55.プロポーズとウェディングケーキ(後編)
さらに翌日。
晴れてエリーに求婚を受け入れてもらったわけなのだが、レオノーラ自身にはまだ伝えておらず、果たしてどのタイミングで伝えるべきか、そしてレオノーラ自身に結婚に意思があるかどうか、どうやって尋ねようかと迷いながら、俺はレオノーラから乗馬の手ほどきを受けていた。
「ようし、今日はここまでにしよう。透もだんだん様になってきたな」
そう言って、愛馬であるジョセフィーヌのケアを始めるレオノーラ。俺は後片付けをしながら、藍色のポニーテールが印象的な美貌の女剣士を眺めやっていた。
「……どうした? 私の顔になにかついているか?」
さすがに視線を感じ取ったらしいレオノーラがいぶかしげに呟く。ええい、変にごまかすより直接切り込んだほうが話も早いだろう。
「レオノーラはさ、結婚についてどう考えているんだ?」
我ながらアホみたいな質問である。尋ねるにしても、もう少し聞き方というものがあるだろうと後悔したのもつかの間。レオノーラはこちらの予想だにしないことを言い出した。
「なんだ、結婚か。私はてっきり透の妻になるものだと思っていたのだが、違うのか?」
……はい?
「だから、私はもともと透と結婚するつもりだったからな。あとはいつ求婚されるのかと常々考えていたわけだ」
「……ちなみに聞くけど、もともとっていつから?」
「ここへ引っ越してくるときからだな。好意のない男と一緒に暮らすほど、私は酔狂ではないぞ」
あー……、なるほど。そうきましたか……って、お前、最初の頃はそんなそぶり見せてなかったじゃんかあ! わっかんないわ、そんなこと言われても。
なんだよ、もう、必死に悩んだだけに損した……いや、好意を向けられていたという事実は素直に感謝するべきなのだろうな。
「それで、だ……」
いつの間にか、俺の前に足を運んでいたレオノーラは、もじもじと身体を動かしながら、上目遣いに問いかける。
「透は、その、どうなのだ? わ、私と結婚するつもりはあるのか、ということを、き、聞きたくて、だな……」
くっっっっっっっっそ! めちゃくちゃかわいい!!!!!!
普段、いまいち表情が読み取れないだけに、不意打ちの照れ顔は破壊力がすさまじいな、おい。
もちろん、イエス以外の選択肢がないので、
「うん。俺で良ければ結婚してくれるか」
と、伝えることに。もう少し色っぽい場所でプロポーズしたかったのだけれど、成り行き上、仕方ないということにしておこう。
「よ、よかった……」
俺の言葉に、心から安堵した様子のレオノーラは、大きく息を吐くと、初々しく語をつぐのだった。
「こんなに緊張したのは生まれて初めてだ。騎士団長に任命されたときの比じゃないな」
「そんなにか?」
「そうだぞ。それもこれも透が悪い。もっと早く、私に求婚してくれたら良かったんだ」
珍しく頬を膨らませた女剣士の抗議に微笑ましいものを覚えていると、レオノーラは朗らかな笑顔で続けるのだった。
「あらためて、妻としてよろしく頼む。なに、私の他にエリーも妻になるのだ。二人で一緒なら大丈夫だろう」
……ん? ちょっと待て。
「エリーも妻になるって、俺がエリーに求婚したことを何で知っているんだ? 本人から聞いたとか?」
「……? いや、エリーからはなにも聞いていない」
だったらどうしてそれを知っているのだろうか? 首をかしげる俺に、レオノーラはなにを言っているんだとばかりに口を開いた。
「昨日の二人の雰囲気がいつもと違っていたからな。これはなにかあったと考えるべきだろう」
「…………」
「エリーが透に好意を抱いていたのはわかっていたからな。そういうことになったと思うのが当然だろう?」
鋭い……。普段はなにを考えているかわからない食いしん坊だと思いきや、まさかここまで感性が鋭いとは思わなかった。うーむ、反省しなければ。
「当然だ。私だってそのぐらいはわかる。女なのだからな」
得意げに胸を張って応じるレオノーラだったが、突如として、顔を赤らめ、それからちらちらとこちらの表情を伺ってみせる。
「……それで、だ。わ、私だって、そういったことはできるというか……」
「……?」
「その……、だ、男女のい、い、営みというもの、を、だ。妻となるからには、それも、精一杯、が、がんばるというか」
「オーケー! わかった! それ以上は言わなくても把握した!」
こうかはばつぐんだ!
……あぶないあぶない、理性が吹き飛びそうだし、この場はなんとか封じておくことにしておこう、うん。
***
「……二人揃って、同じ相手と夫婦になるとは想像だにもしなかったな」
テーブルの一角に腰を落ち着かせたレオノーラが語る相手は幼なじみで親友のエリーである。
「そうね、でも、これも運命だったのかもしれないわね」
柔和な表情で応じるエリーはカウンターキッチンの中で俺の手伝いに忙しい。
「ともあれ、だ。これからもよろしく頼む。なあ、ラテさん」
「にゃあ」
テーブルで寝転びながら黒猫は応じ、これからの行く末などまるで心配していないとばかりにウトウトし始めた。
「それで? いまはなにを作っているんだ?」
こちらへ視線を転じたレオノーラが問いかける。
「ケーキだよ。俺の元いた世界では、結婚にはケーキがつきものでね。ウェディングケーキっていうんだけど」
「ウェディングケーキ、ですか?」
「うん。大きなケーキを作って、夫婦が切り分けるんだ。それを結婚のパーティに来た人たちへ配っていくっていく風習があってね」
「素敵!」
「今日はパーティじゃないけどさ。俺たちが結婚するあかしに作りたいなって」
「いい考えだな、透」
「そうだろうそうだろう? それもこれも、昨日、聖域の中でこれを見つけたからなんだけどさ」
俺はそういうと、木籠を取り出して中身を見せつけた。中には見事に赤く熟した山盛りの苺があり、季節外れの収穫に喜んだ俺はショートケーキでウェディングケーキを作ろうと思い立ったのだった。
***
スポンジケーキは前日に仕込んでおいた。なにせケーキは時間がかかる。
まず、湯煎にかけたボウルに卵を入れ、温めながらかき混ぜる。そこに砂糖を加えたら、全体が白っぽく、角が立つまでしっかりと混ぜ合わせるのだ。
ハンドミキサーがないと大変な作業なのだけれど、エリーの風魔法で泡立て器を高速回転させてもらい、上手に仕上げることができた。
……この作業中、微妙にいちゃついていたのがレオノーラにばれる要因になったのかもしれない。「さすがエリー、魔法の達人だなあ」「いえいえ、透さんのお料理の腕前ほどじゃないですよお」とかいいながら、身体を密着させていたし。
浮かれすぎも良くないな、反省しよう。
ともあれ、白っぽくなったら、ふるった小麦粉を数回に分けて加え、木べらでさっくりと混ぜ合わせていく。せっかくの泡を潰さないようにするのがポイントだ。
そこへ溶かして置いたバターと、暖めた牛乳を少し加え、全体を馴染ませる。一度にすべてではなく、生地の様子を見ながら少しずつ混ぜていこう。
混ぜ合わせた生地を、四角い鉄板に流しこみ、オーブンでしっかりと焼いていく。上手く焼ければ倍以上に膨れ上がるので、それを横半分に切り分ける考えだ。
三段重ねのケーキにしたいので、スポンジは二枚焼く。熱を取り除くために焼き上げた生地を休ませたら、調理開始だ。
まずはシロップを作る。砂糖と水と果実酒を鍋に入れ、火にかける。粗熱を取ったら、半分に切り分けたスポンジ生地全体に塗っていくのだ。
ホイップした生クリームを薄く全体に塗っていく。スライスした苺を隙間なく敷き詰め、その上からさらに生クリームを敷き詰めたら、スポンジケーキを重ねる。
この作業を繰り返し、三段目のスポンジケーキを重ねたら飾りの作業に入ろう。
上全体をクリームで塗ってから、俺とエリー、レオノーラの三人で思い思いに飾り付けをしておくのだ。
「私も参加していいのだろうか?」
「こういうのはみんなでやった方が楽しいしね」
「そうですね。共同作業って感じがして楽しいです!」
……そうして大胆に、繊細に苺、オレンジなどのフルーツ類やクッキーでデコレーションしたら、俺たち三人のウェディングケーキが完成だ!
***
「……で? これをどうするんですか?」
完成した大きなケーキを前にエリーが問いかける。
「ケーキカットっていって、夫婦が大きなナイフを一緒に持ってケーキに入刀していくんだけど……」
あいにく我が家には普通サイズの包丁と果物ナイフぐらいしかない。三人で持つにはいささか物足りないなと考えていると、レオノーラが呟いた。
「あるじゃないか。長い刃物が」
「どこに?」
「そこにかかっているだろう?」
指さした先には、騎士叙勲の際にいただいた見事な剣があって……って、いやいやいや、ちょっと待て!
「さすがに叙勲の剣をケーキカットに使うのはどうなんだ!?」
「とはいっても、透。普段は剣など使わないだろう?」
「まあ、そうだけどさ……」
「無用の長物と化してももったいない。ここには我々しかいないし、黙っておけばバレやしないだろう」
ええー……。そんなこと言っても、なあ? ……と、視線を転じた先には期待の色に瞳を輝かせるエリーの姿が。
数分後。
煮沸消毒した剣を手にした俺とエリーとレオノーラはウェディングケーキの前に佇んでいたわけだ。だって仕方ないよね、かわいい奥さんの要望は叶えてあげないと!
「とはいえ、いいのかなあ……」
「いまさらなにを言う」
「そうですよ、透さん。ここまできたら覚悟を決めましょう!」
促されて俺は軽く息を漏らした。それから左右に視線を向ける。両隣にいるのは、俺にはもったいないほどの女性たちで、俺にとってかけがえのない二人である。
「……うん。そうだな。せっかくの機会だし、ありがたく使わせてもらおうか」
「そうこなければ」
「さすが透さんっ」
俺たちはあらためて剣を握り直し、そして思い思いに呟いた。
「俺たちの未来が明るいものとなりますように」
「みんなで幸せになりますように」
「ラテさんも一緒だぞ? 楽しく暮らしていこう」
「にゃあ」
応じたラテの鳴き声で、俺たちはウェディングケーキに剣を入れた。スッとスポンジケーキが切られていく様子を見てレオノーラが反応する。
「よしっ。これで儀式は済んだな。早くケーキを食べさせてくれ」
「もうっ! 余韻とかないの、レオノーラ」
「まあまあ、いいじゃないか。余韻はともかく、実感はこれから沸いてくるだろうしさ」
そう言って、俺は剣を洗うととも包丁を持ってくるべく、キッチンへと足を運んだ。待ちきれないとばかりにフォークを構えるレオノーラを、エリーがなんとかなだめている。
(うん、いつもの光景だ)
……見慣れた騒がしくも楽しい光景が、俺たち三人の関係が変わっても、ずっと続くものだと信じて。
俺は愛猫に「結婚してもよろしくな」と声をかけてから、賑やかなテーブルへときびすを返すのだった。




