60.謝罪とりんごの花束タルト(前編)
ブロンドの髪を帽子で覆った、硬質の美しい貴婦人は、いかにもお忍びでの外出という装いで扉の前に佇立している。
予期せぬ突然の来訪に俺は呆気に取られていたものの、それが失礼だということに気付いて我に返ると、ようやく「中へどうぞ」と声に出すのだった。
「イザベラおばさま!?」
イザベラの訪問に驚いたのはエリーも同様だったみたいだ。表情いっぱいに驚きの微粒子を漂わせると、イザベラは軽く微笑みながら応じ返した。
「エリー、息災で安心したわ。最近は顔を見せなくなったから心配していたのよ」
「すみません、おばさま……」
「たまにはエドワードにも会ってあげて。あの人も寂しがっているのだから」
……なんだか、口を挟むのにも気が引ける雰囲気だな……。俺としてはどうしてこんな夜遅くに、ここへやってきたのかということが気になって仕方ないんだけど。
その時だった。店の扉が勢いよく開き、見慣れた人物がこちらに向かって飛びかかってくる姿を視界に捉えたのだ。
「ト~オ~ル~! 会いたかったぞー!」
声を上げながら俺に抱きついてきたのは誰あろうレオノーラで、俺の胸に顔を埋めると、藍色のポニーテールを左右に揺らしながら、だらしない笑みをこぼし、さらにだらしない声を漏らすのだった。
「ふふふふふ、透も私に会えなくてさみしかっただろう? であれば、こうやって甘えることが、お互いにとっても利があると思わないか?」
「レオノーラ! 私の目の前で、勝手に何をしているの!? 透さんから離れなさいっ!」
「む、エリーか。別にいいじゃないか、私が不在の間、散々透といちゃこらしていたんだろう?」
「聖女の務めとお店が忙しくて、そんな暇なんてなかったの! だっかっらっ、離れなさいっ!」
「ん? スンスン……。透の身体からエリーが使っている香水の匂いがするが……」
「あ~……。えーと、それはだな」
「ずるいぞ。私も透といちゃこらしたいというのに」
毎度おなじみの騒がしいやり取りを繰り広げる中、どうやって収拾をつけたものかと思い悩んでいると、イザベラの一声がエリーとレオノーラの暴走を止めるのだった。
「いい加減にしなさい、二人とも」
それは決して大きいものではなかったが、厳格なまでに重い響きを帯びていて、二人はピタリと動きを止めると、いたずらが見つかった子どもが叱られるがごとく、しおしおとイザベラの前に立ち尽くしている。
「まったく、名家の娘として恥ずかしくないのですか? 幼き頃より、あなたたちには淑女としての振る舞いを教えたはずですが」
「ごめんなさい……」
「申し訳ない……」
しゅんと落ち込む二人の姿は珍しい。……いや、そんなことはさておきだ。この最悪な空気の中、どうやって話を切り出すべきだろうか。気になることは山のようにあるんだけどな。
すると、こちらが切り出すよりも前に席を立ったイザベラは、帽子を取ると、俺に対して謝罪の言葉を口にした。
「私の娘たちが失礼しました。この通り、お詫びします」
深々と頭を下げるその姿に、かえってこちらが恐縮してしまう。慌てて姿勢を正した俺は、倣うように頭を下げた。
「こちらこそ、騒がしいところをお目にかけて申し訳ありません」
「いえ、透さんが謝られることなどなにもありません。無礼を働いたのはこちらなのですから」
「……?」
「先日の醜態と、夜分遅くの訪問。重ねてお詫びします。この通り」
再び、深々と頭を下げるイザベラ。なるほど、この間のことをわざわざ謝罪しに来てくれたのか。……しかし、なんでまた、こんな時間にやって来るのだろうか?
「……名門の対面というものがあるんだ。貴族が昼間から、見ず知らずの土地に出かけるなんて不審がられるだろう? しかも謝罪のためだけに」
さっきまで叱られていたレオノーラが俺に耳打ちしてみせる。
「名門の家柄ならなおさらのこと。母上もお忍びで来ざるを得なかったと、そういうわけだ」
「なるほどなあ」
「こほんっ」
咳払いとともに、イザベラが一瞥するとレオノーラは再び後方へと退散してしまう。そのの背中はあえて見ずに、イザベラへと視線を落ち着かせてから、俺は口を開いた。
「それにしても。ご連絡いただければ、こちらも準備しましたのに」
「私もそうしたかったのだけれど。ここ最近は事業が忙しくて、いつ顔を出せるかがわからなくて」
「事業、ですか」
「ええ、おかげさまで養殖事業が上手くいきそうなの」
イザベラの話によれば、この一週間ほど、商談の席や貴族同士の集まりなどで、俺の残したレシピを再現しては振る舞っていたそうだ。
すると、未知の料理に食いついた人々から「これだけ素晴らしい食材であれば、ぜひとも購入したい」という申し出が後を絶たず、在庫ならぬ“在魚”の出荷にもめどがついたらしい。
「まったく現金なものだわ。美味しい料理が食べられるとわかった途端、皆、我先に魚を譲ってくれと言ってくるのだもの」
そう言って、ため息を漏らすイザベラ。似たような境遇に陥っていた俺としては他人事とは思えない。まったく、食に対して保守的な考えを持つというのは、貴族も庶民も変わらないんだなあ。
「そういったわけでね。透さん、あなたには感謝してもしたりないぐらい」
「いえ、あんなことでも、お役に立てたならなによりです」
「謙遜しないで。あのまま状況が好転しなかったら、私の不機嫌も続いていたのだから」
反応に困る言葉を呟きつつ、イザベラは語をついだ。
「あらためて。透さん、どうか屋敷にいらしてちょうだい。エドワードもあなたに会いたがっていたし、それに」
「それに?」
「いえ、これは場を改めて話すことにしましょう。エリーもレオノーラも、それに猫ちゃんは確かラテだったかしら? 皆、揃っておいでなさいな」
***
翌日。
迎えの馬車に乗り、レオノーラの実家に向かった俺たちは、到着早々、離ればなれになってしまった。
まず、エリーとレオノーラはイザベラに呼ばれて別室へ、残された俺とラテはエドワードの待つ応接室に足を運んだのだけれど。
「ハッハッハ、ラテたんは本当にかわいいねえ」
「にゃあにゃ、にゃー」
「んー、赤い首輪も実におしゃれだ。私のことはパパと呼んでくれて構わないからねえ」
「にゃ、にゃあ」
そこでは強面のおじさんが黒猫を抱きかかえたり、頬ずりしたり、あるいは撫で繰り回したりする光景が繰り広げていて。
ラテをあやす低音ボイスが室内に響き渡る中、執事のセバスとメイドたちがなにも見ていないとばかりに無表情で控える姿にプロ意識の神髄が見えたりするのだけれども。
一人取り残された俺としてはどうしていいのか、ただただ気配を消して紅茶を飲むぐらいしかできないわけだ。
エリーもレオノーラも早く戻ってきてくれないかなあとか、そんなことを思っていた矢先、応接室の扉が開かれると、愛らしい声が俺の耳に届くのだった。
「透様っ!」
「ごきげんよう、先生っ!」
そう言ってパタパタと駆け寄ってくるのはサラとシャーロットの仲良しコンビである。「やあ、二人とも。今日はどうしたんだい?」
「シャーロットがお菓子を作って持ってきてくれましたの。これからお茶にしようかと思いまして」
「先生に習った、お菓子。上手く作れたかはわからないのですが、サラちゃんに食べて欲しいなって思って」
もじもじと手を合わせるシャーロットを見ながら、サラは続ける。
「そうですわっ! せっかくですし、お父様も透様もご一緒しませんこと?」
「おや、レディの集いに我々もお呼ばれされてもいいのかい?」
「もちろんですわっ! このところ、シャーロットの腕前も上がっておりますし、是非とも召し上がってくださいませっ」
得意げなサラの言葉に、シャーロットは勢いよく首を左右に振ってみせる。
「ダメダメダメ! ダメだよ、サラちゃん! 私のお菓子なんてまだまだなんだからっ! 人様に振る舞うなんてとんでもないよう」
「? 私には振る舞っていただけるではありませんか」
「そ、それは、サラちゃんは大事なお友だち……だし……」
顔を赤らめながら消え入るような声で応じるシャーロット。いやはや、なんだか尊い気持ちになってしまうね。
「そ、そうだっ」
いいものを見せてもらったなあとか、そんなことを思っていたのもつかの間、話題を転じるように声を上げたシャーロットはこちらを見ると、とある提案を持ちかけるのだった。
「先生! よかったら、お茶会にふさわしいお菓子を私に教えてくださいませんか!?」
「え? いま?」
「はい! 先生と一緒に作ったものであれば、エドワードおじさまにも気に入っていただけると思うので!」
シャーロットが作ってくれたものであれば、エドワードは美味しいって言ってくれると思うけどなあとか思わなくもなかったけれど、そんなことじゃないんだよな。
自分が作った料理を振る舞うのって勇気がいることだし、なによりシャーロットはまだ子どもだ。恥ずかしい気持ちもあるだろう。
「中座させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。その間、私はラテたんと有意義な時間を過ごさせてもらうよ」
エドワードから承諾をもらった俺は席を立つと、シャーロットとサラの小さな手に連れられて、調理場へと向かうのだった。




