46.エルフの街とキャロットケーキ
馬から降りた俺たちは、マリウスとアレクシアのあとに従って歩き始めた。
「二人がそばについているから、魔物や魔獣に襲われたところで問題ないと思っていたのだが……。そうかそうか、こちらが思っていた以上に、透君に負担をかけてしまったか」
申し訳ないことをしたねと口にしつつ、マリウスは手慣れた様子でジョセフィーヌを引き連れていく。
俺はといえば、お尻のあたりを手でさすりつつ、面目ないという思いと、わかっていたならもう少しは配慮してくれてもよかったのではないかという思いを、心の中でないまぜにしながら、先を行くハイエルフに問いかけた。
「二人がそばについているから問題ない……って、エリーとレオノーラのことですか」
「もちろん。二人は高名な聖女と凄腕の剣士だからね」
「もっとも、あのお店にいる時のお二人からは想像できないでしょうけれど」
アレクシアがおかしそうに微笑むと、エリーは照れたような表情を浮かべ、レオノーラは得意げに胸を張り、足元の黒猫に話しかけるのだった。
「どうだ、ラテさん。私はすごいんだぞ? 見直しただろう?」
「にゃにゃあ」
「うんうん。ラテさんは素直でかわいいな。透もこれぐらい素直に私のことを褒めたたえてくれてもよいものだが」
……って、言われてもなあ。こっちはお前が大食いしている姿しか見たことがないからな。その手の雄姿は想像もつかないというか。
そんなこんなで雑談を重ねながら、石畳で舗装された道を歩いていた俺たちは、閑静な住宅街を通り抜けると、やがて、多くのエルフ族で賑わう、とある空間にたどり着いたのだった。
「ここが中央広場だよ。別名『水流広場』とも言うんだ。名前の由来はご覧の通りさ」
マリウスの声を聞きながら、俺は『水流広場』とも呼ばれる空間の光景に目を奪われた。
人工的に作られた小川が街中のいたる所に張り巡らされ、それらが合流し、中央に位置する巨大な池に集まるのだ。
小川のせせらぎに心地よいものを覚えながら、池を眺めやる。中心には大理石で作られたエルフの彫像が飾られていて、華を添えるように小さな噴水がそれを取り囲んでいるのが見てとれた。
広場のあちこちにはエルフたちの魔力で点いているという街灯が立ち並び、その下にはベンチが置かれ、人々が憩いの時間を楽しんでいる。
「にゃあ。にゃにゃあ」
ラテとは異なる鳴き声に視線を落とす。すると、どこからかやってきた数匹の猫が、ラテの周囲に集まっては、あいさつ代わりに黒猫にまとわりついて、匂いをかいだり、体にすり寄ったりしている。
一見すると、ほのぼのとした様子だけれど、なんというか、とにかく猫の数が多い。
ラテの周りだけでも五、六匹はいるのだけれど、視線を向けた先に猫、猫、猫と広場のあちこちに猫がいて、エルフの街と言われなければ猫の楽園と勘違いしてしまいそうなほどなのだ。
「前にもお話した通り、我々エルフ族にとって猫は神聖な生き物ですからね。丁重に扱わねば、罰が当たるというものですよ」
ダークエルフであるアレクシアが微笑ましくラテと数匹の猫を見やっていたものの、長旅の疲れからか、ラテも疲れているようで、逃げるようにぴょいっと俺の肩に飛び乗っては、ため息まじりに「なぁ~……」と声を出すのだった。
「ふふ、そうでしたね。透さんもラテもお疲れですものね。すぐに宿へご案内します」
「いやあ、それはありがたい。長時間の乗馬で、身体のあちこちが悲鳴を上げているんですよ。できればすぐに休みたいというのが本音でして」
「まあ」
「休むのはかまわないが、透。夕食と酒はどうするつもりだ?」
退屈だといわんばかりにレオノーラが呟くものの、こちらとしては一分一秒も早く休みたいというのが本音でね……。
「そういったわけで、付き合えそうにない。悪いが一人酒の時間を過ごしてくれ」
「むぅ……。透と飲めるのを楽しみにしていたのだがなあ」
「ワガママ言わないの。お酒なら私が付き合ってあげるから」
フォローするように間に入ったエリーは、こちらに向き直って語をついだ。
「透さん。お酒はともかく、夕食は済ませたほうがいいですよ。栄養をとったほうが、その分、疲れも早く回復しますし」
「わかってはいるんだけど、食欲がなくてね。できればすぐにでもベッドに飛び込みたい心境なんだよ」
「よろしければですけれど。エルフ族に伝わる料理を作りましょうか? 滋養のつくものなのですけれど」
疲労困憊といった俺を見かねたのか、アレクシアが口を開いた。
正直に言ってしまうと、何も食べる気が起きない。……が、それ以上にエルフ族に伝わる料理とやらが気になって仕方ない。その上、滋養がつくなら、いまの俺にうってつけじゃないか。
「それではお言葉に甘えて、お願いしてもいいですか?」
「ええ、喜んで。簡単ですぐに作れますし、宿屋のキッチンを借りることにしましょう」
そう言って先を行くアレクシアの後に従うと、なぜかレオノーラとエリーが後ろからついてくるのだった。
「……? 酒を飲みに行くんじゃなかったのか?」
「何を言っているんだ、透。酒場と宿屋は大抵、併設されているものだろう」
……言われてみれば確かに。エドガーの親父さんのところも宿屋やってたっけなあ。
「そういったわけでだ。今日はエルフ族に伝わる料理をつまみに、旨い酒を飲もうじゃないか」
「もう。結局、アレクシアさんの料理を頂戴する気なんじゃない。アレクシアさんは透さんのために作るのだから、欲張るのはよくないわよ?」
「いえいえ、良いのですよ。皆さんに召し上がっていただいたほうが作りがいもあるというものですし」
柔らかな声に恐縮したエリーが手伝いを申し出たものの、アレクシアは巧みにそれを断ってみせる。
「エルフ族に伝わる料理、ですもの。みなさんのお手を煩わせるわけにはいきません」
銀縁の細い眼鏡から覗かせる切れ長の瞳をウインクさせて、アレクシアは先を進んでいく。
「ラテにもごちそうを用意しますからねえ」
「にゃあ」
嬉しそうな黒猫の鳴き声に微笑む。クールビューティーで知られる彼女の異なった一面を新鮮に感じつつ、俺たちはアレクシアの後について宿屋に向かうのだった。
***
宿屋の店主と二、三、言葉を交わしたアレクシアは「それでは準備しますね」と、そのまま厨房へと足を運ぶのだった。
手伝わせるわけにはいかないと言っていたけれど、どんな料理ができるのか、どんな材料を使うのか、調理工程が気になって仕方ない。
そんな思いから、俺はたまらず声を上げるのだった。
「アレクシアさん。良ければ作る様子を見学していてもいいですか?」
「……? ええ、構いませんが……」
よしっ! おそらく滅多にお目にかかれないであろう、エルフ族の料理を拝むことができるぞ! いったいどんな料理ができあがるのか、楽しみで仕方ない!
「そんなに期待されても……。作るのは野菜を使った簡単なケーキですよ?」
エプロンを身にまといながら、アレクシアが呟く。いいじゃないか、野菜を使ったケーキ。レシピを覚えられるなら店でも振る舞いたいし、是非とも覚えたいところだ。
「それでは始めますね」
そう言ってアレクシアは野菜の入った木箱に手を伸ばし、鮮やかなオレンジ色をしたニンジンを取り出すのだった。
***
ニンジンをよく洗い、水気を拭き取ったら、すりおろしていく。
別途、用意したボウルに卵と砂糖を入れたらよくかき混ぜたら、油を加え、さらによく混ぜ合わせる。
そこに、すりおろしたにんじん、レモン汁、振るいにかけた小麦粉と重曹、粉末状にしたシナモンとナツメグを加え、木べらで切るように混ぜていくのだ。
軽く粉が残っている状態になったら、細かく刻んだドライフルーツ類を加え、さらによく混ぜ合わせていく。
「ドライフルーツは何を使ったんですか?」
「今回はレーズンとイチジクです。ナッツ類を加えても美味しいですよ」
応じながらもアレクシアは手を休めない。円形の焼き型を用意し、そこへ混ぜ合わせた生地を流し込むと、熱したオーブンに投入するのだ。
「少し弱火でじっくりと焼いていきます。こんがりときつね色に焼きあがったら、キャロットケーキの完成です!」
***
粗熱を取ったキャロットケーキを手慣れた様子で切り分けたアレクシアは、それを皿に盛り付けると、脇にクリームチーズを添えた。
「お好みでチーズを塗ってお召し上がりください。スパイスとドライフルーツによく合うんですよ」
なるほどと頷きながら、俺はとりあえずそのままのキャロットケーキを味わってみることにした。
元いた世界でもキャロットケーキはさほど珍しいものではなかったけれど、エルフ族に伝わるキャロットケーキと違いがあるのか気になったからだ。
「いただきます」
そう言って、一口大に切り分けたケーキを口へと運ぶ。
……もぐもぐ、もぐもぐ……おお、なるほど、これは……。
「おいしいっ!」
「良かった。気に入っていただけたようで」
胸をなで下ろすアレクシアとキャロットケーキを交互に見やりつつ、俺は素直に感動を覚えた。
まず、ケーキそのものが非常になめらかな仕上がりなのだ。その上、大量のニンジンを入れているにもかかわらず、クセが少ない。
どちらかといえばスパイスの風味が際立っているんだろうなあ。合間合間で感じるドライフルーツのごろっとした食感も食べていて楽しい。
なるほど、野菜に香辛料にドライフルーツが入っていれば、それはもう滋養もつくだろうと納得しつつ、俺は二口目のキャロットケーキを口に運んだ。
いいよなあ、自然な甘さのケーキ。アクセントが効いているのも素晴らしい! これはクリームチーズをつけてもまた美味いんだろうなと、添えられたクリームチーズに手を伸ばした、まさにその瞬間。
横からぬっと伸びた手が、俺の皿からクリームチーズを奪い取ると、手にしていたキャロットケーキに塗りたくって自らの口へと放り込むのだった。
「もぐ、もぐもぐもぐ。むっ! ドライフルーツにスパイスにチーズ……。これはまた絶妙な味わいだな、アレクシア!」
誰あろうレオノーラである。……お前ぇ……、「できあがるまで待てない」とか言って、酒をあおるように飲んでいたのに、いつの間に……!
「美味しそうな匂いがしたからな、ついつい」
「ついつい、じゃないっ。俺のクリームチーズ返せよっ」
「まあまあ、おかわりもありますから」
困惑するアレクシアを眺めながら、隣で腰を下ろしたエリーがくすっと笑い声を上げる。
「なに? どうしたの?」
「いえ、アレクシアさんの様子が、いつもの透さんみたいだったので」
そうかあ? 俺、いつもあんな困った感じになっている……いるな。クローディアとか絡むとああなる自覚があるもんな。
……しかし、それにしても。
宿屋の一階にある酒場に集まった人々の異様な熱気と盛り上がりはすさまじく、先ほどから呆気にとられるほどで、若干、閉口してしまうほどなのだ。
人間もエルフも関係なく、酔っ払えばこんな風になってしまうのかなと考えていた矢先、おかわりを持ってきてくれたアレクシアがその疑問を解決してくれた。
「いつもはもう少し静かだと思いますよ。今日は特別ですね」
「特別、ですか」
「ええ、明日からお祭りなのです。前夜祭といったところでしょうか」
ああ、お祭りか。であれば、多少、騒がしくても仕方ないか。……俺が寝るまでには静かになってくれるとありがたいけど。
とはいえ、お祭りがあるなんて知らなかったなあ。マリウスもアレクシアも教えてくれたら良かったのに。まあ、遊びに来るタイミングが良かったと思って、俺たちも明日からのお祭りを楽しむとするか。
……と、この時はそんなことをのんきに考えていたのだけれど。
これが波乱の幕開けになるとは、このときの俺は想像もしていなかったのである。




