43.先生と三色パン
その日の夕食時、話題に上がったのはもちろんシャーロットの一件で、王女とはいえ、健気に夢を追いかける少女の姿に、俺は素直に感銘を覚えたのだった。
とはいえ、だ。側室の子だとはいえ、王女は王女。職業選択の自由が果たしてあるのかというのは気になるところで、そのことについて尋ねると、レオノーラはきっぱりと否定してみせる。
「本人には悪いが、まずムリだろうな。王室、しかも女として生まれたからには、そもそも選択肢はない」
貴族の家に生まれた娘は、言葉は悪いが“道具”として扱われることが義務になっているそうだ。
家を守るため、また血縁を強めるため、当然のように政略結婚を強いられるらしい。
「そういったわけで、夢はあくまで夢で終わるというのが現実だろう。気の毒な話だが」
断言してから、レオノーラはコンソメスープをスプーンですくい取ると、喉を潤すように口へと運ぶのだった。
なるほどねえ、名門の家柄出身でもある騎士団長が言うと説得力があるなあと、心と体の両方で頷きそうになったものの、俺はすぐさま素朴な疑問に気がついた。
「まてまて。その理屈でいえばだ、レオノーラも似たような境遇だと思うけど、お前は例外なのか?」
「うむ。両親がさじを投げたからな」
なぜか得意げといった面持ちでレオノーラは応じる。
「成人前には騎士団に所属していたし、見合い話が来たところで会おうともしなかったからな。気付けば独身のまま、齢も十八になってしまった」
こちらの世界では十四歳で成人し、遅くとも十六歳には結婚していないと“行き遅れ”扱いされるそうだ。元いた世界の常識とはかけ離れた倫理観に、めまいを覚えてしまう。
「一般庶民も同じようなものですよ。親同士が話し合って子どもの結婚を決めることがほとんどです。自由に恋愛して結婚というのはあまり聞いたためしがありませんね」
割って入ったのはエリーで、こちらは口元を布ナプキンで拭いながら続ける。
「とはいえ、産まれたときから将来のことを決められてしまうのは、私としてもどうなのかなあと思いますけれど……」
聖女としての定めを受け、十年もの月日を神に捧げて生きてきただけに、エリーの言葉には含蓄がある。
……しかしそうか。少なりとも想像はしていたけれど、お菓子屋さんになりたいという少女の願いが叶わないとわかってしまうのは、なかなかにしんどいものがある。
子どもには夢を見たり、将来に希望を抱く時間が必要だと思うけれど、それすらかなわないのは厳しいよなあ。
なんとかしてあげたいけれど、立場が違いすぎるし、王室からしてみたら「余計なことに首を突っ込むな」って話だろうしなあ。
「シャーロット嬢がどうしてもお菓子屋さんになりたいというのであれば、一応、手段がないことはないが」
パンを頬張りつつレオノーラは呟く。参考までに聞いておこうかと促してみると、返ってきたのはとんでもないアイデアだった。
「簡単な話だ。菓子職人に爵位を与え、そこに嫁がせてしまえばいい」
政略結婚とは、強固な血縁関係を築くことに意味があるわけだから、あらかじめ相手方をそれなりの地位に就けてしまえば、問題は解決されたようなものである。
つまり伯爵とか子爵という爵位を抱いた菓子職人の元に嫁いだ後、みずからも菓子職人を名乗ればいいというのだ。それはまたずいぶんと極端な形の逆説的なアプローチじゃないか。
突拍子もないレオノーラのアイデアは置いておくとして、だ。こちらの世界の常識に照らし合わせて考えてみると、俺は相当に自由な生活を送っているんだなと、つくづく実感するね。
二十三歳で独り身、愛猫と気ままにカフェ経営だもん。そりゃ、ミーナだって顔を合わせるなり「フラフラしてるんじゃない」ってお節介を焼いてくるよ。
せめてシャーロットにも、そういった感じで親身に相談に乗ってくれる人がいたらいいのになあとか思いながら、この日の夜は更けていくのだった。
***
それから数日後。
せっかくエリーがいてくれるにも関わらず、この日の店とはいえばヒマを持て余しているといった有様で、来客がないことをいいことに、ラテなんかは丸テーブルのひとつを占拠して、朝からずっとうたた寝をしているのだった。
「お客さん来ませんねえ?」
清掃を終え、食器を磨きながら何気なくエリーが呟く。俺は俺で、まあこういう日もあるよなあと思いながら、むしろこういう暇な時間を有効活用しようじゃないかと、新メニューを開発すべく、パン生地の仕込みに取りかかった。
「なにを作られるんです?」
「ん~? ほら、型抜きクッキーが評判いいでしょ? あれと似たようなことをパン作りでもできないかなってさ」
そうなのだ。おかげさまでお土産用の型抜きクッキーは、可愛らしいデザインもあってか好評を博しており、あまりに売れすぎた結果、現在は品切れ中といった様相なのである。
それなら暇な時間を利用してお土産用クッキー作りに精を出せばいいじゃないかと思われそうだけれど、流行はいつ廃れるかわからないので保険をかけておきたいわけだ。
動物や果物を模した型抜きクッキーのデザイン性が受け入れられたのなら、同じく動物や果物の形をしたパンだって受けるんじゃないか?
そう考えていた俺は、以前よりパン生地を多く作っては、猫やウサギなど、動物の形をしたパンを焼こうと考えていたのである。
もっとも、普段はレオノーラを筆頭にパンの消費量が多く、とてもじゃないけれど試作ができない状況にあったのだけれど。
今日のように暇な日であれば、思う存分、いろいろなパンが作れるぞと考えたのだ。
「それでしたら、私もお手伝いしますね? こう見えて、動物の絵を描くのは得意なんですから。パンだって同じように作れますよ」
孤児院では、子どもたちに自作の絵を披露していたというエピソードを交えつつ、エリーはえへんと胸を張った。心強いねえ。
そんな話をしながらパン生地を仕込んでいた最中、店の外がだんだんと賑やかになってくることに気がついた。
まさかタイミング悪く、団体のお客さんが来たのではと訝しんでいると、窓辺に駆け寄ったエリーが振り返り、小首をかしげてみせる。
「お客さん……なのでしょうか? それにしては物々しいといいますか……」
訝しげなエリーの声に、俺は仕込みの手を休めると、様子を見るため、一旦店の外へ足を運ぶことにした。
そこには豪奢な馬車と、それを取り囲むかのように衛兵たちが控えていて、なるほどこれはどこからどう見えて団体のお客さんがやってきたわけじゃないなと、ひとり納得。
……いや、納得している場合じゃなくて。エリーの知り合いでもないの? と、並び立つ聖女へアイコンタクトを送るものの、返ってくるのは首を左右に振る姿だけである。
厄介事なら勘弁してもらえないかなあと内心で構えつつ、相手の出方をうかがうことしばらく。
ようやく馬車から現れたのは他ならぬシャーロットの姿で、意外な訪問客に内心で驚いていた矢先、眼前の少女はこちらを見るなり、予想もしていない呼び方で俺に挨拶するのだった。
「ごきげんよう、先生っ! 私、本日もお菓子作りを習いに伺いましたっ!」
***
どうして俺が“先生”と呼ばれているのか? それはシャーロットが持参した一通の手紙が解決してくれた。
「お母様から、先生にって」
前回の人見知りはどこへやら、やわらかく微笑んだシャーロットは俺に手紙を預けると、ウキウキとした足取りで店の中へと入っていく。
で、俺はといえば、シャーロットの母親、つまり国王の第四夫人直筆の手紙を読んでいるのだけれど、そこにはこのようなことが書かれていた。
***
トオル シラユキ様
先日は娘が大変、お世話になりました。
外出先から帰ってきた娘が、シュークリームというお菓子を土産に、その日、自分が経験したことを克明に話し、そしてトオル様がいかに凄腕の職人かを懸命に説明してくれました。
いつもは口下手で引っ込み思案な娘が、あんなに情熱的に話をしてくれたのは初めてで、母親として驚くとともに、たった一日の経験が、娘を大きく成長させてくれたのかと思うと涙を禁じません。
そこで無理を承知でお願いがあります。
貴方様は国王陛下に料理を振る舞っていたという立派な経歴をお持ちと伺いました。どうか我が娘シャーロットに、しばらくの間、お菓子作りと料理の手ほどきをしてはいただけないでしょうか?
娘が製菓職人を目指していることは母としても承知しております。そして、それがかなうことはないことも。
しかしながら、娘が現実を理解するまでの間ぐらいは、母親としてその後押しをしてやりたいのです。
偽善と言われればそれまでですし、厚かましいお願いとも承知しております。
もちろん、正当な対価はお支払いいたしますので、ご一考いただければ幸いです。
***
なるほど。シャーロットがいきなり俺を先生呼ばわりするはずだよ。シャーロットにしてみたら、教えてもらう気満々といった感じなんだろうなあ。
で、当の本人は何をしているかと言えば、エリーにフリルのついたエプロンを着けてもらったり、髪を束ねてもらったりと和やかに過ごしている。
極度の人見知りであるシャーロットも、孤児院などで子どもと接する機会の多いエリーの前では心を開きやすいようだ。聖女の包容力、恐るべしっ……!
……いや、言ってる場合じゃなかったな。この状況をどうするべきか……。いや、報酬は別にいいんだけど、定期的に料理作りを教えることになるんでしょう? しかも王女相手に。教えられることなんてあんまりないんだけどなあ?
「そ、そんなことありませんっ!」
多少、ムキになった感じでシャーロットは声を上げる。
「先生の作られるお菓子は素晴らしくて! 私、本当に勉強になると思ったから、だからっ……」
情熱が原動力になっているのだろう、シャーロットの真剣な眼差しを見ると、以前のおどおどした感じが嘘のように思えてくる。
多分だけど、母親から「夢を叶えるためにがんばりなさい」とか言われて来たんだろうな。教えてもらう身で人見知りなんて恥ずかしいですよ、とか。
であれば、俺も、この子の覚悟と真摯に向き合うべきなのだろう。
……とはいったものの。
すでにパン作りのまっただ中であり、急遽、お菓子作りにシフトすることは難しい。
今日のところは、みんなで仲良くパン作りにいそしもうじゃないかと、俺たちは動物パン作りに取りかかるのだった。
***
「できましたっ!」
パン生地と格闘することしばらく、一番乗りとばかりに声を上げたのはエリーで、俺はどれどれ、どんな動物ができたのかなと、鉄板に置かれた生地を覗き込んだ。
「どうです、透さんっ! ものすごく上手く作れたと思うんですけれど」
自信満々というエリーには大変申し訳ないんだけど、おそらく四足歩行なんだろうなあという、この名状しがたい物体はなんでしょうか?
馬? 山羊? いや、マジでわかんないんだけど……。孤児院で子どもたちに絵を披露していたって言ってたよな?
……うわあ、めちゃくちゃ「褒めて褒めて!」って顔してるし。えーと、これは当てずっぽうでもなにかしらの動物を言わないとダメなんだろうなあ……。
「えーっと……、か、可愛くできたね? この、い、犬?」
「ぶー。ハズレですっ! もう、どこをどう見ても猫じゃないですか。ラテをモデルにしたんですよぅ」
猫!? これで!? いや、いわれてみたら、そこはかとなく猫っぽい気がしなくもないような……。
「……にゃ」
いつの間にか目を覚ましたラテが、「それは違うぞ」とばかりにひと鳴きしてみせる。デスヨネー、これは猫じゃないよなあ。
「で、できましたっ!」
次に声が上がったのはシャーロットで、俺は幸いとばかりに話題を切り上げて王女作のパン生地を眺めやった。
「どうでしょうか?」
鉄板の上にあったのは、間違いなく猫の顔をしたパン生地で、シャーロットの手先の器用さに、俺は感心を覚えるのだった。
「おお、上手上手。上手く作れたじゃないか」
「えへへ、猫さんを見ながら作りましたっ!」
「にゃあ」
ラテも思わず感銘の鳴き声を上げるほどだったのだけど、あんまり上手い上手い言っていると背後で無言のまま佇むエリーが怖いからな。
よしっ! ここは一旦、気分転換がてら変わり種のパンを作るとしますかね!
***
具材は固めに作った苺ジャムとカスタードクリーム、それに粒あんを用意しておこう。
薄くのばしたパン生地でそれぞれの具材を包み込み、丸く形成したら、三角形を作るように生地同士をつなぎ合わせるのだ。
二次発酵させたら、表面に卵液を塗り、オーブンで焼成する。
こんがりと焼き上がったら、三色パンの完成だ!
***
「具材を中に詰め込んだパンは初めて見ますね」
興味深いと言いたげにエリーが呟く。
「そうだねえ。俺が暮らしていた世界では、こういったパンを菓子パンって呼んでいたんだけど」
「先生、パンはパンであって、お菓子ではありませんよ?」
シャーロットが大真面目に疑問を呈するので、それがちょっと面白くなってしまったのだけれど、そりゃそうか。こちらの人たちからしてみれば奇っ怪な食べ物なのかもしれないなあ。
「でもでも、中になにが入っているかわからないパンって、なんだかちょっとワクワクしますねっ」
「ええ、ええ。先生が作られたパンですもの、味も素晴らしいこと間違いありません!」
そんなことを話しながら、二人は三色パンをちぎり取って頬張っていく。ちょっとした好奇心を瞳に宿らせながらパンを食べる光景は、見ているこちらも楽しくなってしまう。
「あ、私はあんこでしたっ。初めて食べたときからクセになって……。大好きなんですよねえ」
「私は苺ジャムですっ! ふんわりしたパンと酸味のあるジャムが合わさって……。とても素敵なお味ですね!」
頬を紅潮させつつ、二人は楽しそうに三色パンをちぎっては口へと運んでいく。
この味も美味しい、あの味のパンはまだかなとか話しながら、あっという間に無くなっていく三色パンの様子に内心でガッツポーズを掲げながら、初回の料理教室はなんとか無事に終えることができたのだった。
***
本日の料理教室の成果として、動物パンと一緒にバスケットへ詰め込んで――ただしエリー作のは除く――シャーロットにお土産として渡しておく。
「先生、今日もありがとうございました。また次回もご教授のほど、よろしくお願いいたしますっ」
礼儀正しくお辞儀をしてから、大事にバスケットを抱え込むと、シャーロットは馬車に乗り込み、店を後にするのだった。
その様子を、手を振って見送りながら、エリーはなんとなしに口を開くのだった。
「あの子、これからもお菓子作りを習いに通ってくるってことですよね?」
「手紙によると、そういうことになるらしいなあ」
「王女が通い詰める料理教室ですか……。そのうち、功績が認められて、爵位が貰えるかもしれませんよ?」
あくまで冗談めかしてた口調だったけれど、俺としては先日のレオノーラの発言が思い起こされて、嫌な予感を覚えてしまうのだった。
『簡単な話だ。菓子職人に爵位を与え、そこに嫁がせてしまえばいい』
……まあ、現実的ではないし、冗談の域を出ない与太話だけどさ。こちらにきてからいろいろありすぎて、何があっても不思議じゃないっていうか、ね?
ふう、やめだやめ。これ以上、深く考えるのは止めておこう。それよりも、残ったパン生地を使って、動物パンの試作をしなければっ。
「任せてください、透さんっ! 私が可愛らしい猫のパンをたくさん作りますからっ!」
ああ、うん。なんというか、その、エリーは控えめにがんばってくれると嬉しい。




