ファミリアに捧ぐ 76
「これで一応お願いは達成できたかな」
「……」
チサトがミアを見ると、それまでは浮かんでいた笑顔が急になくなってしまった。カガリは何かを言わなければと思ったが、チサトがミアの前に屈み込んだことで今は自分が出るべきではないと判断した。
「ミアちゃん、前にアタシにお願いしたさ、ママになってほしいってやつ。あれ、冗談じゃないよね?」
ミアは大きく首を振って嘘じゃないのだと否定した。チサトは何度か頷き、小さな手を握り締める。
「どうしてそう思ったのか言える?」
「……」
「ちょっと言いづらいか。じゃあ、アタシから聞くね。それはお父さんと関係ある?」
え、とカガリはチサトを見たが、ミアが頷き返すのを見てもしかして原因俺なのか……?と考え込む。ミアが単にチサトが好きだからあんなことを言ったんだとばかり思っていた。
「そっか。じゃあもう一つ聞くね。それはお母さんのことにも関係ある?」
カガリは思わず足が一歩前に出た。それはチサトがこれまで大きく話題には上げてこなかったことだ。気になってミアを見ると、ミアは少ししてゆっくりと頷いた。チサトは何度か頷き返す。
「わかった。大体見当がついた」
「ミカゲさん……?」
「どこまで当てられるかわかりませんけど、アタシがこれまでのミアちゃんの行動でいくつか気になることがあったんです。それをアタシなりに解釈すると、ミアちゃんはあなたとミアちゃんのことを守ってくれて、そして自分も死なない強いハンターにママになってほしかったんだと思います」
「どういうことですか?」
「ミアちゃん、アタシの言ったことあってる?」
俯いているミアはポーチの紐をぐっと握り込み、頷いた。
「ミアちゃんがアタシに最初に聞いてきた質問、覚えてますか?」
「えぇっと」
「ミアちゃんアタシに、強いハンターかどうか聞いてきましよね。で、それを毎回来る女性ハンターに聞いてるって」
「あぁ」
「それが、ミアちゃんの中のママになってくれる人の第一条件」
「……あ、そういう」
「そのあといくつか質問してきたってことは、ミアちゃんの中でアタシが条件に合った人間だったんでしょうね。だから次の日、自分のお気に入りの場所にも案内してくれたんでしょ? 行っちゃ駄目だってわかってたのに」
ミアは気まずげに俯いている。
「それから何回もミアちゃんがアタシに死なないでって言ったのは、言葉通りの意味と、強い人であってほしいっていうミアちゃんの思いがあったんだと思います。あなたのことをしきりに守ってほしいと言ったのもおそらく同じ理由。アタシとあなたにお揃いのお守りをくれたのは、アタシとあなたが一緒になってくれたらいいなっていう願望もあったんじゃないかと思います。ここまでで何か間違ってることあるかな」
チサトが尋ねるとミアは大きく首を振った。カガリはチサトの観察眼に呆気に取られながらも、ミアにどうしてと口を開いた。
「なんでそんなにミカゲさんじゃなきゃいけなかったんだ? そうじゃなくても強い人は他にも」
ミアはもう一度首を振ると、ポーチの紐を握り締めたままカガリを見上げた。
「ミアのママ、ミアのこと守って死んじゃったから、だから今度ミアのママになってくれる人は強い人がいいなって思ったの。チサトお姉ちゃんみたいに。そうすればミアを守って死んじゃうこともないし、パパが泣いちゃうこともないかなって」
「ミア……お前、そんなことを」
「そっか。それでアタシにママになってほしいって言ったんだね。じゃあ、最近避けてたのはどうして? 嫌いになったわけじゃない?」
「嫌いじゃないよ! チサトお姉ちゃんのこと大好きだもん!」
「じゃあ、どうして?」
「それは……えっと……」
「――あなたが、ハンターを辞めると言ったから」
カガリが小さく呟くと、ミアはこくりと頷いた。
「あなたがハンターを辞めれば、あなたがあの集落にいる意味はなくなる。自分の願いどころか、あなたが集落からいなくなってしまうことに、娘は落ち込んだんですね」
「あー、なるほど。なるほどなぁ。そっかぁ、アタシが誤解させるような言い方したのがまずかったのか」
「誤解?」
チサトは申し訳なさそうな表情をしてミアを抱き上げた。
「ごめんね、言葉が足りなくて。結論を言うとね、アタシ、ハンターは辞めません」
「そうなの?」
「うん」
「辞めないんですか? 教官の話は?」
「ああ、あれ。大分前になかったことにしてもらいました、ユノちゃんに話して。思うところもあったし」
「あ……そうだったんですか」
カガリは心の底から安堵した。もうなんだとは思わない。この心の声には従うことにした。
ミアを抱え直したチサトは「もう少し正確に言うと」と話し始める。
「Sランクハンターは引退かな。今回の授与式が終わったら、Sランクの資格を返上することになってたんです」
「それはまた、どうして?」
「自分ももういい歳っていうのもありますし、いろんなところを転々とする生活もまぁ、悪くはなかったんですけど、なんて言うんですか? 帰ってきたときに、おかえりなさいって言ってもらえる環境が、なんかいいなって、思っちゃったんですよね」
「そうだったんですか……え、ということは?」
「んー、アタシもサノの建て直し待ちってことで」
「チサトお姉ちゃんミクロスに住むの!?」
「うん。ここはいろいろ便利だけど、Sランクハンターの名残がそこかしこにありすぎてちょっとねぇ。出歩いてるといろんな人に声かけられるし。人は嫌いじゃないけど、自分の時間も欲しいから。今までで一番滞在時間の長かったミクロスにお世話になろうと思って」
「じゃあミア、チサトお姉ちゃんといっしょにいられる!?」
「いられるよ」
「やった!」
抱き着くミアにチサトはよしよしと背中を叩いた。
――なんだ、なんだよ。じゃあいろいろ思い悩む必要なんてなかったじゃないか。
カガリは「はー……」と大きなため息を吐きながら天を仰ぐ。諦めなくていいってことか。さっさと聞いときゃよかった。
「どうしたんですか、そんな気疲れしちゃって」
「しますよそりゃあ。こんな無駄に考え込んでて。自分が情けなくて」
「ん?」
「……もうこの際だから言います。あなたが教官になろうと思ったのは、使徒との戦いに疲れたからでしたよね」
「ええ」
「教官になる理由がそうなら、よかったらミクロスで普通のハンターとして生活をしていかないかと、あなたに言うつもりだったんです」
「アタシに?」
「はい。ミクロスは小さい集落です。他の集落もまぁ、似たようなものですけど、立ち寄るハンターはいても滞在していくハンターはとても少なくて、更に暮らしていくとなるともっと少なくなるんです。年に一人か二人、いればいいくらいです。あなたのように強いハンターが一人いてくれるだけでもとても心強い。サノの料理は美味しいし、人だって温かい、魔物の出現頻度は高くないので、その点で言えば物足りないでしょうが、これまでずっと死線を潜り抜けてきたあなただ。もうそろそろゆっくりしてもいいんじゃないかと思って」
チサトはカガリの言葉にいくらか瞬きを繰り返すと、ミアを下ろし、小さな肩に両手を添える。
「なかなか理屈の通った話ですけど、まさかそれだけの理由でアタシを口説き落とせるとは思ってませんよね?」
「っ……一緒に、どうですかね。暮らしていくのも悪くないんじゃないかなと。あなたと呑むお酒は楽しいし」
「もう一声」
「えぇっ。こんな街中で……えーっと……わ、私と……いや、私たちと――ファミリアになっていただけませんか、チサトさん」
「いいですよ」
「はやっ、即答ですか?」
「まぁでも、あなたのことを好きになるかはまた別問題ですけどね」
うぐっ、とカガリは眼鏡をかけ直し、そうですねと伏目がちになる。
「それはまぁ、はい。そうですね。家族になるのに恋愛感情が優先である必要はないですから」
「……チサトお姉ちゃん、ミアのママになってくれるの?」
ミアが恐る恐るチサトを見上げた。チサトは「そうだよ」と返した。
「喜んでくれる?」
「……うん!」
再び抱きついてきたミアにチサトは優しく抱き締め返した。
片やカガリはこんなぬるっとした感じでチサトが家族になることが決定してしまってよかったのだろうかと考え込んだ。もっとこう、躊躇したり、一度は断られるといったことがなかったことは本当によかったのか自問自答を繰り返した。
――というか、そんなにすぐに決めてしまってよかったものなのか?
「あの、本当に承諾してよかったんですか? 空気に流されてとか、断りにくかったとかないですか?」
「ないですよ。言ったじゃないですか、ミアちゃんのママになるのも悪くないかもって」
「あ、あれは……そういう」
「他にどんな意味があると思うんですか。安心してください、ちゃんとその言葉を受け取る覚悟はできてますから。あとね、昨日はあなたからなかなか熱く口説き落とされたのもありますし」
「ちっ、ちがっ! あれはその……そういうつもりでは……まったく」
肩を落とすカガリにふふっと笑い返したチサトはミアを放し、見上げてくるつぶらな瞳を見つめ返す。
「アタシも守りたいんですよね。この子の未来を」
「……ミカゲさん」
「だから一緒に守らせてください」
穏やかなチサトの表情が、遠くに消えつつある僅かな太陽の光に晒され美しくカガリの目に映り込んだ。
――やっぱり、この人は俺にとってのアテナだ。
カガリはただただ、頷き返すことしかできなかった。
その後、結局ミアがチサトから離れたがらず、ミアが眠りにつくまでチサトはカガリの家で過ごすこととなった。
いつもなら眠る時間を大幅に過ぎてやっとチサトに見守られながらミアが寝息を立てた。「すみません」とカガリが声小さくチサトに謝った。チサトは首を振り、「可愛いんで」と返す。
二人はダイニングに向かい、互いに温かいお茶を啜る。本当は酒で一杯といきたかったが、生憎チサトはまだ怪我が完治していない。
「しっかし、いろいろ飛び越えて子持ちかぁ」
「そういうの気にされます? やっぱり」
「いや、気にはならないですけど。アタシの家族が知ったらどんな顔するのか想像できなくて」
「そうだ。確かご家族、中央にいらっしゃるんですよね? これからあなたの人生を預けてもらう身ですから、ご挨拶させてください」
「えぇぇっ、会います? この歳になってまで」
「もちろん。今後何かあったときにはご連絡しないといけませんし」
「例えば?」
「例えば……」
「アタシが死んだときとか?」
「はい……って、縁起の悪い」
「ハンターを続けていく以上はねぇ、避けられない道ですから」
チサトは首から提げていたものを襟元から引っ張り出してきた。それは避難時にミアがチサトに渡したお守りだった。袋の口を開け、それごとカガリに差し出す。
「なんです?」
「見たらわかりますよ」
そう促され、カガリは袋の中を覗き込む。砕けたアンバーの牙と、もう一つ折りたたまれた紙が入っている。カガリは紙のほうを摘み、開いて中に目を通した。目を通して絶句した。――遺書だ。そう言えばチサトは家族に手紙を残すと言っていた。これのことだったのか。
「もう何回書いてきたことか」
「……」
「使徒戦前には必ず書くようにしてるんです。突然ただその事実だけ伝えられるのは家族も嫌かなって思って」
遺書を握り締めるカガリの手が震える。そして眼鏡をかけ直すと、「……見なかったことにします」と遺書を袋にしまいチサトに返した。
「もっといいことで連絡しましょう」
「じゃあ、他に何が?」
「他には……子供が、できたときとか?」
「……」
「……すみません」
「何も言ってませんよ。まぁ、可能性はなくはないですから。好きにならないとは決まってないですし」
「そうですね」
カガリが腕を組んでなんとも難しい表情をするので、チサトはもしかしてとその顔を覗き込んだ。
「あなたアタシのこと好きですか?」
「……。正直、わかりません。ただ、これだけははっきり言えます。あなたが私にとっての女神であることは確かなんです」
「またそういうこと」
「最後まで聞いてください。その、なんて言うんですかね。あの時のあなたの勇ましさというか、気高さというか、そういうものにね、惚れてしまったんですよ」
「惚れたんですか」
「そう。だからね、好きという感情とはまたちょっと違うんです。あなたという人に……そう、酔ってるんですよ。いいなって、心惹かれてるんです。今はまだ、それだけ十分」
「ふぅん。悪くないかもですね」
「ならよかった。で、ご家族への挨拶、いつ行きますか」
「行くこと決定ですか。ま、実を言うとあの授与式のときにアタシを取り囲んだ中にいましたけどね、普通に」
「いたんですか? 惜しかったな、そこでせめて声だけでもかけられていれば話が早かったのに。あ、せっかくだしミアも連れていきたいんですが、大丈夫そうですかね?」
「大丈夫だと思います。うちの家族、元々住んでた場所が場所だから家族の知り合いみんな友達、みたいな人たちなんで。アンバーも連れてきていいですよ」
味気ないお茶を片手に、二人の会話は夜更けまで続いた。そんな二人の楽しげな会話を、アンバーだけが大欠伸を噛み締めて聞き耳を立てているのだった。




