59.二人の時間とミルクゼリー
母親であるイザベラが落ち着くまで様子を見ておきたい――レオノーラはそう言うと、実家にしばらく滞在することとなった。
無理もない。あれだけ機嫌が悪かったのだ。一方的に結婚すると告げて立ち去ることなんてできないだろう。そばにいることで、少しでも物事が良くなるほうに進展するのを期待したい。
……で。
俺はといえば、レオノーラが不在の分、食事を作る量が激減したのを物足りなく思いながら、聖女エリーと愛猫のラテといつもと変わらない生活を送っていたのだった。
まあ、若干の変化があるとすれば、エリーとの親密度が増したというか、ぶっちゃけて言ってしまえばイチャイチャする時間が増えたというか……。
おっと、嫉妬で石を投げるのはご遠慮ください。我々、まもなく結婚しますのでね! いわゆるひとつのバカップルみたいなものだと思っていただければ幸いでございます!
こほん、それはともかく。
エリーなんて、それはもうウキウキしながら「レオノーラがいない時に不謹慎ですけれど」と前置きした上で、
「ようやく二人きりの時間ができたんですよ? イチャイチャしないでどうするんですか!?」
と、聖女にあるまじき言葉で力説する始末。端で聞いていたラテなんて、自分の存在を忘れるなと抗議の鳴き声とともに前足でチョイチョイと突っ込んでいたぐらいだからな。
「ああ、ゴメンね、ラテ。ラテのことを忘れていたわけじゃないのよ? なんというか、言葉のあやっていうかね?」
「にゃあ……」
「大丈夫だよ、ラテは賢いからね。ちゃんと理解しているさ」
黒猫を抱きかかえては、よしよしとあやすエリーを見ながら俺は応じ、さらに続けた。
「でもなあ。こういう時に限って、示し合わせたように何かしらのトラブルとか起きたりするんだよね」
それは本当に意味もなくなんとなしに呟いた一言だったので、エリーも笑いながら、
「もう、透さんってば、冗談ばっかり」
とか、軽く受け流してくれたのだけれど……まさか、本当にそうなるとは思わないじゃん? いやあ、口は災いの元だってあらためて気付かされたね。
レオノーラが不在となって以降、カフェはこれまでにない多忙さを極めることになってしまったのだった。
***
まあね? 三十日連続で来客ゼロという不名誉な記録を打ち立てていた頃に比べれば、幸せなことだと思いますよ?
でもさ、開店から閉店まで、店内がお客さんで満席っていうのはさすがに対応しきれないって!
もう、見渡す限りに人、人、人……じゃなかった、妖精、エルフ族、ドワーフ族とマジで忙しい。
エリーがホールを担当してくれる日はまだ助かるんだけど、聖女の務めで大聖堂に通う日なんかはもう大変。
調理、配膳、接客、会計、ほぼワンオペ状態で休憩なしときたもんだ。
あ、ほぼワンオペと書いたのは、時間稼ぎを兼ねた接客をラテが担当してくれているからであって、愛猫がいなかったら、間違いなく倒れていたところである。
「にゃ、にゃにゃにゃあ」
「はいはいはい、あそこの妖精たちに果実水三つね。オーケー、ありがと」
「にゃっ!」
オーダーを取り終えたラテは、そのままスタスタと店内を歩いては、注文待ちの客に愛想を振りまき、調理の時間を稼いでくれるのだった。ウチの黒猫、有能過ぎだろ。
で、エリーがいたらいたで、これがまた大変なわけだ。
プラチナブロンドのロングヘアをした、美しい聖女は種族関係なく人気があり、結婚するとわかった途端、ファンを公言するダークエルフやハイエルフの客らが店内でシクシクと泣き始めるのである。
「ううう……、まさか結婚するなんて……」
「オレたちのアイドルが……」
「いまからでも遅くない! エリーちゃん、俺と結婚しよう!」
「あ、お前! なに抜け駆けしようとしてるんだ!?」
こんな流れから、危うく乱闘騒ぎに発展しそうになったりと、もう目も当てられない状況。乱闘騒ぎはエリーによって唱えられた神聖魔法の一種――恨みや怒りを抑える効果があるそうだ――により強制的に収まったけれど、この分だと、結婚ショックはまだまだ続きそうだなあ。
ともあれ。
そんな状況が一週間も続いたのである。疲労困憊の極致といっても過言ではないわけで、閉店後、宵の帳が降りる中、テーブルの一角にがっくりと腰を下ろしていると、
「ちわー、邪魔すんで」
そんな言葉とともに、いつもと変わらぬお気楽さで顔を覗かせたクローディアが、俺の顔を見るなり、
「……日ぃあらためて、また来るわあ」
って、扉を閉めて帰って行くほどだったのだ。それはもう余裕のかけらもないように見えたのだろう。
「さ、さすがに疲れましたね……」
対面に座るエリーもテーブルに突っ伏していて、ラテがいたわるように身体をすり寄せている。お前も大変だったろうに、タフだなあ。
しかし、なんというか。
カフェの店長としてはだ、エリーにまでこんな苦労をかけてしまうのは申し訳ない気持ちになる。こんなに忙しくなるのは予想していなかったとはいえ、対応がおそろかになってしまったのはこちらの落ち度と言わざるを得ない。
ここはひとつ、慰労がてら、疲れが一気にとれるような甘味などを作ってごちそうしようじゃないか。
***
今回、作るのはミルクゼリーだ。ラム酒を効かせて、大人な味わいのものを作りたい。
まず、エルフの街から持って帰ってきたゼリーの実を水でふやかしておく。いろいろ試した結果、ゼラチンとほとんど変わらないことがわかったので、使い方はほぼ同じだ。
鍋に牛乳と砂糖を入れ弱火にかける。沸騰する直前で火を止めたら、ラム酒と、ふやかしたゼリーの実を水ごと加えてよくかき混ぜる。なめらかに仕上げたいので、水分量は多めにしておいた。
液を型に流し込み、冷蔵室でよく冷やす。固まったら、彩りにミントの葉とブルーベリージャムを添えよう。
これでお手軽、大人なミルクゼリーの完成だ!
***
「う~~~~~ん……、美味しいです……。優しい味なのに、ラム酒が効いていて……。いい香り……」
ほぅと息を漏らしながらエリーは呟き、再びミルクゼリーを口へと運んだ。
「エルフの街で食べたゼリーサラダは固めでしたけれど、これは柔らかいんですね。すっと口の中でほどけてくというか」
「うん。固いゼリーも美味しいんだけどね。エリーもこの数日大変だったでしょう? 疲れている時はこっちのほうがいいかなって」
そう言うと、エリーはエヘヘヘといたずらっぽく笑い、まんざらでもないといった表情を浮かべてみせる。
「どうしたの?」
「いえ、私のことを考えて作ってくれたんだって思ったら嬉しくなっちゃって」
「そりゃそうだよ。エリーのために作ったんだから」
「ふふーん。愛されてますね、私」
「……う。ま、まあね?」
途端に照れくさくなって、ごまかすように頭をかきむしる。エリーは立ち上がり、座っていた椅子を俺の隣に移動させてから、再び腰を落ち着かせ、それから俺の頬に白く柔らかな手を添えるのだった。
「……ようやく、二人きりですね」
よく見たら、ラテがいなくなっている。察しがいいのか、気が利くのか。
エリーはそのまま首の裏へと腕を回し、顔を近づけ、そして瞳を閉じた。みずみずしい感触を確かめあるように唇を重ねてから、俺たちはコツンと額を合わせ、それからどちらともなく微笑んだ。
「……えっと、その、疲れてない?」
「心配しなくても、大丈夫ですよ」
「そっか」
「だから、その……」
「……そうだね、二人きりだしね」
そんなやり取りを交わしつつ、寝室のある二階へと向かおうとしていた、その時だった。
扉をノックする音が店内に響き渡り、俺とエリーは、いきなり甘い時間から引き離され、現実へと意識を引き戻されたのである。
「閉店したんだけどなあ……」
「いっそ、無視してしまうとか?」
「そういうわけにもいかないだろう?」
窓の外を眺めると、豪華な馬車が止まっているのが見える。イチャイチャしすぎて、馬車がやってくる音に気付かなかったとは不覚もいいところだ。
やれやれといった感じで店の出入り口へと足を運んだ俺は、時間も時間ということもあり、警戒しながら扉を開けるのだった。
「はいはーい、どちら様で……」
最後まで言い終えることができなかったのは、待ち構えていたのが意外な人物だったからで、俺はその人の顔を見つめながら、ぱくぱくと口を開閉させるのだった。
「夜分遅くに失礼。お時間をいただけるかしら?」
そこに立っていたのは、レオノーラの母親のイザベラだったからである。




