54.プロポーズとウェディングケーキ(前編)
翌日。
エリーを誘い出した俺はラテを連れて、森の中にある食材の宝庫、“聖域”へと足を運んでいた。女神クローディアが作り出した、何でもありの空間である。
「キキを連れずにここに来るのは珍しいですね」
「ああ、うん。そうだな」
「透さんのお眼鏡にかなう新しい食材が見つかるといいのですけれど。ねえ、ラテ?」
「にゃ」
さながらデートのようなシチュエーションにご機嫌なのか、エリーは鼻歌交じりで歩を進めると、一面に広がる鮮やかな花畑の中央で立ち止まった。
「それで? 今日はどちらに向かわれるのですか? 私にもお手伝いできることがあればよいのですが」
「えっと、そうだね……」
エリーの当然かつ素朴な問いかけに俺はしどろもどろになってしまう。それもそのはず、食材集めをするつもりなど、はなからなかったのだ。
(きみにプロポーズするために来たんだよなんて、いまさら言えないよなあ)
とはいえ、このままではラチがあかないことも確かなわけで。俺は忙しくキョロキョロと見渡してから、ようやく目の前にいる美しい女性に視線を定め、意を決して名前を呼ぶのだった。
「エリー」
「はい?」
瞬間、そよ風がなびき、プラチナブロンドのロングヘアが揺れていく。穏やかな笑顔と相まって、ひときわ美しく見えるエリーの姿に、俺はなんだか気恥ずかしくなり、無造作に髪をかき回した。
「……あー、その。なんだ」
「…………?」
「えっと、なんていうか……」
「…………!」
挙動不審な態度を察したのか、エリーは身体をこわばらせ、胸のあたりで両手を組み合わせては、こちらの言葉を待ち構えている。
期待とも緊張とも受け取れる様子に、俺はますます続きを言いにくくなってしまい、助けを求めるように視線をついと外してしまうのだった。
「あっ……。あ、あっちに新しい果物が育っているみたいだし、ちょっと行ってみよ……」
「にゃー!」
明らかなごまかしの言葉は、だがしかし、不発に終わってしまう。愛らしい鳴き声とともに、腹部にドスンと重い衝撃をお見舞いされたのだ。
この攻撃もいつぶりだろうか? しゃがみ込みそうになるのをぐっと堪えつつ、俺は突進してきた黒猫へと視線を向けた。
「……ぐっ、ラテさんや……。前にも言ったと思うけれど、乱暴は良くないですよ……?」
「にゃー! にゃあ、にゃにゃあ!!!」
ごまかそうとするお前が悪いと言いたげに、愛猫が反論の鳴き声を上げる。……いや、そうだな、明らかに逃げを打つ俺が悪かった。
すくっと立ち上がり、姿勢を正す。心配そうに顔をのぞき込むエリーへとまっすぐに視線を戻した俺は、話題を戻すように軽く咳払いをしてから、再び彼女の名前を呼んだ。
「エリー」
「はい」
「その、突然こんなことを言われても困るかもしれないんだけど……。えーっと、君には聖女の務めがあるし、むしろ迷惑になってしまう可能性もなきにしもあらずというか。ああ、ダメだな。かっこよくスッと決めようと思っていたんだけど……」
「…………」
「つまりだな……、その、俺と結婚してくれないか?」
「喜んでっ!」
言い終えるのが早いか、飛びつくのが早いか、エリーは全身に喜色を浮かべると、抱きしめるように飛びかかり、俺たちはそのまま花畑の中へと倒れ込んだ。
「透さんったら、もうっ! いつプロポーズしてくれるのか、私はずっと、ずうっと待っていたのに! 遅いですよっ!」
抗議の声を上げながらも、どこか嬉しそうなエリーは、俺の胸に顔をうずませ、そのまま頬ずりし始める。
「私はずっと、こうしたかったんですからねっ! そこのところ、わかっていますか?」
「ごめんなさい……」
「ふふふ、聖女エリーの名において、汝の罪を赦しましょう」
冗談めかして呟くエリーは、数秒間の間を置いてから顔を上げ、落ち着いたトーンで俺に問いかけた。
「……それで? 今日までプロポーズが伸びたのは、なにか理由があってっていうことですよね?」
うーむ、さすがは聖女様。鋭いというか、なんというか。……いや、誰でも気付くか? 騎士になって、複数人と婚姻関係を結べるというのがわかってからのプロポーズとあったら、なにかしら裏があると思って当然だよな。
俺は覚悟を決めたようにつばを飲み込み、それから考えていたことを告げるのだった。
「うん。その、レオノーラにも求婚しようと思っていて」
「だと思いました」
やっぱりと言いたげに口をとがらせたエリーは、再び倒れ込むと、俺の胸に顔を埋めるのだった。
「だって透さん、優しいですから。私たちのどちらかを選ぶことなんてできないだろうなって。それならレオノーラも一緒になったほうがいいだろうなって」
「ごめん」
「いえいえ、謝らなくてもいいんですよ。まさか親友と旦那様が一緒になるとは夢にも思いませんでしたが、それも楽しいかなって思っていたので」
そう言ってエヘヘと笑うエリー。心の底からそう思っているみたいなので、俺としても嬉しい。
華奢な身体をぎゅっと抱きしめる。エリーの体温と心臓の鼓動が伝わって、それが不思議と心地よい。
やがて顔を上げたエリーは、少しだけ身体の位置を変えると、俺と重なるように自分の顔を合わせ、それから瞳をつぶってみせた。
お互いの顔がゆっくりと近づき、唇に柔らかな感触が伝わる。
しばらくの間、そうしていた後、ゆっくりと離れていったエリーの瞳は潤んでいて、それを隠すように俺の胸に顔を埋めては、こんなことを呟くのだった。
「幸せになりましょうね?」
「もちろん。俺たちなら幸せになれるさ」
「にゃあ」
タイミングよく鳴き声を上げたのは愛猫のラテで、とことこと近づいては、俺の顔を舐めるのだった。
「そうだな、ラテも一緒だったな」
「ええ、みんなで幸せになりましょうね」
誰からともなく笑い声を上げる中、俺は愛おしく大切な人がいる喜びを痛感するのだった。
「……ところで」
胸の中が暖かいもので満たされる中、ささやかな疑問を呈したのはエリーである。
「透さんが求婚するのはいいのですが、肝心のレオノーラはどうなんでしょうか?」
「どうって?」
「いえ、結婚するつもりがあるのかなあって」
それは俺の意表を突くには十分すぎる問いかけで、個人的には向こうもそのつもりだったと思っていただけに、考えさせられる一言なのだった。
「……え? レオノーラ、結婚する気がないの?」
「上手くは言えないのですが、長年の付き合いから察するに、いまのままの関係が一番いいのではと思っているんじゃないかって……」
……えー? じゃあ、いままでの思わせぶりな態度はなんだったんだ? 天然だとしたら、相当な人たらしだぞ、おい。
これはマズイ……。最初から二人に求婚するつもりだっただけに、そんなことを聞いてしまうと予定を考え直さなくてはいけなくなる。
と、とりあえず、だ。
本人にその意思があるかないかだけでも確かめてみるかと考えた俺は、翌日に乗馬訓練が控えていることを思い出し、その場で本人にそれとなく尋ねてみることに決めたのだった。




