42.王女シャーロットとシュークリーム
王女? この国の? この子が……?
同時に脳裏へと思い浮かんだのは、メロンパン大好きでお馴染み、小太りしたあの王様の姿で、愛らしいシャーロットとは似ても似つかないその容姿に、俺は本当に親子なのかと失礼ながら疑ってしまうのだった。
「透様。お茶を運ぶのを手伝いましょう」
疑問符が頭の中を埋め尽くそうとしていた矢先、口を開いたのはセバスで、キッチンへと足を踏み入れた老執事は、ごくごく自然な足取りで俺に近づくと、少女たちには聞こえないように耳打ちするのだった。
「シャーロット様は第四夫人の二女でして……」
「……側室の子ってことですか?」
静かに頷いたセバスはティーセットを乗せたトレイを両手に抱えると、二人が腰を下ろすテーブルへと歩いて行った。
あの愉快な性格をしている“メロンパン王”から、ずいぶんと引っ込み思案な娘さんが育つものだと思っていたけれど、お母さんの影響か、育った環境によるものなんだろうなあ、多分。
……あれ? ちょっと待て。側室の子でも王女には変わりないんだろう? 護衛の兵とか連れていなくて大丈夫なのか? サラとセバスがいるから問題ないとか?
一時は王室に関わっていたとはいえ、ただたんにメロンパンを作って終わるだけだったから、王室や貴族についての知識がない。
こちらの世界に来た当初は、その日その日を暮らすのに精一杯で、そういった人たちの生活について知りたいとも思わなかったし。
……ともあれ。
いろいろと疑問は残るものの、一番の謎は、王女様がどうしてウチに来たいと言いだしたのかってことなんだよな。
サラの話によればなにかしらの“お願い”があるってことらしいけれど……。
いまのところ、サラもシャーロットも、もぐもぐと一生懸命に口を動かしてチョコレートフォンデュを頬張っているだけなんだよなあ。
「美味しいねえ、サラちゃん」
「美味しいですわねえ、シャーロット」
和気あいあいとしている様子は見ていて実に微笑ましいが、こちらとしてはそろそろ本題に入って欲しいという心境でもある。
でもなあ……。明らかに人見知りって感じの女の子に話題を振ったところで、話が進むとは思えないんだよなあ。緊張で身体を固くさせてしまうのが想像に難くないというか。
はてさてどうしたものかと考えていると、これまた自然にサラの横へ歩み寄ったセバスは、丁寧に腰を折り曲げて、今度ははっきりと聞こえるように口を開くのだった。
「お嬢様。お茶も結構ですが、そろそろ本題に入られてはいかがですか?」
巧みな配慮恐れ入ります。これも老練の成せる技なのだろうかと感心をしていると、「そうでしたわっ」と、サラは胸の前で両手を合わせ、それからナプキンで口元を拭ってから続けるのだった。
「実は、透様に、折り入ってお願いがあって参りましたの」
そう言うとサラは並んで座るシャーロットのほうへと向き直り、
「ほら、シャーロット。自分の口から直接伝えないとダメですわよ」
と、身を縮こまらせる王女に発言を促している。もじもじと身体を揺すっていたシャーロットだったが、やがて決意を固めたのか、燃え上がるほどに表情を赤くさせて、勇気を振り絞るように勢いよく立ち上がるのだった。
「あ、あのっ! 私、将来、お菓子屋さんになりたくてっ!!!!」
「……はい?」
「そ、それで、そのっ。私に、お菓子作りを教えてくりゃはいっ!!」
***
どうして俺にお菓子作りを教わりたいのか、そもそもの発端は、あの“メロンパン王”だそうだ。
ある日のこと。普段は滅多に顔を見せない父親でもある国王がやってきたと思いきや、「美味しいパンを作るシェフがいる」と、お土産にメロンパンを持参したらしい。
お菓子作りに憧れを持っていたシャーロットは、初めて食べるメロンパンにいたく感動。お菓子ともパンとも受け取れるそれを味わいながら、メロンパンを作ったシェフに会いたいと願っていたそうだ。
それから月日は流れる。
友人であるサラとのお茶会で、シャーロットは再び感動を覚えることになる。お茶菓子として提供された、型抜きクッキーはいままで食べたどんな焼き菓子よりも美味しかったからだ。
このクッキーを誰が作ったのか尋ねるシャーロットは、サラの返答に驚いた。まさか、あのメロンパンを作ったシェフと、このような形で再会できるとは!
運命めいたものを覚えたシャーロットは、『妖精の止まり木』へ連れて行ってくれないかとサラに頼み込んだ。
前々から、シャーロットがお菓子屋さんを開きたいという夢を知っていたサラは快諾。異世界からやってきたシェフにお菓子作りを教わろうと、そう決めたらしい。
***
「……そういったわけで、私たち、今日は透様にいろいろとご教授願えればと思って準備してきましたのっ」
サラに続いて、コクコクコクコクと首を縦に振ったシャーロットは、おそらくこの日のために用意してきたであろう、フリルの付いた真っ白なエプロンを取り出して、必死にアピールしてみせる。
お菓子作りを教える、ねえ? 人様に教えるような腕前ではないんだけどなあ。
それに、二人には悪いけれど、事情も知らないこちらとしては、なんの準備もできていない。
せめて来る日を前もって教えてくれたらなあ。ある程度の材料を揃えておいて、この二人にぴったりの、見た目も華やかなケーキを作ったんだけど……。
そんなことを思いながら、俺はシャーロットを見やり、そして考えをあらためた。緊張でこわばっているものの、その表情と眼差しは熱意と真剣さに溢れている。
お菓子屋さんになりたいというこの子の夢は、憧れといったたぐいのものではなく、本気で考えた将来設計なのだろう。
王女の立場にある人物がなれる職業かどうかはわからないけれど、賢明に夢を叶えようと努力する少女の後押しぐらいはしてあげたい。
保冷庫の中にある食材を確認した俺は、いまある材料で作れるレシピを思い出し、それから二人に向かって声をかけた。
「二人とも手を洗って着替えておいで」
「まあ、透様! 早速、お菓子作りを教えてくださるのですか!?」
「うん、簡単なものでよかったらだけどね。シャーロットもそれでいいかい?」
「……はい! はいっ! も、もちろんですっ!」
再び、コクコクコクコクと首を忙しく振ったシャーロットは、セバスとサラに伴われて店の奥へと足を運んでいった。
それから数分後、頭には三角巾を巻き付け、愛らしいエプロンを身につけた二人をキッチンへ迎え入れた俺は、カウンターの上に材料を揃え、シュークリーム作りに取りかかることにした。
***
まずはシュー生地から作ることにしよう。サラとシャーロットができるようなところは二人にやってもらう。
鍋に水とミルク、塩、バター、砂糖を入れて火にかける。火を使う工程だけれど、見守っていれば大丈夫だ。
「ど、どのぐらいまで混ぜればいいのですかっ!?」
不安そうに鍋を覗き込みながらシャーロットが問いかける。沸騰して、バターが溶けるまで混ぜていけば大丈夫だから、心配しなくても大丈夫だよ。
「は、はい……」
応じながらも、どうやらお菓子作りは初めてらしいシャーロットの手つきはおぼつかない。それでもバターは溶けていくので、ここで一旦バトンタッチだ。
素早くやらなければならない工程なので、ここは俺が担当する。鍋にふるった小麦粉を加えて、手早く混ぜ合わせるのだ。
さらに溶き卵を少しずつ加えていき、ひたすら木べらで混ぜ合わせていく。椅子に上った少女二人が一生懸命にその様子を眺めている横で、手早くやるのが大事なんだよと説明しながら、俺は生地の状態を確認した。
木べらからゆっくりと生地が落ちていく感覚を一緒に見やりながら、生地を絞り袋に移し入れる。今度はサラとシャーロットの出番だ。
鉄板を用意したら、その上に生地を絞り出すように指示を伝える。
「銀貨ぐらいの大きさに丸く絞るんだ。多少、不格好でも、焼いちゃえば意外と上手くいくから、心配しないで」
俺の声が耳に届いているかどうかは定かではないけれど、二人ともそれはもう真剣な眼差しで鉄板に生地を絞り出していく。
絞り落とした生地の不格好な形状に、時に笑い声をはじけさせながら、それでもようやく丸く絞り出された生地の上に、今度は刷毛で卵液を塗っていくのだ。
最後に、フォークの背を使って格子状に模様を付けていこう。
「フォークで模様を付けるのはメロンパンの生地も同じだね。よくある手法だから覚えておくといいよ」
コクコクと頷くシャーロットを見やりつつ、俺は熱したオーブンに鉄板を入れる。生地を焼いている間、カスタードクリームを作っていこう。
カスタードクリームは“さくらんぼのタルト”を作った時以来だけれど、作り方は変わらない。とはいえ、結構な力仕事なので俺が引き受けることにする。
卵黄に砂糖を加え、空気を混ぜるように混ぜ合わせたらふるった小麦粉を加える。鍋でミルクを熱し、混ぜ合わせた卵液を加えて混ぜ合わせたら、さらにバターを投入。ひたすらに混ぜ合わせるのだ。
それをバットに移し、冷蔵庫で冷やしたらカスタードクリームの完成である。
「意外と地味ですのね」
作業を眺めやっていたサラが感想を呟くけれど、お菓子作りっていうのは、地味な作業の連続なんだよと諭しておいた。華やかなように見えて体力勝負なんだよなあ。シャーロットにも伝わっているといいけれど。
シュー生地が焼き上がったら、粗熱を取っておこう。別に用意した絞り袋に冷やしたカスタードクリームを入れたら、シュー生地に詰め込んでいくのだ。
ひとつだけお手本を見せたら、あとは二人に仕上げを担当してもらう。
「さ、サラちゃん、クリーム詰めすぎだよぅ」
「これでいいのですわっ! 淑女たるもの、お菓子も大きくなければっ!」
レディとお菓子がどう結びつくのか定かではないけれど、不慣れな手つきでシュークリームと格闘するサラとシャーロットの姿は見ていて微笑ましい。
こうして時間をかけてできあがったシュークリームは、不格好かつ、いびつな形の仕上がりになったけれど、それでも二人にとっては満足のいくものだったようだ。
「できましたわね!」
「うんっ! 私にも作れた!」
「ふふ、シャーロットってば、頬にクリームがついてますわよ」
「そういうサラちゃんだって!」
わきあいあいとシュークリームを試食する二人の顔は、これ以上ないほどに笑顔の花が咲き、俺としてもかけがえのない時間になったのだった。
***
できあがったシュークリームをバスケットに詰め込んだシャーロットは、大事そうにそれを抱えると、うやうやしく俺に頭を下げたのだった。
「あの……。突然押しかけたのに、丁寧にご指導くださって、本当にありがとうございます」
最初の人見知りが嘘みたいに、とはいえ、多少の緊張を声に含みながら、それでも感謝を口にする王女に俺は微笑みかけた。
「とんでもない。俺も楽しかったし、よかったらまた遊びにおいでね」
「い、いいのですか?」
「うん、俺だけじゃなくて、ラテも喜ぶしね」
にゃあと鳴き声を上げるラテを見て、シャーロットは笑い声を上げた。
「猫さん、また遊んでくれるの?」
「にゃにゃあ」
「うん、約束だよ?」
「シャーロット。そろそろ帰りますわよ」
馬車にはすでにサラが乗り込んでいて、シャーロットは「はぁい」と応じると、何度もこちらへ頭を下げながら馬車へと向かうのだった。
バスケットに詰め込んだシュークリームは母親と父親――つまりメロンパン王――に食べてもらうそうだ。気に入ってくれるならいいんだけどなあ。
……と、そんな感じで慌ただしくも賑やかな一日が過ぎ去ったのだけれど。
この日の出来事が、後日、ちょっとした波乱を呼び込むことになるのだった。




