44.駄女神の願いとアクアパッツァ
「ほーん? 今度はお菓子の家庭教師を始めたんかあ。透も手広いやっちゃのう」
行儀悪く、ズズズと音を立てながら紅茶を飲みつつ声に出すのは、酒好きでお馴染みのクローディアである。
いつものようにふらりとやってきた糸目の駄女神は、挨拶のように「なんかオモロイ話ないの?」と切り出して、こちらの近況報告に耳を傾けるのだった。
「成り行きでそうなった感じですけどね。まあ、個人的にもいい気分転換になりますし」
「にしたって、王女様相手に教えるわけやろ? なんかこう、『無礼を働いたから処刑』とか考えなかったん?」
「あんまり深く考えなかったですねえ」
「……自分。大臣から目ぇ付けられて、ここに引っ越してきたんやろ? ちっとは物事考えたほうがええんと違うん?」
「でも、シャーロットはそんなことしないと思いますよ。優しい子ですし」
「本人にその気がなくとも、周りがあることないこと吹き込んだら終いやって話やん。いい機会やから言うとくけどな、もうちょっと、危機管理っちゅうもんを考えたほうがええで」
お茶請けに出した栗の渋皮煮をつまみながら、いつになく真面目な口調でクローディアは続ける。
「優しいんが、透のええところやけどね。それが原因で痛い目おうたら元も子もないやんか」
「そんなことはないと思いますが」
「いいや、ある!」
カウンターテーブルを叩きつけんばかりの勢いでクローディアは断言する。
「あっちこっちにええ顔してる場合やないんやで、透っ。初心忘れずべからずっちうやつや。ここへやってきた、本来の目的を思い出しや」
「本来の目的……?」
と、いわれたところでいまいちピンとこない。えー? なにかあったかな? 平穏無事にカフェ経営ができればそれでいいと思っていたけど、そうじゃないのか?
「わからんか……?」
「わっかんないですねえ」
「ウチは悲しいわ……。透がこない薄情やとは思わんかったで……」
がっくりと肩を落とし、クローディアはさめざめと続ける。薄情? いよいよわからなくなってきたなと思い悩んでいた矢先、女神は空になったティーカップをテーブルに戻してから声を上げた。
「ウチに酒のアテ作ってくれるいうた約束、最近、おろそかになっているやないの!」
「あ~……」
「『あ~』やないのよ、『あ~』や! ウチがどれだけ期待に胸を膨らませて、ココへ通うているか、自分にはわからんの!?」
テーブルに突っ伏したクローディアは、ついに人目をはばかることなく、わんわんと泣き始めるのだった。慰めるように、ラテが近づき、頭にそっと前足を添える。
「ウチの悲しみを理解してくれるんは、ラテだけやで……。ほんま、お前の飼い主は冷たいやっちゃのぅ?」
「にゃー?」
「誰が冷たいんですか、誰が。お店に来るたび、ちゃんとお酒ご馳走してるじゃないですか」
「酒だけやと物足りへんもーん。酒が進むモンも食べたいんやもーん」
ピタリと泣くのを止めた駄女神は、黒猫を抱きかかえて左右に揺らしながら、みずからの要望を口にする。こういうところあるよなあ、この人は……。
ていうかね、ウチはカフェであってバーじゃないんですよ。酒のアテって言われたところで、いつだって用意できるわけじゃないわけで……。
「うわーん! 透がアテを作ってくれへん! このままやと、ウチの力もなくなって森と湖が守れんくなる!」
「さりげなく大自然に影響を及ぼさないでください。そこまでいうなら、なんか作りますけど……」
「ホンマ!? いやぁん、透、愛してるわぁ!」
身体をくねらせる駄女神を無視して、俺は冷蔵庫の中にある材料を確認し始めた。エリーの聖域栽培で育てた野菜が少し、それにレオノーラが湖で釣り上げた魚と湖畔貝があるな。
……うん。これだけ揃っていれば十分だろ。淡水魚で作ったことはないけれど、ここはひとつ、アレを作ってみるか。
***
魚は内臓と鱗を取り、よく洗い流してから水気を拭き取ったら、塩コショウで下味を付けておく。
フライパンにオリーブ油、ニンニクを入れて炒めながら香りを出そう。下味を付けた魚を入れ、皮目をパリパリに焼いていくのだ。
魚を裏返したら、湖畔貝、カットしたトマト、ブロッコリー、パプリカにブラックオリーブなどを加えて、白ワインをこれでもかと投入する。
蓋をしてしばらく蒸し煮したら、仕上げにパセリを振りかけよう。
深皿に盛り付けたら、アクアパッツァの完成だ!
***
「ふおー! 魚の身がふっかふかやん! ワインめっちゃ進むわー」
大量の白ワインを使っている料理をつまみにしながら、白ワインをかっくらうクローディア。どうやら機嫌もすっかり直ったらしい。アクアパッツァと白ワインを交互に口へと運んでいく。
「魚だけやない。貝も野菜もめちゃうまやで? どれを食べるか迷ってしまうわあ」
「ええ、おかわりもありますし、いっぱい食べてください」
すると、なにかに気づいたようで、クローディアは我に返ったように真剣な眼差しでこちらを見やった。
「……アカン、透。ウチ、いま凄いことに気付いてもうた」
「どうしたんです?」
「このスープだけで、白ワインがめっちゃ進んでまうわ……」
「魚と貝から、いい出汁が出てますからねえ」
「ついにウチも汁気で酒がイケる境地になってもうたか……。自分の成長がつくづく恐ろしくなるで……」
それは成長というより、駄目な方向への退化じゃないですかね、と、思わなくなったけれど、本人は満足そうなので黙っておく。
「これでわかったやろ、透」
ワイングラスに手酌で透明な液体を注ぎながら、突如とばかりにクローディアは切り出した。
「なにがです?」
「いま一度、自分の身の周りのモンを大切にせえよってことや」
「はあ」
「こうやってな、ウチのことをおざなりにせず、きちんともてなしてくれたら、湖も森も潤う。自分は大自然の恵みをゲットできる。Win-Winの関係が築けるわけやん?」
「はあ……」
「だから、あっちこっちフラフラしてへんでやね、この店ででーんと大きく構えてやな……」
いかん……。これはタチの悪い絡み酒の予感がするぞ……?
それとなくクローディアからラテを引き離し、敵前逃亡の準備を整えていた、まさにその最中だった。
店の扉がゆっくりと開き、顔なじみのハイエルフとダークエルフが店内に現れたのだ。
「んあ? マリウスとアレクシアやんか。自分ら、どないしてん?」
「それはこちらのセリフですよ、女神クローディア。端から見たら、透さんをいじめているようにしか見えませんでしたよ?」
肩をすくめるアレクシアに、クローディアが唇をとがらせる。
「いじめてるわけないやん。透に店主として自覚がないから、お説教してただけやもん」
「似たようなものではありませんか」
「まあまあ、お二人ともそのぐらいで。それで、今日はどうされたんですか?」
さりげなく割って入ると、マリウスは椅子に腰を下ろしながら切り出した。
「いやなに、今日も透君の乗馬訓練に付き合おうと思ってね」
「それは助かります。おかげさまで少しずつですけれど、乗れるようになってきましたし」
そうなのだ。レオノーラの熱意だけはある指導と、二人の懇切丁寧な解説により、最近はジョセフィーヌを闊歩させるところまではできるようになったのである。
このままいけば、自在に馬を駆ることもそう遠くない未来だなと想像の羽を広げていると、マリウスはこんな提案を持ちかけるのだった。
「それだよ。今回は趣向を凝らした指導をしようと思ってね」
「趣向ですか?」
「うん。どうだい、透君。乗馬の訓練がてら、ハイエルフとダークエルフの街まで遊びに来ないかい?」




