ファミリアに捧ぐ 8
それから三年の月日が流れ、チサトがBランクに昇格して更に数年が経った頃、チサトのもとに二通の手紙が届いた。
一通は長らくやり取りをしていなかった母から。そしてもう一通はアサギからだった。
アサギからなんて少し嫌な予感がするな、と真っ先に開けた手紙には、近くにいたら立ち寄れというとても簡素な内容が書かれてあった。しかも急ぎで。
ますます嫌な予感を禁じ得なかったが、メシィの街にも随分立ち寄っていなかったし、丁度三日ほどで向かえる距離にいたこともあって、チサトは急ぎメシィへと向かうことにした。
「アサギ教官」
こうして久しぶりの帰還を果たしたチサトは、ギルド本部の受付で待つこと数分、やってきたアサギに声をかけた。
アサギはしばらく見ない間に随分と髪に白髪が混じっていた。チサトは心の中でここを出てからの月日を数えた。――七年も経ってる。アサギが髪を白くするのも当然の月日だ。
「呼び出してすまないな」
「いいえ。アサギ教官からなんて珍しいですね。これまで一回も連絡くれたことなんてなかったのに」
「お前の評判を聞きつけてな。丁度いい頃合いかと思ったんだ」
「評判?」
それに丁度いい頃合いってなんだ。
チサトはアサギに連れられ、近くの休憩スペースに足を運んだ。
「お前のハンターとしての評判は本部にまで届いている。ギルドと直接契約を結んでいる商人の中には、頼んでもいないのに世話になったハンターについて評価をつけ、本部に向けて送ってくる輩がいる」
「なんですかそれ、こわっ」
「まぁ、そのおかげで評判のよくないハンターは再教育したりするんだがな。お前のことはどの商人からもいい声しか聞かない。よく頑張っているな」
「っ……なんか、アサギ教官に面と向かって褒められると、ちょっと背中が痒くなりますね」
わざとらしく背中を擦るチサトに肩を震わせたアサギだったが、その顔はすぐに真剣なものとなる。
「もう一年もすれば、お前はAランクの昇格試験を受けることができる。Aランクからは特定の魔物の討伐が必要だ。そこで、お前に次の段階に進む為の準備をしてもらいたいと考えている」
「次の段階?」
「現在、サジのやつがここから五日ほど離れた場所にある集落に滞在している。そこでは集落の人々がキマイラの被害に遭っている」
「キマイラ?って……」
「お前には、そのキマイラを討伐するサジとパーティを組んでもらいたい」
「ちょっ、ちょっと待ってください。パーティ組むのはまだいいとして、キマイラってAランク以上が討伐可能でしたよね? アタシじゃ討伐できないですよ?」
「お前はサジの足手纏いにさえならなければそれでいい。近くで現役Sランクハンターの動きを見ろ。アビリティの使い方、知識、経験、全てがお前の糧になるはずだ」
「ああ、そういう……わかりました。足手纏いにさえならなければですね」
「行ってくれるか」
「教官がそうしろと言うならそうします。ただ一つ言うとしたらアタシ、パーティ経験ほぼ皆無です。一人で討伐したほうが早くて」
「だからお前を選んだんだ」
「はい?」
「Sランクハンターはほとんどのやつがパーティを組みたがらない。我が強すぎるんだ。誰かがいると邪魔になるんだよ。お前、一度も二人以上の依頼受けてないだろう。記録は全部ギルドに流れてくるから、お前の依頼受注傾向もすぐわかる。今回のはまさしくお前向きだ。サジのやつもパーティ戦には向かない男だからな」
「……最後のは聞かなかったことにします」
それってつまりは面倒事になるんじゃないかと思いはしたが、チサトは言葉になりそうだったそれをぐっと呑み込んだ。
メシィの街から徒歩や荷車の足を借りながら、五日ほどかけてサジがいるという集落に辿り着く。
住人たちが言うには、サジは既にキマイラが潜んでいる森に入っているという。キマイラは森の中にいくつも巣を作り、場所を転々としている。サジはそのどこかの巣穴の近くでキマイラを待ち伏せているようだ。
巣があると思しき場所の候補を住人に教えてもらい、チサトは森に入った。単純に考えるならば、集落に被害が出ないよう最も遠い巣穴を選ぶはずだ。
道中いくつか見つけた巣穴の状態や足跡を見る限り、潜んでいるのは雌だと判断した。
「……繁殖時期に重なってる」
チサトは魔物の皮をなめして作った手帳を広げ、一つ一つ記録を取りながらキマイラという種について履修を始めた。
これはチサトがBランクに昇格した際、一気に討伐できる魔物の種類が増えた為、自分なりに魔物の生態を把握しようと行い始めたことだ。かつて勉強嫌いだった自分が、まさか自分からこんなことをするようになるとは当時の自分も思うまい。
見つけた足跡の大きさは約24センチ、雄のものであれば30センチを超える為、間違いなく雌だろう。それにしても時季が悪い。キマイラはこの陽が落ちるのが早い時季に繁殖行動に入る。そうなると雌も雄も気が立つ。盛り立っているからだ。
不安が拭えないなか、チサトは集落から最も遠いキマイラの巣穴を発見した。辺りの探索を始め、巣より少し離れた場所にサジが準備したと思われる野営道具を見つけた。
焚き火の火はごく最近消されたもののように見える。燃え残った薪が置かれている地面が仄かに温かい。
チサトは空を見上げた。森に入る前は青かった空も夕闇が近づき始めている。おそらくそう遠くへは行っていないはず。
森の中の闇は少し先ですらも視認が難しい。今の段階で歩き回るのは危険すぎる。チサトは荷物を置くと、少しの間サジを待ってみることにした。
「なんだ、誰かと思えば」
更に森に闇が迫り出した頃、木々を掻き分け、サジが姿を見せた。
サジは自身の身長を超えるほどの大剣を背負っていた。出会った頃とほとんど変わらない容姿のサジは、むしろより体が大きくなったようにすら見える。
「アサギんところの若いのか。ナーノスにでも乗っ取られたかと思ったぜ」
「その節はどうも」
焚き火の前に腰を下ろしたサジは早々に薪をくべ、火を灯した。
「まだ生きてたとはな」
「しぶとく生き残ってます」
「ハンターはそうじゃなきゃな」
風に乗って微かに男のほうから煙った臭いが漂ってくる。チサトは眉を顰めて「それいいんですか」と尋ねた。
「ん?」
「その臭い。煙草の。自然界にない臭いですよね」
「ああ。ハッ、Sランクは吸ってないとやってらんねぇのさ。お前もなってみたらわかる」
「Sランクには興味ないんで」
「なんだ、ならねぇのか。アサギのことだからてっきりそういうやつを寄越したのかと思ったが」
そう言えばアサギもSランクハンターと自分を重ねるような言い方をしていた。もしかしてそういうことなのだろうか。
「まぁ、まだAランクにもなってねぇやつにSランクどうこう言ったって仕方ねぇな。飯でも食うか。ネメアの肉食ったことあるか。美味いぞ。それともバジリスクの肉にするか。ネメアと違う美味さがある」
「Aランク以上の魔物を軽々と……じゃあ、ネメアください」
「よし、待ってろ」
サジは手を擦り合わせると荷物の中からネメアの肉が入っているらしきガラス瓶を取り出し、鉄鍋を出してくるとその中に肉を放り込んだ。
「塩漬け肉だ。これだけで十分食える」
サジの手際には無駄がない。ある程度焼けた肉を鍋の中で切り分け、火の通っていない中をもう少し焼いたあと皿に取りチサトに差し出した。
初めて食べるネメアの肉は確かにサジの言うとおり美味かった。
これと言った会話は弾まない。サジは時折巣穴のほうを気にした。目的のキマイラはまだ巣穴に戻ってきていない。今日この巣に戻ってくるかもわからないのだ。
「どれくらいここに?」
「二日張ってる。そろそろ戻ってきてもおかしくねぇ」
「獲物は雌であってますか」
「ああ。あの巣穴の持ち主はな」
「アサギ教官とは昔恋仲だったって言うのは本当ですか」
「は、……」
サジはじっとりとした視線をチサトに向けた。チサトは全く悪びれた様子もない。
「流れで聞けるかなって思って」
「図太い神経してるじゃねぇか。武器でも磨いて時間潰してろ」
「ここに来るまででとっくに済ませてます」
「……」
サジは大きくため息を吐くと、渋々話し始めた。
アサギとサジは同期だった。互いに研鑽を重ねていた。だがそれ以上の関係はない。アサギと恋仲だったのは以前の緊急討伐任務で死んだソーマという男のほうだったそうだ。
「ソーマの野郎、あの討伐任務が終わったら引退してアサギと関係を戻そうとしてやがった」
「え……それ、教官には……」
「言えるかよ。あいつらは別に嫌い合って別れたわけじゃねぇんだ。二人ともSランクになっちまったから別れるしかなかったんだ。守りたいもんが近くにあると、庇っちまうだろ」
「あぁ……」
「それでなんとか生き残ってたっつーのに、直前で死にやがって、あの馬鹿が」
「……」
「……少し話しすぎたな。すぐ昔話をしたくなる。年寄りになるのは嫌なもんだ」
サジは皿に残っていた残りの肉を全て口に放り込んだ。
残酷な世界だな、と素直に思う。だがこういう話は珍しい話ではない。どこかの誰かも同じような経験を、今この時しているかもしれないのだ。
ネメアの肉を頬張ったチサトは、なんだかあまり味を感じなくなってしまって食べる手が止まった。
――と、木々の擦れる音に混じって何かの息遣いが聞こえてきた。二人はハッとなり皿を置き、巣穴のほうに目を向けた。
獅子の頭に二角の獣の胴体、蛇の尾を揺らめかせている姿は間違いなくキマイラだ。キマイラは欠伸を噛み締めながら巣穴へと戻っていく。
「明朝、ヤツを巣穴から炙り出す。集落に被害が出ない場所まで誘導してそこで討伐だ。お前は確かエンハンスに速度強化を持ってるな。誘導はお前がやれ」
「でもアタシ、まだエンハンス五分しか持たないんです。その後は一分の待機時間を経過させないと再発動できなくて」
「どうにかして近くで隠れとけ」
「どうにかって……また適当な」
「すぐに追いつく。足手纏いにはなるなよ」
「……できる限りそうします」
本当にアサギの言ったとおり、この人パーティ戦に向かないなとチサトは思った。




