47.コンテストとゼリーサラダ(前編)
明けて翌日。
窓の外から聞こえる歓声と楽器の音色によって、俺は夢の世界から現実へと引き戻された。
慣れない長時間の乗馬移動による筋肉痛に襲われながらも、なんとかベッドに身体を起こす。カーテンを開けて外を眺めると、そこではエルフの楽隊による行進が始まっていて、なるほどアレクシアが話していたお祭りとやらはこれかと俺は気づかされたのだった。
「それにしたって……」
ずいぶんと朝早くから始まるんだなと、半ばあきれるように、俺は再びベッドの中へ潜り込んだ。正確な時間はわからないけれど、おそらく六時にもなっていない。
いくらお祭りがあるとはいえ、こんな早朝からは付き合いきれないし、第一、楽しもうにも肉体の疲労感が邪魔をして、それどころじゃないのだ。
「そんなわけでおやすみなさい。良い夢を……」
カフェの店主としては滅多に味わえない二度寝の快楽に身を委ねるべく、柔らかな毛布に包まって、瞳を閉じる。やがてやってくるであろう睡眠の精霊を静かに待っていた最中、部屋の外からドタドタという足音が響き渡り、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「透っ! お祭りだぞっ! 朝食を済ませたら、屋台の食べ歩きに行こうっ!」
「にゃにゃにゃ!」
頭だけ動かして瞳を開ける。そこには黒猫のラテを抱きかかえたレオノーラがいて、藍色のポニーテールを動かしながら、朝にふさわしい爽やかな笑顔を浮かべているのだった。
やがてラテは枕元に飛び移り、俺の顔を前足でちょいちょい触れては起きるように促している。愛猫のかわいらしい仕草にいじらしさを覚えるものの、期待に応えられるほどの気力はない。
「悪いけど、もう少し寝かせてくれ……。昨日の乗馬で身体が悲鳴を上げていて、休んでいたい気分なんだ」
レオノーラのことだ。こんなことを言ったところで、食べたら治るぞとか言い出すんだろうなとか、そんな返答を待ち構えていたのだけれど、こちらの予想に反し、レオノーラはベッドの横にしゃがみ込んでは、心配そうに俺の顔をのぞき込んだ。
「む……。そうか。ジョセフィーヌは乗りやすい馬だが、不慣れな透にとって長時間の乗馬は過酷だったか」
……あれ? いつもと違って、なんだかおとなしいじゃないか。どうしたんだ。
「うん。実は昨夜、エリーから叱られたんだ。透は疲れているのだから、ちゃんといたわってあげなさい、と」
なるほど、エリーが言い聞かせてくれたのか。十年来の幼なじみから諭されたら、さすがの女剣士も堪えるだろうなとか思っていたら、「ちょっと待っていてくれ」と言い残し、レオノーラは部屋から飛び出していった。
そうして少し経ってから戻ってきたレオノーラの手には、緑色の液体で満たされた、なにやらあやしげな小瓶があって、それを俺に見せつけてはこんなことを言い出した。
「一角獣騎士団に伝わる薬なんだ。様々な薬草を混ぜて作ったから、疲労回復にはうってつけだぞ」
「……まさか、それを飲めとか言うんじゃないだろうな」
「……? 飲むわけないだろう。身体に塗り込んで使うのだから」
言うやいなや、毛布を剥ぎ取ったレオノーラは俺の寝間着に手をかけて、
「よし、脱がすぞ」
とか、信じられないことを言い始めた。待て待て待て待て、一体なにをしようって言うんだっ!?
「服を着ていたら、薬を塗り込めないだろう? だから脱がす」
「おまっ……、いきなりなにを言い出すかと思えば……。いいよ、その薬だけもらえれば自分でやるって」
「背中などは手が届かないだろう。遠慮せず、私に身を任せるといい」
「にゃー」
「うん、そうか。ラテさんも脱がすのを手伝ってくれるか、では早速……」
そう言って、ズボンを脱がそうとする。お前、背中に塗るとか言ってたじゃないか! なんで下半身からなんだよっ!?
「乗馬で特につらくなるのは足腰だからな。昨日、エリーに回復魔法をかけてもらっていたじゃないか」
いや、確かに、主にお尻を中心に回復魔法をかけてもらっていたけど、それは服の上からであってだね。素肌に直でって訳じゃないんだよ……って、ズボンから手を離せって!
「暴れるな、脱がしにくい」
「暴れるわっ!」
必死の抵抗を試みたものの、ダメージを負った運動不足の男と現役の凄腕女剣士とでは、いかんともしがたい腕力の差があってだね……。
あっという間にパンツ一枚だけの姿となってしまった俺は、うつ伏せの状態になりながら、気恥ずかしさから枕に顔を埋めるのだった。
「もうお嫁に行けない……」
「なにを言っているんだ? ほら、始めるぞ」
こちらの様子などお構いなしに、よいしょとベッドに上ったレオノーラは、ふくらはぎのあたりにまたがって俺の太ももに手を添える。
液体の冷たさとひんやりとした手のひらの感触がくすぐったくて、身体を動かしたい衝動に駆られたものの、それは一瞬で終わった。足をもみほぐすレオノーラの手が純粋に心地よかったのだ。
「……あ、なんか気持ちいいかも」
「当然だ。私のマッサージ技術は一級品だぞ?」
自信を持って応じるレオノーラの声を耳にしながら、俺はほんのりと漂う爽やかな香りの存在に気がついた。
聞けば薬草類に香油を混ぜているのだという。なるほど、いい香りの正体はこれかと思いつつ、おとなしく身体を委ねる。
「うん、力が抜けてきたな。それでいい。筋肉をほぐしていくぞ」
丹念に両足をもみほぐした手が背中へと移る。その優しい手つきが眠気を誘い、俺は自然とまぶたが重くなっていくのだった。
「眠いのか? 寝てしまっても構わないぞ、透……」
知らない間に顔を近づけていたのだろうか、レオノーラが耳元でささやく。
「ふふふ、かわいい顔をしているな、透。これからは、私がいつでも気持ちよくやるからな……」
他人が聞いたら誤解を招きそうな台詞を言うんじゃないっ……と、突っ込みたい気持ちはあるものの、眠気には逆らえない。
そのまま夢の世界へ突入していた、まさにその時だった。扉の開く音とともに、柔らかな声が部屋の中に響き渡った。
「透さん、おはようございますっ♪ 朝です、よ~……」
明らかに戸惑った口調に変わるエリーの声が、驚きと怒気をはらんだものに変わるまでは一瞬の間を要した。
「なななななななななな、なにをしているのよ、レオノーラっ!!!」
「……? 見ての通り、マッサージだが?」
「だだだだだだだだからって、服を脱ぐ必要……透さんもどうしてっ!」
「い、いや、違うんだ、エリー。これには訳があってだね」
「おはよう。気分はどうかな……おや?」
どこからどう見ても修羅場の様相といった雰囲気の中、顔を覗かせたのはハイエルフのマリウスで、持ち前の美しい銀髪に手をやりながら続けるのだった。
「お取り込み中だったかな。それじゃあ僕はこれで……」
「いやいやいや、まったく、まったく取り込んでいないので安心してくださいどうぞ!」
なんとかベッドに身体を起こした俺は、慌てて寝間着を羽織りつつ、顔を真っ赤にさせたエリーに向き直るのだった。
「不潔、不潔ですっ、透さん!」
「違う! 決していかがわしいことはしていないんだって! 見ての通りマッサージしてもらってただけなんだって!」
「だって、は、裸でなんて……! うらやましいっ」
うらやましいってなんだ? いや、そんなことより誤解を解かなければなとか思いながらレオノーラのほうへ視線を向ける。すると、レオノーラはふむとなにやら考え込んで、
「エリーも疲れているのか? 言ってくれたら私がマッサージしてやるぞ」
とか、見当違いなことを言い始めるのだった。くそう、これだからド天然はっ……!
決してかみ合うことのないやり取りへと発展しそうなので、とにもかくにもエリーをなだめるべく、ラテを加えながら必死に説明を続けること数分間。
ようやく落ち着いたところで、俺はあらためてマリウスに向き直るのだった。
「すみません……。お騒がせしまして……」
「うん、人生相談に乗ってあげたい心境ではあるけれどね」
苦笑いを浮かべながらマリウスは本題を切り出した。
「今日、祭りが催されることはアレクシアから聞いているだろう?」
「ええ、昨夜、伺いました」
「実を言うとね、この祭りは透君がいないと始まらないものなんだよ」
「……はい?」
「とにかく、着替えてくれると助かる。案内するよ」
そう言い残し、マリウスは部屋を後にする。残された俺たちは訳もわからず顔を見合わせながらも、外出するための支度を始めるのだった。




