34.乗馬とポークソテー
サラの訪問から数日後、自宅兼店舗に一頭の馬が届けられた。送り主は、当然、サラである。
馬を届けてくれたのはセバスで、数十名の使用人やら大工を伴ってやってきた老執事は、馬房やら飼い葉の保管場所やらを建てるように指示を与えながら、サラお嬢様からですと、一通の手紙を俺に差し出すのだった。
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ごきげんよう、透様。
先日はごちそうさまでした。とても素敵なお食事で、私、感動いたしましたわ。
ところで、お見かけしたところ、透様のご自宅には様々な不備が見受けられました。
特に……、レオノーラお姉様とエリーお姉様が暮らしているというのに、お二人とも徒歩で移動されているというのは見過ごせませんわっ! まったく、紳士の風上にもおけませんっ。
当家から、ジョセフィーヌをお譲りいたします。たくさん可愛がり、そして移動の際に役立ててくださいませ。
もちろん、透様も乗馬はたしなまれることと存じます。次にお目に掛かる際には、ジョセフィーヌとともに華麗に草原を駆け回るお姿を見られることと期待しております。
それでは、また。
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手紙を読み終えた俺は小首をかしげた。
「ジョセフィーヌというのは……」
「連れてきた馬の名前でございます」
振り返った先では、あっという間に建てられた馬房に収まる栗毛の馬がいて、なるほどと俺は頷いた。
「おお。なにやら賑やかだなと思ったら、ジョセフィーヌを連れてきてくれたのか」
現れたのは藍色のポニーテールをした女剣士で、その姿を見るなり、老執事はうやうやしく頭を下げるのだった。
「レオノーラお嬢様、お元気そうでなりよりでございます」
「久しぶりだな、セバス。息災にしているか?」
「はい、おかげさまで……」
挨拶もそこそこに切り上げたレオノーラは、きびすを返すとジョセフィーヌの元へと足を運んでいく。その足元には黒猫のラテが連れ添っていて、
「ラテさん、ジョセフィーヌを紹介するぞ。仲良くしてやってくれ」
なんて具合に話しかけている。
……久しぶりに会ったんだったら、もう少し会話を交わしてもいいと思うんだけどなあ?
思わずレオノーラを呼び止めようとしたものの、セバスは首を左右にゆっくりと振り、いいのですと視線で訴えた。
「お声を掛けられても、この爺はいらぬお節介をしてしまうやもしれません。これでいいのですよ」
「でも……」
「レオノーラお嬢様も立派な淑女になられました。お元気そうなお姿を拝見するだけで十分でございます」
立派な淑女……? あの大食いのレオノーラが? いささかの疑問がないではないけど、サラの時と同じく、ツッコんだら後が怖いので黙っておく。
すると、セバスは使用人を呼び寄せ、なにかを家に運ぶよう耳打ちしてからこちらに向き直った。
「透様。レオノーラお嬢様と暮らしていることで、さぞかしご面倒をおかけしていることかと思います。なにぶんお嬢様は、……健啖家でございますので」
慎重に言葉を選ぶ老紳士。大食いを健啖家と表現する巧みさに舌を巻きながらも、今度は俺が首を左右に振るのだった。
「ああ、いえ。本人からも生活費はいただいていますので、大丈夫ですよ。ご心配なく」
「……それは、おそらく、本気を出されたお嬢様をご存じないからでしょう」
まるで剣術の達人を例えに出すかのような凄みで迫る老紳士。本気を出した大食い、ねえ? 一度、見てみたい気もするけれど……。
「ともあれ、食材はあっても困りません。勝手ながら、保管庫に食材を運ぶよう命じておきました。どうか、ご活用いただければ幸いでございます」
そう言って、セバスは運んできた食材の目録を俺に手渡した。肉、野菜、果物、それに穀物類……。
大量の食材は三人と一匹で暮らすには十分過ぎるほどで、かえって腐らせたりしないかと心配になるほどだ。
……まあ、作れば作っただけレオノーラが食べるから大丈夫か? ていうか、あいつの胃袋どうなっているんだ?
「おぅい、透。こっちだ、こっち」
噂をすればなんとやら、本人からお呼び出しが。なにか起きたのだろうかと、馬房へ足を運ぶ俺が見たのは、栗毛の馬の背中に寝そべるラテの姿で、
「どうだ、透。ジョセフィーヌとラテさんはすっかり仲良くなったぞ!」
……と、なぜか得意げに胸を張るレオノーラなのだった。
確かにジョセフィーヌもまんざらでもないという顔をしているし、ラテはラテで、気持ちよさそうにあくびをしている。
いたって平和な光景を見やりながら、俺はレオノーラに問いかけた。
「馬の世話はどうしたらいいんだ? 経験がないからわからないんだけど」
「問題ない。ジョセフィーヌの世話なら私に任せてくれ。この子が産まれたときから面倒を見てきたからな」
栗毛の馬の顔を撫でるレオノーラ。いつになく慈愛に溢れた瞳は、だがしかし、次の瞬間には期待に満ちあふれたものに取って代わり、俺へと向けられるのだった。
「ところで透。透は乗馬の経験があるのか?」
「あるわけがないだろ。そんなものとは無縁の生活を送ってきたんだからな」
「なら私に任せておけっ! ジョセフィーヌを乗りこなせるよう、手取り足取り、一から教えてやるからなっ!」
えへんと胸を張るレオノーラ。……確かに、乗馬というものには一種の憧れを感じるものがある。
馬に乗った姿は自分でもカッコいいと思うし、なにより乗馬ができれば行動範囲も広がるだろう。
ここは素直に教えてもらおうと、「よろしく頼むよ」と応じる俺に、レオノーラは力強く頷くと、こんなことを言い出すのだった。
「よしっ! 善は急げだ、透! いまから、特訓を開始しよう」
***
結論から言おう。地獄でしかなかった。
いや、ね? 俺だって、そんな簡単に馬を乗りこなせるとは思ってなかったよ? でもねえ、想像以上に厳しいの、これが。
まず、馬に乗って鞍の上でバランスを保つのが厳しい。これがその、なんといいますか、男性の大事なところが圧迫されるといいますか、ぶっちゃけると股が痛い。
またがったのを固定させるのに足の筋力を使うわけですわ。日頃、運動などやっていない肉体にこれが堪える……!
その上、レオノーラの教え方が感覚的すぎるっ! なんだその、「バーンと乗って、がっと手綱を掴んだら、ダーっていくんだ、ダーって」っていう指示は!? 一ミリも伝わらないわっ!
いや、これでさあ、お馬さんが動いてくれるんだったら話は別だよ? ジョセフィーヌさんってば、微動だにしないの。マジで一歩も動かない。
しまいには足元の草を食べ始めるし……。
ちなみにレオノーラいわく、ジョセフィーヌはとても穏やかな性格で賢いそうだ。だとしたら、この現状、実にヤバくないですかね?
とにもかくにも、乗馬教室初日はまったくといっていいほどの進展がなく終了。俺はといえば、主に下半身の筋肉痛で、生まれたての子鹿のように足をプルプルさせながら帰宅しましたとさ。
あまりに疲れていたんだろうなあ。帰宅直後にベッドへ倒れ込み、そのまま昼寝をしてしまう始末。大聖堂から帰ってきたエリーに起こされるまで、それはもうぐっすりですよ。これはよくない。
疲れを取るためにも、なるべく栄養の付くような食事を摂ろうじゃないか。そう考えた俺は、昼間、セバスから受け取った目録の内容を思い出しながら、疲労感の残る足取りでキッチンへ向かうのだった。
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セバスから受け取った目録にの中に注目すべき食材があった。豚肉である。
こちらの世界の人たちに通じるかわからないけれど、ビタミンB1を豊富に含んだ豚肉は疲労回復にバッチリの食材なのだ。
冷蔵庫からブロック状になった豚肉を取り出して、厚めに切り分けていく。筋切りをした上で、豚肉をよく叩き、塩コショウで下味を付けたら、低温のオーブンでじっくり焼いていくのだ。
焼いている間にソースを作ろう。
鍋に水、白ワイン、蜂蜜を入れたら混ぜ合わしつつ、煮詰めていく。塩とたっぷりの粒マスタードを加えたら、ソースは完成だ。
じっくりと火入れした豚肉をオーブンから取り出し、仕上げにフライパンで焼き色を付ける。そこへマスタードソースをたっぷりかけたら、ポークソテーの完成だ!
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「おお、今日は酸味のあるソースで仕上げたのか、透」
「そうそう、ほどよい辛みと酸味がアクセントになるよう仕上げてみたんだ」
「うんうん、豚肉は肉汁たっぷり、ジューシーで食べ応えもあって……、実に美味いな!!」
ポークソテーとパンを交互に口へ運びながら、レオノーラは大満足といった感じで呟いてみせる。
一方、渋い表情を浮かべているのはエリーだ。口に合わなかったのだろうか?
「いえ、とても美味しいのですが……」
「……?」
「その、私には量が多くて、食べきれるかなって……」
そこまで言われて、はっと我に返った。疲れのあまり、「まあ、レオノーラなら食べられるだろう」と、豚肉を五センチ幅に切り分けて調理してしまったのだ。
レオノーラ基準で考えれば問題ないだろうけど、普通の成人女性だったら量が多すぎるよな、これ。
「ゴメンっ! 多い分は俺が食べるからっ」
思わず声を上げたものの、レオノーラはそれを手で制した。
「大丈夫だ、エリーの分も私が食べる。問題ない」
「そうね、レオノーラが本気を出したら、このポークソテーの三、四枚じゃ済まないものね」
「その通りだ。さすがは親友。私のことをよくわかっているじゃないか」
そうして顔を見合わせた二人は、声を上げて笑い合う。
……そういえば、レオノーラと初めて会った時に、三十枚のピザを平らげていたな。しかもまだまだ余裕の表情だったし。
そう考えると、本気になったレオノーラがどれほど食べるのか、ある意味で興味がないわけではないけれど、
『……本気を出されたお嬢様をご存じないからでしょう』
セバスの真剣な表情を思い返すと、知らないほうがいいのかもしれないなあ、うん。
ともあれ、エリーのポークソテーの半分以上を平らげたレオノーラは、さらに三枚ものポークソテーをおかわりすると、赤ワインで流し込みながら上機嫌に呟くのだった。
「ようし、明日も乗馬の特訓を続けるぞ、透っ! 体力勝負だから、精の付く料理を用意してくれっ!」
……マジか、お前。マジか……?
……もしかして、こうなることを見越して、セバスは食材を届けてくれたのだろうか?
考えすぎかもしれないけれど、セバスならと考え込ませるところに、あの老執事の凄みがあるのかもしれないなあ。良家の人々、恐るべしである。……いろいろな意味で。




