56.ご挨拶とガレットブルトンヌ
「ほー。ほな、嬢ちゃんたちについては万事解決っちゅうわけやな。めでたいこっちゃ」
カウンターテーブルに腰を落ち着かせたクローディアは、女神らしからぬ粗雑さで、お腹をボリボリとかきむしっている。
「ウチはまた『どちらを結婚相手に選んだらいいんだ!?』とか、透が途方に暮れてると思うてたからなあ。よかったよかった」
うんうんと頷く女神に梅酒を差し出しながら、俺は口を開く。
「まあ、なんと言いますか、ご心配をおかけしました」
「ええねんええねん。ウチは女神やからな! 心配事やお悩み相談のひとつやふたつ、どーんとこいやで」
胸のあたりを叩いてから、琥珀色の液体で満たされたグラスを手にしたクローディアは、「しかし残念やなあ」と前置きした上で語をついだ。
「ウチも透の嫁候補に立候補していたんやけどなあ。振られてもうたわ」
「誰が嫁候補ですって?」
「それはもう女神の中でも、もっとも“ぷりちー”で知られるウチのことやんかあ。言わせんでよ、もうっ! 恥ずいやん」
くねくねと身体をよじらせる女神に、愛猫のラテが呆れたように「にゃあ」とひと鳴きして応じる。
「なんや、ラテ? “ぷりちー”な女神ならほかにもいるやろって? ははーん。さては、ウチの美貌に見慣れてしもうたな、自分。ウチ以上のべっぴんはめったにおらんで?」
「いや、それについてはどうでもいいんですが」
「どうでもいいんかいっ」
「もう一度聞きますけど、誰が嫁候補ですって?」
「ウチや、ウチ」
薄紫色のロングヘアと糸目が印象的な女神は、自らを指さしてアピールする。
「こんなこと言うんもアレやけどな。ウチら、けっこう相性ええと思うねん。どや? 三人目の嫁に、いっちょ、ウチももろうてくれんか?」
「無理ですって。そもそも女神と人間が結婚できるわけないでしょう?」
「そうかあ、やっぱり無理かあ」
アッハッハと笑い飛ばしながら、クローディアは少しだけ宙を見つめ、それから視線を戻し、何事もなかったかのように作り置きしておいた焼き菓子に手を伸ばした。
「んで? レオノーラ嬢ちゃんの家へ挨拶に行くんやって?」
「ええ、結婚するのにご両親と話をしておかないと」
ああ見えてもレオノーラは名門貴族の家柄である。家庭訪問に若干の不安がないわけでもないけれど、レオノーラの妹であるサラが間を取り持ってくれるらしい。
味方が増えたことを心強く思いつつ、自己紹介がてら、お菓子でも作って持っていこうかなといろいろ作り置きしていたのだけれど。
いままさに、その作り置きしていた焼き菓子を、むっしゃむっしゃとむさぼり食ってる駄女神が目の前にいるわけで……。
「なんや、これウチのために作ってくれてたんと違うんかいな」
「お土産用ですよ。いや、まあ、気に入ってもらえたなら、食べてもらって構わないんですけど」
「特にこの円形の焼き菓子がめちゃくちゃ美味いな? なんやこれ、サクサクでそれでいてホロホロしていて……。とにかく絶妙やんか」
そう言ってクローディアは、もう何個目かもわからない“ガレットブルトンヌ”に手を伸ばす。
「香ばしいのもたまらんな? 梅酒によく合うわあ」
「ガレットブルトンヌをつまみに梅酒飲む人初めて見ましたよ」
とはいえ、この焼き菓子は俺のお気に入りでもあるので、パクパクと食べすすめる姿を見るのは嬉しかったりする。レオノーラも数え切れないほどの量を食べていたからなあ。
ミーナから結構な量のアーモンドパウダーを仕入れたけど、この分じゃすぐに底をつきそうだ。エドガーにもラム酒の追加注文をしておいたほうがいいかもしれない。
残り少なくなったガレットブルトンヌを眺めやりつつ、俺は増産のための準備に取りかかるのだった。
***
ガレットブルトンヌはその名前からも連想できる通り、フランスのブルターニュ地方に伝わる伝統菓子である。
まず、常温に戻したバターに砂糖と塩を加えて混ぜ合わせたら、そこに卵黄とラム酒を投入し、さらに混ぜ合わせていくのだ。
ふるった小麦粉とアーモンドパウダーを加え、粉っぽさがなくなるまで混ぜていく。混ぜ合わせた生地をある程度の厚みが出るように伸ばしたら、キッチンに備え付けた保冷庫で冷やし固めるのだ。
保冷庫から取り出した生地は円形の型でくりぬき、天板に並べていく。綺麗な焼き色になるように、生地の表面は刷毛を使い卵黄を塗っておこう。
さらに飾りとしてナイフやフォークで、表面に模様をつける。熱したオーブンでじっくりと焼き上げ、粗熱を取ったら、ガレットブルトンヌの完成だ!
***
ガレットブルトンヌを作っている最中、ラテを遊び相手にしていたクローディアは、思い出したように呟いた。
「レオノーラ嬢ちゃんの家に挨拶行くんはええとして、エリー嬢ちゃんの家には行かんでえの?」
その言葉に、俺は調理の手を止めると、事実を伝えるかどうかをしばらく躊躇し、それからこの女神にだけは打ち明けておこうと決心したのだった。
「それがですね……。エリーいわく、『自分には親がいない』と」
「……お亡くなりになってるとか?」
「いえ、その……。『自分は親に売られた』、と」
――レオノーラのご両親に挨拶へ行くという話題が出た際、当然ながら、エリーのご両親にも挨拶に伺おうという流れになったのだけれど、エリーはそれをキッパリと断り、そして聖女として迎えられた時のことを話してくれたのだった。
「以前もお話したと思うのですが、私は幼少期、田舎の小さな村で暮らしていたのですけれど……」
「ああ、農家出身だって言ってたね」
「それで、その、子どもだったものですので、聖女だなんだと言われてもピンとこなくてですね」
理解できたのは、どうやら自分は遠く見知らぬ土地に連れて行かれてしまうらしい。それも大好きな両親と別れて、ひとりぼっちで。
当然ながら、そんなことを受け入れることはできず、迎えに来た大聖堂の遣いとやらが高説を垂れる中、家を離れることは嫌だと泣き叫んでいたそうだ。
両親も娘と離ればなれになることを嫌がり、聖女の話にも関心を示さなかったらしい。しかし、大聖堂の遣いとともに自宅裏へと消えていった両親が、再びエリーの前に姿を現すと『聖女としての務めを果たすように』と泣き続ける娘に対し説き伏せるのだった。
態度を急変させた両親を疑問に思いつつ、うつむきながらも耳を傾けるエリーの視界の端に見慣れないものが映った。
父親の腰元に小さな革袋がついていて、いつだったか、それがお金を入れるものだと教えてもらったことがあると思い出したエリーは、両親が態度を急変させた原因を突き止めたのである。
「それでわかったんです、『ああ、自分は両親に売られた』のだと」
淡々と打ち明けるエリーの足下にラテがすり寄る。
「慰めてくれるの? ありがとう。でもね、大丈夫。もうなんとも思っていないから」
そう続けるエリーの口調は淡々としたもので、本当に、何の感情も抱いていないのだろうなということが伝わってくるのだった。
「そんなわけで、聖女になってからというもの、レオノーラのご両親が育ての親みたいな感じになってですね。幼い頃からよくしてもらっていたんです」
「……そうか」
「あっ、本当に気にしないでくださいね? 昔の話ですし、いまはもう、未来のことだけしか考えてないっていうか」
そう言って、エヘヘヘと笑い声を上げたエリーは、俺の背中に手を回すと、全身でぎゅっと抱きしめた。
「聖女になったおかげで、こんな素敵な人に巡り会えたんですから。むしろ両親に感謝しなきゃ、ですね」
俺はなにも言わずエリーを抱きしめると、その美しいプラチナブロンドの髪をそっとなでるのだった。
***
腕組みしながら俺の話を聞いていたクローディアは軽くため息を漏らし、それからやりきれないように呟いた。
「まあ、娘を金で売るなんてことはよくある話やけどな。大聖堂がそれをやるとは思わんかったなあ」
こちらの世界では、自分たちの子どもを“商品”として売りつける慣習が根強いらしく、売り手は平民、買い手は貴族というのが大半だそうだ。
個人的には悪習でしかないとないと思う。まったく、お金で買われた聖女をありがたがるとか、どうかしているとしか思えない。
……しかし、そうなるといろいろと合点がいくのだ。
聖女としてのエリーはしっかり者の淑女という印象が強いが、普段のエリーは、甘えたがりの一面が残る、あどけない少女といった感じで、これはおそらく幼少期に甘えることができなかった反動がそうさせているのかもしれない。
もちろんそれは気を許した相手にしか見せていない素顔だけれど、昔のことを知ってしまうといろいろとやりきれないものを覚えてしまう。
「ま、昔は昔と割り切って、これから幸せになればええんと違うん?」
話題を転じるようにクローディアは呟き、梅酒で満たされたグラスを掲げながら続けるのだった。
「若者たちの前途に幸あれっちう話でな。過去を振り返るんやなく、未来を見据えたほうが前向きになれるっちゅうもんやで」
「そうですね」
「……それもこれも、結婚の許可がもらえればの話になるけどな」
そう言うと、梅酒を一気にあおった女神は、ぷはーと熱い息を漏らし、手酌でグラスに琥珀色の液体を注ぐのだった。
「どういう意味です?」
「いや、挨拶に行っても、両親から許可がもらえへんかったら、レオノーラの嬢ちゃんとは結婚できないやんか」
「……あ」
「考えてなかったんか? 間抜けやなあ、自分」
ニマニマとした表情を浮かべ、クローディアは人ごとのように呟く。
「向こうの両親に気に入られるよう、ぜいぜい頑張るんやでえ?」
***
……こんなやり取りを交わしたのが、つい前日のことになるわけだ。
俺はと言えば、迎えに来た馬車に乗り、レオノーラの実家にやってきたわけなんだけど……。
これ以上なく立派で豪華な邸宅の前に待ち構えていたのは、頬に傷のある鋭角的な顔をした中年の男性で、レオノーラが「父上、ただいま帰りました」と呼びかける相手から向けられる険しい眼差しに、俺は内心、帰りたい気持ちを堪えるのに必死だった。




