51.騎士とメロマカロナ
「お留守にされているなと思っていたのですが、エルフの街へお出かけされていたのですね、先生」
フリルのついたエプロンを身につけながら呟くのは、この国の王女であるシャーロットで、美しいブロンドのロングヘアを覆い隠すように、王女付きのメイドが丁寧に三角巾を巻き付けている。
エルフの街からしばらく経って、今日はお菓子教室の開催日だ。
以前までは予告なしに突然とやってきたシャーロットだったが、さすがに礼に欠いていると思ったらしく、今回は、前もって使者をつかわせては都合の良い日を尋ねてくれた。
俺としても準備万端で王女を迎え入れられる分、ありがたいのだけれど、エルフの街からの帰宅後は慌ただしくて、お菓子教室の対応できなかったのは申し訳ないところだ。
なにせ、帰宅したその日は長時間の乗馬でボロボロ、エリーの治癒魔法とレオノーラのマッサージで回復を図っているところにクローディアが襲来。
「エルフの街から戻ったんやろ? 再会を祝して乾杯や!」
再会を祝すって、家を空けていたの三日間だけでしたよね? なにを乾杯する必要があるんです? ……と、痛む尻をさすりながら思ったね。
この人、なんだかんだ理由をつけて、飲みたいだけなんだな、と。
そういうわけで、エルフの街から買ってきた“むかご”を素揚げにし、梅酒と白ワインと一緒に出したところ、駄女神様はこの組み合わせをたいそう気に入ったようで、勢いそのまま大宴会に突入。
俺はと言えば筋肉痛と二日酔いという弱体化を抱え、翌日を迎えることになったのだった。
シャーロットからの使者が訪ねてきたのは、そんな中のことである。全身にダメージを覚えつつの来訪だったので、直近はさすがに厳しい旨を伝え、いろいろと落ち着くであろう一週間後にお菓子教室を開きましょうと、そういう話になったのだった。
「私、お顔を合わせることはあっても、エルフの街には出かけたことがありません。どのような場所だったのですか、先生?」
「うん、とにかく綺麗な街だったよ。それに街中に猫がいっぱいいるんだ」
「まあ、猫さんが?」
「エルフたちの間では、猫は神聖な生き物なんだってさ。ラテも友達がいっぱいできたよな、なあ、ラテ?」
呼びかけに「にゃあ」と鳴き声をあげたラテは、エルフの街で購入した赤い首輪を主張するようにシャーロットへと近づいた。
「猫さんもすっかりおしゃれになって、首輪とってもお似合いですよ」
再び、「にゃあ」と鳴いたラテは満足の面持ちできびすを返すと、カウンターの片隅に座って、そのままウトウトし始める。
その様子を微笑ましく見守っていたシャーロットは、再びこちらへ視線を動かし、それからうらやましそうな声を上げるのだった。
「私、いつもお城の中で過ごしているので、遠くにお出かけしたことがないのです。エルフの街とか、いつか行ってみたいのですけれど……」
「お、そうなのか。それじゃあ……」
今度一緒に出かけるかい? と、続けようとしたその矢先、頬のあたりに刺すような視線を感じ取った。王女お付きのメイドが険しい表情と眼差しで、「余計なことを言うな」と訴えている。
そりゃそうか、側室の子とはいえ王女には変わりないもんな。下手な真似をして、この子になにかあったら大変だ。軽はずみな発言は控えるとしよう……。
「……? どうかされたのですか、先生?」
「いや、なんでもないよ」
材料をキッチンに並べながら、何気なく応じた俺は改めてシャーロットを見やった。口下手で引っ込み思案な子が、いまでは打ち解けたように親しく言葉を交わしている。
もしかしたらそれはお菓子教室の間だけかもしれないけれど、それでも以前よりも遙かに人間的な成長を遂げていることに、実の兄のような喜びを覚えつつ、俺はよしと両手を合わせた。
「それじゃあ、今日のレッスンを始めるとしようか」
「はい、よろしくお願いします、先生! 今日はなにを作るのですか?」
「今日は、エルフの街で教わったお菓子を作ろうかなって」
「お菓子、ですか?」
シャーロットはそう言って、目の前にあるオリーブオイルの瓶を眺めやった。
「お菓子にオリーブオイルを使うのですか?」
「みたいだよ。俺も教わっただけで作るのは初めてなんだけどさ」
例のパフェ祭りの最中、エルフたちがこのお菓子を振る舞ってくれたのだ。なんでもハレの日には必ず用意するお菓子だそうで、せっかくならばと作り方を聞いてきたのである。
「心配せずとも、うまくいくよ。早速、“メロマカロナ”を作っていこう」
***
大きめのボウルにふるった小麦粉と重曹を入れる。そこに大量のオリーブオイルを注ぐのだ。本当は果実酒も入れるらしいのだけれど、シャーロットの年齢を考えて今回はやめておこう。
さらに砂糖を加えて混ぜ合わせたら、そこへすりこぎで細かく潰したシナモンやグローブなどの香辛料を加え、さらによく混ぜ合わせる。
皮付きのオレンジを用意したら、果汁を搾って、ボウルの中に加える。余った皮の部分はすりおろしてから加え、生地全体を混ぜていこう。気持ち柔らかめの生地に仕上げるのがポイントらしい。
生地を手に取り、卵のような形に成形したら鉄板に並べていく。真ん中部分を指でつまみ、フォークの背であとをつけたら、オーブンでじっくりと焼いていこう。
焼いている間にシロップを作ろう。鍋に水、蜂蜜、砂糖、それに輪切りにしたレモンを加えて軽く火にかける。沸騰したら火から下ろし、粗熱を取っておくのだ。
焼き上がった生地を網に移し、上からシロップをかける。細かく切ったナッツ類をふりかけて、しばらく休ませたら伝統菓子“メロマカロナ”の完成だ。
***
「あまーい! でもでも、どことなく爽やかで、とても美味しいです、先生!」
試食したシャーロットは頬を紅潮させ、出来上がりのメロマカロナを頬張っている。シャーロットにとっても、想像以上の甘さだったようでメイドが淹れてくれた紅茶と交互に味わいながら、ほうっと息を吐いた。
「あっ、先生。紅茶と合わせるととっても美味しいですよっ」
頷きながら、俺は自作のメロマカロナを口へ運んだ。
もぐ、もぐもぐもぐ……、ん~……、確かに甘い、あれえ? エルフの街で食べた時って、こんなに甘かったっけなあ? もう少し、甘さ控えめでオレンジの風味が際立ってたはずなんだけど……。お酒入れてないのが影響しているのか?
そんなことを考えながら、二口目のメロマカロナを口元に運びかけて思い出した。そういえば、作り方を教わった際に、「作った翌日以降に食べるお菓子」だということも聞いていたのだ。
なるほど、甘さが際立つのは生地と馴染んでいないせいかと思い直した俺は、シャーロットに事情を説明し、木製のバスケットを用意してメロマカロナを詰め込み始めた。
「休ませる必要があるお菓子があるのですね?」
「お菓子作りだと割とよくある技法なんだ。ケーキの生地にシロップをかけて馴染ませたりとかね。でも、せっかくなんだ。作りたてを食べたいよね」
しかしまあ、お土産として渡す分には悪くない。明日以降、お母さんと一緒に仲良くお茶の時間を楽しんでもらえばそれでいいじゃないか。
メロマカロナを詰め込んだバスケットをメイドに預けた俺は、代わりのお菓子を用意すべく準備に取りかかろうと保冷庫へ足を向けたのだけれど。
まさにそのタイミングで、屋外から馬のいななく音が響き渡ったかと思いきや、店の扉が勢いよく開かれたのだ。
「ごきげんようですわ、透様っ! シャーロット!」
「なんだサラか」
「なんだとはなんですのっ。というか、お二人とも、なにを悠長にエプロンなんてまとっていますのよっ」
飛び込んできたサラは開口一番声を上げては、こちらの姿格好に注文をつける。って言われても、こっちはお菓子教室を開いているまっただ中なんだし、これ以外の服を着ていたんじゃ逆におかしいだろう?
そんな不満を声に出そうと口を開きかけた、その瞬間、背後から「あっ」と、思い出したような声が耳元に届いた。
「そうでしたっ。先生、今日はお菓子教室以外にも、先生にお伝えしなければいけないことがあったのです」
お手数ですが、着替えてきてもらえませんか? そう付け加えるシャーロットにいぶかしげな視線を向けて、俺は問い尋ねた。
「着替えるのはいいけれど、どこかに出かけるのか?」
「そうではありません。エプロン姿のまま叙勲というのは、あまり格好がつかないかなと思いまして」
叙勲? 誰の?
「決まっているじゃありませんか、透様。貴方ですわよ。紳士たるもの、もう少し察しがよくなくては困りますわ」
「……は? 叙勲? ……俺が?」
どうして? 理解できないとばかりにぽかんと口を開けていると、シャーロットは天使のような微笑みでさらに付け加えるのだった。
「おめでとうございます。先生は本日より騎士になられますっ」




