41.サラの友達とチョコレートフォンデュ
ドワーフ族のアーロンがやってきた。それも結構な量のチョコレート――アーロンによれば、『秘伝の薬』だそうだけれど――を携えて。
「貴殿のことだ。この間のティラミスのように、様々な料理に必要なのではないかと思ってな。まとめて持参したという次第なのだ」
まったくもってその通りなのでありがたい。量にすると二、三キロほどだろうか、これでいろいろなお菓子作りに挑戦できるぞと喜びながらチョコレートの代金を支払っていると、アーロンからリクエストが伝えられた。
「金銭での支払いでもかまわないのだが……。もし可能であれば、貴殿の作ったコーヒー酒と交換というわけにはいかないだろうか?」
「コーヒー酒と、ですか?」
「左様。教えてもらったティラミスに使うだけでなく、薬酒としても評判でな」
聞くところによると、結構な量を渡したにもかかわらず、早くも底をつきそうだということで、できるだけ早急に在庫を確保したいらしい。もちろんOKだ。
酒場のマスターであるエドガーに頼んで、コーヒー酒用の蒸留酒を入手しなければと考えながら、同時に、いまだにエリーとレオノーラと会うことがかなわないマスターのためにも、今度は二人がいるときに来てもらおうと決意。毎回毎回、なぜか、タイミングが悪いんだよなあ、あの人。
まあ、会ったら会ったで、下世話な話をされるんじゃないかという不安は残るけれど。悪気がないだけにタチが悪いというか、なんというか。
口やかましく追求されるのがほぼほぼ確定している未来予想図に、内心でげっそりとした思いに駆られながらも、俺はアーロンに感謝を伝え、近日中にコーヒー酒を用意しておくと約束した。
帰路につくドワーフ族を見送りつつ、早速、入手したチョコレートでなにを作ろうかと思案を巡らせていた矢先、足元で座り込んでた黒猫のラテが立ち上がり、頭上の耳をピクピクと動かした。
「にゃにゃあ」
ひと鳴きしたと思いきや、店の前を通る一本道へと印象的なオッドアイの視線を向ける。アーロンが忘れ物でも取りに戻ってきたのだろうかと考えているのもそこそこに、馬が闊歩する蹄鉄の音が耳元に届くやいなや、豪奢な馬車を視界に捉えるのだった。
「ごきげんようですわっ! 透様っ!」
馬車を降りたって現れたのは、藍色をしたセミロングの髪と陶器人形を思わせる白い肌が印象的な少女、つまるところレオノーラの妹であるサラで、このところ頻繁に現れる小さな淑女に、俺はこんにちはと応じるのだった。
「やあサラ、今日も遊びに来てくれたのかい?」
「いやですわ、透様。毎回毎回、遊びに来るわけではありませんのよ。私も立派な淑女なのですから、おそとでお茶をたしなみたい時もありますの」
そう口にしながらも、サラは足元にじゃれつくラテと遊び始めた。
「ラテ様っ。今日も可愛いですわねえ」
「なー」
きゃっきゃとはしゃぐ少女の姿を見やりながら、俺は肩をすくめかけ、そして軽い違和感を覚えた。
(あれ? セバスさんがいないぞ?)
そう思ってキョロキョロとあたりを見渡すと、やがてしわひとつない執事服に身を固めた初老の執事は馬車から降り立ち、その姿を現したのだが。
馬車から降り立ちながらも、セバスは馬車の中を覗き込むようにして、なにやら口を動かしている。何をしているのだろうかと首をかしげながら様子を見守っていた矢先、ラテを抱きかかえたサラは勢いよく口を開いた。
「透様、透様! 今日は私のお友だちも一緒ですのよっ!」
「お友だち?」
「そうですわ! ……シャーロット? いつまで降りてこないつもりですの? 早く馬車から降りてきなさいなっ」
再び視線を馬車に向ける。すると、セバスの手をそっと握りながら、明らかにおどおどとした様子の少女が、周りの様子をうかがいながら馬車から降りてきたのだった。
年齢はサラと同じで八歳ぐらいだろうか、美しいブロンドのロングヘアとエメラルドグリーンの瞳が印象的で、水色のワンピースがよく似合う可愛らしい女の子である。
しかしながらどうにも人見知りらしく、決して俺と視線を合わせようとしない。ちらちらと様子をうかがうようにこちらを見るものの、俺の顔を見るなりセバスの背中に隠れてしまった。
活発なサラとは対照的だなと考えていると、らちがあかないと思ったのか、サラは促すように少女へ声をかけた。
「もう、あなたが来たいと仰ったから連れてきたのですわよ? ご挨拶しないのは失礼でしょう?」
すると、おずおずと姿を見せた少女は、それでも決して視線を合わせようとせず、俺の胸元辺りをちらちらと見ながら、小さく呟くのだった。
「その……、シャーロットといいます……。サラちゃんとは、お、お友だちで……」
「はじめまして、俺は白雪透っていうんだ。よろしくね」
目線を合わせるようにしゃがみながら自己紹介した途端、シャーロットは再びセバスの背中へ隠れてしまった。……うーむ、気まずい。
ここまで極端に引っ込み思案だとどう接していいのかわからないよなあ……。サラの話が本当だとすると、あの子自身がここへ来たいって言っていたみたいだけど……。
はてさてどうしたものかと頭を悩ませていた矢先、サラの手から抜け出したラテが、シャーロットの足元にじゃれつき始め、心配いらないとばかりにひと鳴きするのだった。
「にゃあ」
「……猫さんだあ」
「にゃにゃあ」
「ふふ、猫さん、可愛い……」
先ほどまでの人見知りはどこへやら、シャーロットはラテと戯れ始める。愛猫の機転に感謝を覚えつつ、おそらくあれが素の姿であろう、屈託のない笑顔を微笑ましく見守っていると、ようやく解放されたセバスが小包を抱えてこちらにやってきた。
「透様、いつもお世話になっております。こちら、果物の詰め合わせとなっておりますので、早めにお召し上がりいただければ幸いでございます」
「ご丁寧にいつもありがとうございます。ところでセバスさん」
「なんでしょうか?」
「あの子、サラのお友だちと言ってましたが」
「はい。親しくお付き合いをさせていただいております」
「どうしてウチに来たいと?」
「先日、サラお嬢様がクッキーの詰め合わせを購入されたのを覚えていらっしゃいますか?」
「確かお茶会を開くのにクッキーを出すとかなんとか。……あ、もしかして」
「ご推察の通り、そのお相手がシャーロット様でして」
聞けば、シャーロットは型抜きクッキーの可愛らしさと味に感銘を受けたそうで、これを作った人に会いたい、お店にもぜひ行ってみたいと伝えていたらしい。
……そんなわけで、サラがウチに連れてきたらしいのだけれど。
現状、二人の少女は黒猫と遊んでいるだけなので、ウチの店に興味があるのか見当も付かない。いや、一応、お店の看板猫なのでいいんだけどさ。
「さあさあ、シャーロット。ラテ様と遊んでばかりはいられませんわよっ」
俺の思いを感じ取ったのかどうかは定かではないけれど、その場ですくっと立ち上がったサラは両手を腰に当て、胸を張るようにシャーロットに向き直った。
「本来の目的を忘れてはいませんこと? あなたのお願いを叶えてもらいませんと」
「ええ……、で、でも……」
「にゃあ?」
ラテが小首をかしげるのにつられて、同時に俺も首をかしげた。お願い? お願いってなんだ?
疑問に思うよりも早く、「そんなわけで」と呟いたサラは、くるりと振り返り、俺を見やりながら高度な要求を口にした。
「透様。せっかくお友だちを連れてきたのですから、私たち淑女に相応しい、あっと驚くようなお茶菓子を用意してくださいましっ」
「いきなりやってきて、ずいぶんと乱暴な要望を突きつけるなあ」
「これも透様の腕前を買っているからこそですわよ。普通のシェフにはこんなこと伝えませんわ」
はあ、そうですか。それはそれはありがたい限りで……。とはいえ、無茶なリクエストには変わりないわけだ。
はてさてどうするかなあと思いながら、シャーロットをちらりと見やる。ラテと遊んでいたことで緊張がほぐれてきたみたいだけれど、やはりどうにもおどおどとしていることには変わりないみたいだ。
この分だと、ありきたりなお菓子を出したところで、食べて貰えるかどうかわからないなあ。俺が見ているっていうだけで、手を動かしそうになさそうだもん。
ここはひとつ、見た目にも楽しい、思わず食べたいと思って貰えるようなお菓子を用意したいところだ。
さてさてどんなものを作ろうかなと考えを巡らせていたその時である。俺はセバスに貰った果物の小包と、それから店先に置かれたチョコレートの袋を交互に眺めやって、あるお菓子のアイデアを閃くのだった。
***
まずはいただいた果物類を一口大に切り分けていく。イチゴやリンゴ、オレンジ、キウイフルーツにぶどうなど、果物が多ければ多いほど食べていて楽しい。いろいろな種類を用意してくれたセバスに感謝しないとな。
次にパンを用意する。こちらも食べやすいように一口大に切り分けておこう。食感の違いが楽しめるよう、柔らかめのものと固めのものを用意した。
小鍋にチョコレート、砂糖、ミルクを入れて弱火にかけながら木べらで混ぜ合わせていく。火加減を間違えるとすぐに焦げ付くので注意が必要だ。
ミルクも量を間違えるとチョコレートがサラサラになってしまうので、粘度を確かめながら少しずつ加えていこう。適度な柔らかさになったらディップ用のチョコレートソースのできあがりである。
皿にフルーツやパンを盛り付け、チョコソースの入った小鍋を添えたら、チョコフォンデュの完成だ!
***
「これは……。どうやって食べますの?」
褐色のソースで満たされた小鍋を前に、サラは当然の疑問を口にした。
「好みの食材をフォークに刺して、そのままソースにつけて食べてみて。美味しいよ」
かくいう俺もチョコレートフォンデュはスイーツビュッフェぐらいでしか食べたことがないので、あまり偉そうなことは言えないのだけれど。
「そうですの?」と応じたサラは、選ぶように苺にフォークを突き刺してから、恐る恐るといった具合にチョコレートソースにそれを浸し、それから覚悟を決めたように一気に口の中に放り込んだ。
そしてゆっくりと口元を動かすこと数秒、大きな瞳を輝かせたサラは、興奮したように両腕を上下にブンブンと上げ下ろしながら、感激の声を上げるのだった。
「おいっしいですわあっ! 酸味のある苺に、甘味とトロットロのソースが絡まって……。私、こんなお菓子は食べたことありませんわっ!!!」
「それはよかった」
「ほら、シャーロット。なにをぼうっとしていますの? あなたも召し上がって」
「う、うん」
サラが促すものの、シャーロットはフォークを手にしたまま、まごまごしているだけで、チョコレートフォンデュに手を伸ばそうとしない。
知らない人が見ている中だと緊張して食べられないのだろうか? そう考えて、しばらくの間、二階へ行っていようかなと思っていたのだけど。
そんなことを考えていた、まさにその瞬間、シャーロットの足元でラテが鳴き声を上げるのだった。
「にゃあ?」
それは「食べないの?」と尋ねているようにも聞こえたのだけれど、どうやら本人も同じように感じ取ったようで、
「猫さん……、うん、そうだね。食べてみるね?」
と、おずおずとお皿に手を伸ばしたシャーロットは、やがてオレンジにフォークを突き刺した。
そして、やはり恐る恐るといった具合にチョコレートソースに浸し、緊張の面持ちでそれを口へと運ぶ。
数秒の後に返ってきたのは、まばゆいばかりに輝く笑顔を浮かべながら、隣り合った友だちに素直な感動を伝える少女の姿だった。
「サラちゃん、これ、とっても美味しいねえ!」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう?」
「このトロトロしたソース、私食べたことないよ! 甘くて、幸せな気持ちになるねっ!」
「透様は一流のシェフなのですから、このぐらい用意できて当然ですわあ」
どうしてサラが自信満々に答えるのだろうかと、若干の疑問が残らないでもなかったけれど、まあ、気に入ってくれたみたいなので嬉しい。
なにより、シャーロットの緊張もほぐれてきたみたいだしね。美味しいデザートを前に、会話も弾めば作った甲斐があるってもんですよと思いながら、俺は二人のために紅茶を用意するのだった。
「そういえば」
お湯を沸かすまでの間、雑談がてらサラに尋ねる。
「友だちって言っていたけれど、いつからの付き合いなんだ?」
「いつからもなにも、赤子の時から一緒でしたわよ。ね?」
同意するように、コクコクと首を縦に振るシャーロット。なるほど、生まれて間もない頃からの付き合いだったら、仲がいいに決まっているよな。
「赤ちゃんの頃からの付き合いだったら、家族ぐるみで仲がいいんだろうなあ」
俺にしたら、考えもなしになんとなく呟いた一言だったのだが、サラはきょとんと瞳を丸くして、とんでもないと言いたげに応じ返した。
「懇意にしているというより、お仕えしていると言ったほうが正しいですわね」
「……? どういうこと?」
「シャーロットの父君は、国王陛下ですから」
……はい? 言っている意味がいまいち理解できないというか……。
「ですから、シャーロットはこの国の王女なのですわ」




