ファミリアに捧ぐ 78
サノの建て直しが終わるまでの残り一月は、長いようでとても短かった。
大きな催事が終わっても、家に押しかけてくる記者は後を絶たず、街を出歩けば年齢関係なく声をかけられ、更にはあらゆる情報紙にチサトとのことが書かれると、今度は祝う人々に取り囲まれる日々。ノエの言っていた以上の毎日を痛感した。
また、それとは別に、以前アウラギが言っていたように使徒・リュカオン戦の詳細が世に公表された。本部に対していろいろ厳しい声が上がるなかでも、潔く公表したことについては高評価に繋がっているようだ。自身とチサトに関する記事とリュカオンの内容が書かれた記事がメインを飾る情報紙に、カガリはなんとも言えない感情に苛まれた。
そんな中でなんとか役場でチサトをカガリの戸籍に移す申請を終わらせたり、(この届けがあるのは中央のみ。姓の変更が必要となる為)、チサトのSランクハンターのハンターカード返納、サポートハンター制度の最終調整における会議、カガリがネロに頼んだ新しい銃の開発、ミアのアビリティ研究における今後のスケジュール調整、報奨金の一部を孤児院に寄付する手続きなど、日々は確かに過ぎていった。
その中にはもちろん、映像通話でミクロスに繋ぎ、チサトと共に集落に帰ることを報告したことも含まれている。
『はぁ!? そういうのはもっと早く言いなさいよ!』
画面越しにイオリの声が響き、カガリは「声が大きい」と辺りを見渡しながら言う。そこは他ならぬギルド本部。ギルド職員、ハンター、依頼人など、数多の人が行き交う場所だ。
通りがかりの職員が何事だと視線を向けてくる。カガリはそれになんでもないんだと苦笑を浮かべやり過ごす。
『もう兄貴たちの部屋作り終わっちゃってるんだから! 前より広いったって、三人で暮らしてく想定で作ってないんだからね!』
「報告が遅くなったのは申し訳ないと思ってるよ。いろいろあったんだ。家具の配置任せたいんだけど、平気か?」
『いいけど、さっきも言ったように三人で暮らしてく想定で部屋作ってなかったから、兄貴の部屋とミアの部屋しかないんだよ』
「ミアと部屋分けたのか」
『ミアももう、そういう年頃だしね。前みたいに寝室一緒でもよかったけど、成長するとまた今まで気になってこなかったものが気になったりするからさ。兄貴のいびきが気になって眠れないとかになったらミアも嫌だろうし』
「……」
『まぁ? 結果的には分けて正解っちゃ正解か。せっかく兄貴の部屋広めにとったのに、ベッド二つも入れたら前と広さあんまり変わらないな。チサトに兄貴と寝るとこ同じになるけどいいかちゃんと許可取んなさいよ?』
「わかってるよ」
『駄目だって言われたら、仕方ないから他の部屋をチサト用に空けるしかないね。前より融通の利く建物だけど、今の段階で増築はさすがに人の手も時間も足りないし』
「……なんか、悪いな」
せめてもう少し早く自分がチサトに話せていたらな。カガリは自分の不甲斐なさを嘆く。『いいよもう』とイオリは言った。
『家族が増える分には大歓迎だよ。それがチサトなら尚更ね。増築は無理だけど、防音ならいけると思うし』
「防音?」
『――あ、ちょっと待って』
イオリの視線が画面から逸れ、『ハル坊!』と声を上げた。それはイオリがハルトを呼ぶときの愛称だ。画面外にどうやらハルトがいるらしい。
『チサトがこっちに住むんだってさ。兄貴と一緒に帰ってくるって。嘘じゃないよ、って、ハル坊!? どこ行くんだよ!』
「ハルト君がどうした?」
『いや、チサトが帰ってくるって言ったら、血相変えて出てったよ。あの年頃は何考えてんだかわかんないね。で、他にはなんかある?』
「今のところは。迷惑かけて悪かった」
『もういいって言ったろう。……なんにせよ、よかったよ。これから先の兄貴が一人じゃなくて』
その言葉の意味を痛いほど理解して、カガリは静かに頷く。
『じゃ、アタシこれから旦那の手伝いしてこないとだから。なんかあったらまた連絡して』
「ああ」
通話が途切れ、画面が暗くなるとカガリは口から小さく息を吐き出した。そしてふっと笑みを零す。心配するのは一緒に住む部屋のほうか。緊張していたのが馬鹿みたいだ。すっかり気が抜け、カガリは映像通話の電源を落とした。
「……そう言えば防音ってなんだったんだ」
夜、カガリは街の路地にある酒場にチサトを呼び出した。
この数日前、カガリはチサトから怪我が全て完治したことを告げられていた。ならば快気祝いをしなければ。チサトに、サノでは自身と部屋が一緒になってしまうことを伝える必要が出た為、この日が一番丁度よかった。
「それに、あなたとの約束を果たさないと」
「約束?」
「使徒との戦いで無事生き残れたら、とびきり美味しいお酒をご馳走する」
あ、とチサトは思い出す。そんなことすっかり忘れていた。
「随分かかってしまいましたが、その約束を果たさせてください」
「そうか、だからか」
カガリが以前、頑なに酒は駄目だと融通が利かなかったのは。
「いや、怪我が完治してないのに呑むのは普通に考えて駄目なので、それはそれ」
「なんだ」
「だから完治したときの為にいい店はないか密かに探してたんです。で、美味しい蛇酒をね、出してくれる店を見つけてきたわけです」
「蛇酒。絶対度数高い」
「噂だと燃え盛るように火が点くらしいですよ」
カガリが言った傍から他のテーブル席で火が点けられた蛇酒に盛り上がる客の賑やかな声が聞こえてくる。それに目を奪われていると、二人のテーブルにも小さい樽で運ばれてきた蛇酒とグラスが二つ置かれた。カガリは樽のレバーからグラスに蛇酒を注いでいく。
「快気祝いの一杯にどうぞ」
目の前に差し出された小麦色の酒にチサトはゴクリと喉を鳴らした。いただきますと声小さく告げ、グラスを傾ける。
「くぅ〜……あー、きっつい! でも美味い!」
「でしょ。私にはちょっと強すぎるので、燃やしてから」
カガリは注いだ酒に一緒に店員が持ってきた火点け石で火を点けると、少しの間それを眺めた。軽く香りを手で煽り、満足そうに頷いたカガリはグラスにコースターで蓋をした。その一連の動作を見ていたチサトがふと口を開く。
「あなたって時々らしくないですよね」
「はい?」
「なんて言うか、ギルド職員らしからぬ所作というか、一、職員にしてはたまにかっこいいっていうか」
「かっこいいですか?」
「今のそれとか」
それ、とカガリは指されたグラスを見る。火はもう消えていた。コースターを外し、一口流し込む。それでもまだキツさがあるのか、カガリは一瞬眉を顰めたものの、美味いと零した。
「というか、においわかるようになったんですね」
「ああ。おかげさまで。人生の楽しみが戻ってきて嬉しいです。それもこれもあなたのおかげだ」
「すぐそういうこと言う」
「事実ですから」
カガリは少しばかり姿勢を正すと、「今後とも、よろしくお願いします」と頭を下げた。「こちらこそ」同じく背筋を伸ばしてチサトは言う。
「でも寝る場所が一緒になるっていうのはちょっと想定外でしたけど」
「それは……申し訳ない」
「まぁいいですよ。宿営地で知らない人と隣同士で寝るなんて普通だったし。それに比べたら全然」
話し込んでいると、二人のテーブルに店員が鹿肉を焼いて切り分けたものを運んできた。
「頼んでませんけど」
「店主からです。ごゆっくりなさってください」
去っていく店員に二人は顔を見合わせてから、運ばれてきた鹿肉を見る。
「有名になるってそんなに悪いことばっかりでもないんですよ?」
チサトはニィッと笑って鹿肉を食べ始めた。そうかもしれないが、慣れるもんでもないよなぁとカガリもフォークを掴んで思う。
「――美味い」
とは思いつつ、美味しいものはありがたく頂くことにする。酒も進めば肉を食べる手も止まらない。これでまた新しい酒と料理を頼んだら店に貢献することにはなるのだが、美味しいものを食さないという選択肢は二人にはない。
二人だけの密やかな時間は、こうして今日も過ぎていく。




