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ファミリアに捧ぐ 9

 翌朝、息を潜めながら巣穴の傍にやってきたチサトは、松明を作り、燃やしたものを三つほど巣穴に放り込んだ。煙がよく出るカプノスの実を一緒に燃やした為、濃い煙が巣穴の中で広がっていく。

 キマイラが中から呻きながら這い出てきた。ガントレットを装着し、巣の前で待ち構えていたチサトが息を呑む。キマイラが瞬かせた目にチサトを捉えた。その瞬間獅子の顔が怒りに歪み、激しい咆哮を上げた。

 チサトは弾かれたように走り出した。キマイラが吼えながら追いかけてくる。

 ――速い!

 エンハンスで走る速度を上げてもキマイラが追いついてくる。サジに指示された場所に誘導したらなんとかしてまかなければ……!

 チサトは枝葉にぶつかりながら必死に森の中を駆けた。距離が詰められそうになるたびになんとか緩急をつけてキマイラの足を撹乱する。

 息が乱れる、エンハンスの効果が持つ五分が近い。

 見えてきた誘導場所にチサトは飛び込んだ。サジの姿はまだない。チサトは近くの木陰に滑り込み息を殺した。

 あとを追ってきたキマイラが喉を鳴らしながら、姿の見えなくなったチサトを捜して辺りを彷徨き始めた。

「……」

 小さく息を吐き、チサトはベルトに下げていた皮袋を掴んだ。中を開けると黒い木の実が入っている。

 一つを手に取り皮を剥く。

「っ……」

 中の実が見えた途端に凄まじい異臭が鼻をつく。

 ――オスメの実。

 皮を剥いた瞬間から嗅覚を駄目にする異臭を放つ木の実で、魔物をまきたいときに重宝する。ただし衣服につくとしばらく臭いが取れなくなる、あまり使いたくはない木の実だ。

 チサトはそれをキマイラに向かってニ、三個放り投げた。チサトのにおいを辿ろうとしていたキマイラは足元に転がったオスメの実を嗅ぎ、呻き声を上げて咳き込んだ。

 これでしばらく時間が稼げるはず。

 チサトは少しの間その場で様子を見ていたが、サジが一向にやってこない。何してるんだと隠せない焦りに、念の為もう一度オスメの実を投げようとしてチサトは気づいた。

 目の前の茂みに見慣れた足跡がある。チサトはオスメの実をキマイラに放り投げ、身を潜めながら足跡に近づいた。キマイラの足跡だ、見間違うわけがない。

 ベルトに提げている道具入れから巻き尺を取り出し、足跡の大きさを測った。

 ――34センチ。

 背後にいるキマイラよりも一回りも大きい。

「……もう一頭いる?」

「待たせたな!」

 ハッとしてチサトはキマイラを振り返った。

 サジが茂みから飛び出し大剣をキマイラ目掛けて振り下ろした。キマイラの蛇の尾がその一太刀で斬り落とされた。

 キマイラが悲鳴を上げよろめく。大量の血が地面に滴り落ちた。

 サジは更に大剣を振るい、胴体上部にある二角の頭を二つに裂く。裂けた頭部から血飛沫が散った。キマイラが奇声を上げてサジから飛び退いた。

 とんでもない力技と速さだ。太刀筋に全くの迷いがない。Aランクハンターが苦戦して倒すキマイラをまるで紙切れのように斬り刻んでいく。

 ――あれがSランクハンター。

 チサトはその実力を目の当たりにして体が震え上がった。

 キマイラが臨戦態勢に入り、激しい咆哮を上げてサジに飛びかかった。爪や牙が大剣にぶつかるたびに、あまりの勢いに火花が散った。

 今の自分には見ていることしかできない。息を呑んでその光景を眺めていると、ふと背後から何かの気配を感じた。

 奥の茂みにきつく目を凝らしていると、不意にそれは姿を見せた。キマイラだ。しかもサジが交戦している種よりも遥かに大きい。――雄だ。

「嘘でしょっ」

 チサトは死に物狂いで走り出した。チサトの姿を捉えた雄のキマイラが咆哮を上げて駆け出す。

 まずい、五分持たないかも……!

 息切れが激しい。こんなにすぐ何度もエンハンスを使うことになるとは思わなかった。

 サジはまだキマイラを倒せていない。このままサジのところに突っ込んだとしても二頭の交戦はさすがに厳しい。

 ――こうなったらやるしかないか。

 チサトは迫るキマイラに向き直り、拳を握ると思い切りキマイラの側面から顔面を殴りつけた。

「かった……!」

 チサトはすぐに距離を取った。キマイラは軽く首を振り、身を震わせた。こちらの攻撃が効いている気が全くしない。

 むしろ反動でこちらの腕が痺れている。筋肉も骨もBランク対象の魔物とは硬さが段違いだ。

 闇雲にただ殴るだけじゃ駄目だ。弱点やこちらの攻撃が入りやすい場所を探して的確に狙わないと、まともな傷も負わせられない。

 悔しいが今の自分では太刀打ちできない相手だ。こういう時は諦めが肝心だとチサトはまた駆け出した。

「うっ……!」

 数歩進んだところで一気に失速した。

 ――エンハンスが切れた。

 チサトは足がもつれてサジとキマイラが交戦する場所に転がり込んでしまった。自分を追う雄のキマイラが茂みから飛び出してくる。

「何!?」

 サジが驚きの声を上げた。動揺したサジの動きが鈍り、雌のキマイラの突進を正面から受けて吹き飛んでいく。

 やってしまった――!

「俺に構うな!」

 身を起こしたチサトにサジの怒号が轟いた。

 頭上に影がかかった。反射的に身を翻すと寸でのところで雄のキマイラの噛みつきを免れる。

 雌のキマイラとの連携した動きにチサトは逃げ惑うのがやっとだった。

(くそっ、こいつら番だ……!)

 切れたエンハンスがもう一度使えるようになるにはあと数十秒かかる。弱い、圧倒的に自分が弱すぎる。

「テメェの相手は俺だろうが!」

 体勢を整えたサジが雌のキマイラに向かって大剣を振るった。一頭の気が逸れた。

 しかしそれよりも凶暴なもう一頭は依然としてチサトを狙い続けている。サジはあの雌一頭で手いっぱいだ。

 どうにかしてサジがあの一頭を仕留められる隙を作らなければ。チサトは必死に逃げ続けた。この勢いをどうにか利用できないか。

 エンハンスが使えるようになるまでの待機時間の残り十数秒が長い。だがその前に自分の体力が底を尽きそうだ。

 どうにか、どうにかして隙を……!

 再び影がかかった。頭上目掛けてキマイラが飛びかかってくる。世界が酷く遅く見えた。

 逃げなければ。いや、――間に合わない。

 その時チサトは自身の血がドッと煮え滾る感覚に襲われた。気づいたときにはもう一頭のキマイラが目の前に接近していた。

 ――違う、自分が近づいたんだ。

 何が起きたのか一瞬わからなかった。しかしこの好機を利用しない手はない。チサトは雌のキマイラの下に咄嗟に滑り込んだ。

 雄のキマイラが勢いを殺せず雌の体に衝突し、雌共々地面に倒れ込んだ。

「でかした!」

 サジが大剣を振り上げ、起き上がりかけていた雌の頭を両断した。

 よしっ、となったチサトだったが、雌の体を乗り越え雄が目前に迫っていた。

 それは一瞬の油断だった。

 大きな爪が振り上げられ、逃げようとしたチサトの背中を防具を貫通して引き裂いた。

「――っ!」

 声にならない衝撃と痛みが走りチサトは呻めき倒れ込んだ。

 サジの大剣が雄の前脚を斬り落とし、更には首を刎ねた。鈍い音を立てて転がり落ちたキマイラの頭が、意識朦朧とするチサトの前で転がっていく。

「くそっ、とんだ誤算だ」

 荒い息遣いのサジは大剣を地面に突き刺すと、倒れ込んでいるチサトを見下ろした。

「よく生き残ったもんだ」

 そのサジの言葉を最後に、チサトの意識は途切れた。



 簡素なベッドにうつ伏せにされ、大きな包帯を巻かれているチサトの背中をアサギが見つめていた。

 チサトがキマイラの攻撃を受け、集落の診療所に担ぎ込まれたと聞き及んですぐ、アサギは駿馬を走らせチサトのもとに駆け付けた。

 しかしチサトはまだ目覚めてはおらず、傍に置かれていた半壊の防具だけがその惨状を物語っている。

「……」

「五日の距離を三日で来るとはな」

 そこにやってきたサジはどこか疲れた様子を見せながらも、荷物を背負い、いつ立ってもおかしくないような空気を漂わせていた。

「寝ずに来たんだろ。少し寝たらどうだ」

「サジ、これは想定内だったのか?」

 アサギが声色低く尋ねると、サジは少しの間無言になり、それから小さく息を吐き出した。

「謝らねぇよ。こういうことはよくあることだ」

「それは肯定ということだな。たかがキマイラ()()にお前が後れを取るなんて、おかしいと思っていたんだ。ここにいたのは二頭じゃなくて()()だな」

「……」

「お前はチサトに一頭を誘導させている間に二頭目を討伐し、それからもう一頭のキマイラを討伐するつもりだったんだろう。だがそこにチサトがもう一頭を引き連れてきたもんだから動揺したんだ。危うく貴重な戦力を失うところだった」

「……。お前の見立ては正しかった。これは化けるぞ」

「?」

 悪びれた様子もなくチサトを見るサジに、アサギは首を傾げた。

「俺はもう行く。本部に呼ばれてるんでな、今回のキマイラの件で。雌が雄を二頭引き連れるなんて異例だ。図解録の更新が必要になる。その後はすぐに使徒戦だ」

 出ていこうとするサジを「待て」とアサギが呼び止めた。

「サジ、最後まで生き抜け」

「……どの口が言う」

 吐き捨てるように呟いて、サジの姿は部屋から消えた。



 その翌日、チサトはようやく目を覚ました。

 ハッとなり体を起こそうとしたが、背中に激痛が走り今まで出したこともない悲鳴と呻き声が出てベッドに沈み込んだ。

「まだ無理だ」

「……アサギ教官?」

 チサトは表情を歪めながら、隣に立っているアサギを見やった。

「来てくれたんですか」

「今回のことは想定外だったからな。サジのやつはもう立った」

「そうですか……」

 チサトは枕に顔を埋めながら、「あのクソジジイ」と怒りに声を震わせ言った。

「絶対あそこに二頭いるって知っててアタシに言わなかったんですよ。おかげでとんでもない目にあった」

「……そうだな。だがいい経験にはなったろう」

「なったんですかねあれは」

 少しの動きで痛みを訴える背中にチサトは呻き声を上げる。

「幸い神経には達していない。完治するのには二月ほどかかるだろう」

「筋力も体力も落ちそう……」

「リハビリには時間を割け。元の動きができるようになってから討伐依頼は受けるんだな。その間のハンター義務はどうせ全て免除だ」

「はい……。あ、そうだ、キマイラから逃げ回ってるとき、ちょっとおかしな感覚があったんですよね」

「おかしい?」

「丁度エンハンスが切れてて待機時間があったんですけど、その時にキマイラに飛びかかられて死ぬって思ったんです。その時どうしてかアタシ、あのクソジジイが戦ってるキマイラに一気に近づいた気がするんですよね。そのおかげで隙ができたって思ったんですけど、あのクソジジイ、礼の一言すら言わないでいなくなりやがった……」

「一瞬で対象に……?」

 眉を上げたアサギは、次の瞬間くつくつと肩を震わせ始めた。

「アサギ教官?」

「くくっ……そうか、そういうことか。なるほどな」

「どうかしたんですか?」

「いや。私の目が狂ってなかったということだ」

「?」

「何日かはここにいてやる。何かあったら呼べ」

「はぁ……」

 部屋を出ていくアサギに、チサトは終始疑問が拭えなかった。



 背中に大怪我を負ったことでまともにベッドから起き出せないチサトは、動けるようになるまでの時間を持て余していた。

 うつ伏せのまま重たい図解録を読む気にはなれず、どうしたもんかと悩んですぐ、「あっ」とベッド脇に置かれていた荷物を漁り出した。

 確かこのあたりに……と捉えづらい視界で漁った荷物から見つけ出した手紙をなんとか引っ張り出した。

 母から連絡が来ていたことをすっかり忘れていた。封を開け、中を読み出したチサトの表情は徐々に険しくなっていった。

「……ホントに?」

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