相当の人物なのだぞ?」
「そ、そうなんですか?」
「歴代聖女の中でも高名で知られるエリー、歴史ある一角獣騎士団の団長レオノーラ、そんな二人を伴侶とするのだ。爵位こそ騎士階級だが、知らないものはまずいないと考えていいだろうな」
……なんてこった。ごくごく平和にカフェを営んでいるつもりが、知らず知らずのうちに有名人になっていたとは。
えー? それならそれで、お客さんがもっと増えてもよくないか? 有名な料理人がいる店なら、興味本位で行ってみたくなるだろう?
「いや、透。それは逆効果だぞ」
タルトを頬張っていたレオノーラが、メイドにおかわりを要求しながら口を開いた。
「……? なんでさ?」
「それだけの人物がいる店なら、かえって近寄りがたい。それが心情というものだろう」
なるほどねえ。言われてみれば確かに。人間のお客さんなんてほとんど来ないもんな。意識して避けられているってわけか。
それはさておき、だ。
挙式一つでこんな大事になるとは思ってもみなかったな。俺としてはお任せできるならお任せしてしまいたいという、お気楽な気持ちでいたんだけど、状況的にそれは許されないみたいだ。
「ちなみにですが……」
おそるおそるといった具合に、俺は尋ねた。
「皆さん相談された上で、合同で挙式を開かれるというのはいかがでしょうか?」
「あり得ないね」
ばっさりと切り捨てるエドワードに、俺はなおも問いかける。
「それなら、それぞれに挙式を開いてもらい、そのすべてに参加するというのは」
「その場合、挙式を開く順番で争いが生じるだろうな。いずれにせよ、当家は譲るつもりはないよ」
ティーカップに手を伸ばしつつ、エドワードは断言する。
「まあ、いきなり言われたところで透君も困惑しているだろう。どこに挙式を任せるか、その判断は君に委ねるから、しっかりと考えてから結論を出すことだ」




