ファミリアに捧ぐ 7
授与式当日はチサトたち訓練生は早朝から表彰台の準備やら、献花式の準備やらでギルド職員に混じり大忙しだった。
そんな中でもSランクハンターを目指すノエだけは「いつか自分もここに立つのかもなぁ」と忙しさの中に一人楽しさを見出していた。
ひとしきりの準備が終わると、今度は街を覆う防護壁内部に作られた見張り場で、訓練生は全員外の見張りで待機することになる。
『今回生き残れたのは運がよかっただけだ。ハンターは運のよさが物を言う』
遠く離れていても、サジの声がマイク音声を通してチサトたちの耳にも届いた。
外を見ながらなんとなくチサトがその声に耳を傾けていると、「聞いたか?」と少し離れた場所に立っている訓練生が見張りに飽きたのか、別の訓練生と話し始めた。
「今回の任務で死んだハンターソーマ、アサギ教官とサジさんの同期だったらしいぜ」
「ああ、みたいだな」
「あの人らの世代ってさ、これまでの中で一番多くSランクハンターを出したんだよ。なのに、今じゃ引退したアサギ教官を除いて、サジさんしか生き残ってないんだぜ? Sランクハンターってどんだけ死亡率高いかって話だよな」
チサトはそれをどこか遠い話のように聞いていた。
Sランクなんて意図的に目指さなければ生涯ならないランクだ。自分には無関係だとわかっていながら、それでも他人事には思えないのは何故なのだろう。
使徒と戦うことだって、きっとこの先ないはずなのに。
授与式と献花式が滞りなく終わり、今度は後片付けに追われる。それが終わればまた引き続き見張りに戻り、長い一日が過ぎていく。
後日祭を少しだけでもなんて言う甘い考えはできるわけもなく、以降は三月後の卒業試験に向けた勉強と訓練が淡々と続いた。
その間も、チサトは何度か座学の授業中に居眠りをしてアサギに怒られ、図解録の書き取りに居残りをさせられた。その度にノエだけがいつも食堂から昼食をくすねてきてくれた。ありがたかった。
それがいくらか続いたある日、もうすっかりリュコスの生態にだけは詳しくなったという自負を持ちながら、この日も自分に付き合ってくれているノエにチサトは尋ねてみた。
「ねぇ、ノエってさ、なんでそんなにアタシに親切にしてくれるわけ?」
「うん?」
それはずっとチサトが持ち続けていた疑問だった。たまたま後ろの席で、目の前で怒られて、それが面白かっただろうことはわかる。
しかし食事の時間や、一日の終わりの僅かな時間でしか交流のない自分に、わざわざ食堂から食事をくすねてきてくれるほどな関係なのだろうかとも思ってしまうのだ。
ノエは菓子パンを頬張りながら、「そうだなぁ」と口を開いた。
「せっかく数多くいるハンターの中でさ、同期になって、いつ死ぬかもわかんない世界で知り合えたんだし、一人くらいは自分が死んだときに名前と顔覚えておいてもらいたいじゃん?」
「それで親切にしてくれるわけ?」
「だって寂しいじゃん。どっか未開の地で魔物に食われて死んでさ、あとで見つかるドックタグだけ回収されて終わりって。自分が死んだことはギルドの記録にしか残らないんだよ? だからせめてさ、一人の記憶に残ってほしいわけ」
「それでアタシ選んだの?」
「そう。アンタ義理堅そうだしさ。悪いやつじゃないってわかるから」
「何、アナライズのアビリティでも持ってる?」
「まさか。でも人を見る目はあるつもりだよ。アンタ絶対上に行くよ」
「出た、謎の自信。その前にアタシは試験合格しなきゃ」
「だね。けどリュコスだったら今のところチサト満点取れそうじゃない?」
「リュコスだけじゃあなぁ」
自身のことを覚えておいてもらいたい人間に自分を選んでくれたというのは少し照れ臭い。
しかしもし自分が死んだとき、目の前のノエが少しでも悲しんでくれるのかと思うと、自分もちょっとはありがたいなと思える気もした。
大浴場から上がり、チサトは机の上に数冊重ねていた図解録を手に取った。
ここ二月近くはずっとこの生活が続いている。それでもなかなか集中力は続かず、ゾーンのアビリティも短時間しかまだ使えないことから、チサトは本を開いては閉じてを繰り返した。
結局この日も数ページ読み進めて集中が途切れ、ベッドに倒れ込んだ。
ふと思って、部屋の隅に立てかけている槍に目を向けた。訓練以外で持ち出すことが減ってしまった自身の槍は、ここ最近はすっかり触れていない。
――未練はまだある。
捨てろと言われてすぐに捨てますとはなれない。
「でも触ってると怒るんだよなぁ、あの人」
チサトはベッドに顔を埋め、呻きながら頭を擦った。
基礎訓練中、チサトはアサギの見ていないところで槍を振るったことがある。そこを運悪く見つかり思い切り拳を受けたのだ。それ以来チサトは槍に触っていない。
「……」
それでも少し触るくらいなら。集中も途切れてしまったし、本当に軽く触るだけだし、と言い聞かせてチサトは槍を掴んで部屋を飛び出した。
夜中の訓練所の敷地は月明かりだけが照らしていた。
木人相手に軽く動いたら戻ろうと思っていた。軽い気持ちで木人がある場所に向かおうとしたチサトはそこに先客がいたことに気づいて慌てて建物の影に隠れた。
ウェルサがいる。木人相手に片手剣と盾を握り締めている。
あの武器は二種類の戦法がある。剣術と盾術の二つだ。他の武器に比べて覚える動作が多く、ウェルサは毎日のようにアサギから指導を受けていた。今している動きは午後の訓練でアサギに指摘されていたものだ。
勉強ばかりしていると思っていた男の影の努力を知り、ただやりたいからという理由で槍を手にした自分がなんだか恥ずかしくなってきた。
……基礎を怠る者は基礎に泣く、か。
チサトはしばし考え込むと、一度部屋に戻り、その手にガントレットを抱えてやってきた。
隣に並ぶチサトにウェルサは目線だけ向けたが、声はかけなかった。
「ねぇ、なんであんなこと聞いたの?」
ガントレットを装着しながらチサトが尋ねた。
「あんなこと?」
「前にさ、アサギ教官に聞いてたじゃん。引退したこと」
「ああ……。自分が誤解してるのが嫌だったからだ」
「誤解?」
「ハンターサジが言ってただろ。アサギ教官は強い女だって。あの人の性格見る分に、よっぽどのことじゃなきゃハンター辞めてなかっただろうなって思ったから、それで聞いたんだ」
「ふぅん」
「……なんだよ」
「別に。アンタって案外いいやつだね。性格は好きになれないけど」
ウェルサを一瞬だけ見たチサトはすぐに木人の打ち込みに入った。
軽く舌打ちをしたウェルサは「一言余計だろ」と呟いて自身もまた訓練を再開した。
こうして三月の月日が流れ、卒業試験の結果が本部の掲示板に貼り出された。
左側には試験の通過者が一覧で並べられ、そこにはノエの名前があった。
「よっし! チサトは?」
自身の名前を見つけたノエは、隣で同じく一覧を見つめているチサトを見た。これまで苦戦しながらも勉強に励んでいたチサトの姿を見ていたノエとしては、できれば喜びを分かち合いたいところだが。
「……あるには、あるけど」
「どこ?」
「……追試のところ」
あっ、とノエは握り締めていた拳を降ろすしかなかった。
通過者一覧の貼り紙の隣には、追試となったハンター数名の名前が記載されていた。そこには間違いなくチサトの名前がある。
「チサト」
「アサギ教官……」
喜ぶ訓練生たちの声が響くなか、チサトはアサギに隅のほうへと呼び出された。
「お前の筆記の点数は687点だった。おそらく次の追試で突破できるだろう。座学が駄目だった割にはここまで伸ばせたことは褒められたもんだ。実技に関しては972点で他の訓練生とは大きな差を開けている。特にガントレットの点数は一番評価が高かった。短時間でよくここまで伸ばせたもんだ」
「でも筆記が……」
「言ったろう。知識を疎かにする者は知識に泣くんだ。お前はそれを克服していかなきゃならん。知識が追いつけば、自然とお前の評価は上がっていくだろう。追試は三月後だ。問題集を用意してある、それを持っていけ」
「……はい」
去っていくアサギとの入れ替わりでノエが駆け寄ってきた。
落ち込むチサトに「ごめん」とノエが謝る。
「もっとアンタの苦手な分野詰めればよかったね」
チサトは首を振り、大丈夫だと返した。
「むしろここまで付き合ってくれてありがとう。凄く助かった」
「アタシ、たまに様子見に来るよ。どの道EからDランクまでは中央から離れられないし」
「それでアンタのハンターとしての仕事疎かになったら駄目でしょ。いいよ、一人で頑張る。むしろ頑張らせて」
「チサト……」
「ふん、追試になってようやくやる気出すとはな」
と、ウェルサがチサトのもとに歩み寄ってくる。ノエが咄嗟にチサトの前に立ち、ウェルサとの間に距離を作った。
「何、嘲笑いにでも来たわけ?」
「勉強を怠ったのはそいつ自身の問題だろ。追試で合格するにしても、三月の差がどれだけ出るか見ものだな」
「アンタさぁ」
「いいよ、大丈夫」
チサトはノエの後ろから顔を覗かせ、ウェルサを見やった。
「アンタはちゃんと受かるだけのことしてるから、言う資格ある」
「ちょっと、チサト」
「言っとくけど、やることもやってないでお前たちに言わねぇよ。俺に言われたくなきゃそれだけのことをするべきなんだ。せいぜい這いつくばって頑張れよ、女なんだから」
言うだけ言って去ってしまうウェルサにノエはいーっと歯を見せて息をついた。
「くっそー、あいつ言いたい放題言いやがって。絶対追試受かんなよチサト。あんなのに先行かしたら駄目だからね」
ウェルサの背中は喜びや落ち込みを見せる訓練生たちの間を抜けて見えなくなっていった。
ノエには申し訳ないが、チサトにはそこまでウェルサの言葉が悪いようには聞こえなかった。むしろ、女なんだから自分以上に努力しないと駄目だという激励に聞こえていた。
(不器用な人だったんだろうなぁ、あの人)
そこからチサトは猛勉強を開始した。
アサギから渡された追試用の問題集と座学を受け、合間のガントレットの訓練も決して怠らなかった。
その間、時々ノエが顔を見せてくれた。最初こそ、毎日必死に依頼を受けている姿がチサトの目に映っていたが、日に日にハンター生活に馴染んでいくノエが少しうらやましくもあった。
ノエがいない時間の時の流れはとても遅く感じた。誰かと共に勉強をするという時間は大切だったのだと知る。
こうして、三月の時間をひたすら勉強することに費やしたチサトは再びやってきた試験に挑んだ。そして――。
「チサト! 結果どうだった!?」
結果発表の日、ノエが朝一番でチサトのもとに駆け付けてくれた。
本部の掲示板には追試の通過者一覧が貼り出されている。それを見ていたチサトはノエを振り返り、笑って頷いた。
「よしっ! お祝いしよう! アタシご飯奢るよ!」
チサトの腕を掴んで連れ出そうとするノエに、「いやいやいや、ちょっと待って」とさすがにチサトがそれを引き留めた。
「追試受かっただけで?」
「当然! あとアタシ、もう中央から出れるようになったからさ、外行こうと思うんだ」
「え、それって……」
ノエは懐を漁り、チサトに向けてカードを取り出して見せた。表面に「HUNTER CARD」とあるそれには黄色い帯が引かれている。
「うっそ、Cランクじゃん! いつ!?」
「昨日なったばっか。アンタんところ来ながらもちゃんと依頼の数はこなしてたんですよこれが」
「くっ……後追い感が凄い……」
「だぁいじょうぶ、アンタならすぐ追いつくよ」
「そうだな」
「アサギ教官」
そこにやってきたアサギが通過者一覧の紙を見て、そしてチサトを見た。
「チサト、お前にはハンターとしての資質があると私は思っている」
「教官……」
「追試の合格者には依頼を優先して受けられるよう本部には掛け合っている。要領よくこなせば一月でCランクになれるはずだ」
「一月……」
「その後Bランクに上がるには三年のハンター経験、そしてAランクはそこから五年、Sランクには七年の経験が必要になる。ノエ、お前はSランクを目指しているんだったな」
「はい」
「お前なら簡単じゃないだろうが難しくはないだろう。精進しろ」
「はい、ありがとうございます」
元Sランクハンターに言われたとあって、ノエは嬉しさを隠し切れていない。「よかったじゃん」とチサトが声をかけると、アサギが再びチサトに視線を向けた。
「チサト、時として人は自分の力では上にはならないものだ。他人から見る評価がお前を押し上げることもある」
「どういう意味ですか?」
「いずれわかる。基礎を怠るな。知識を磨き経験しろ。私からは以上だ。機会があればまた会うだろう」
最後まで決して慣れ親しむことはないまま、アサギは笑顔一つ見せずに立ち去っていった。アサギなりの励ましのつもりだったのかもしれない。
「……よし、ご飯食べに行こう」
手を叩いたノエは再びチサトの腕を取り今度こそ歩き出した。
「結局行くんだ」
「今日がもう最後なんだよだって。次会うのが死体だったら嫌じゃん」
「そういう言い方もどうかと思う……」
この日、二人は夜まで飲み食いして最後の時間を過ごした。
そして次の朝には、ノエはまだ見ぬ地へと旅立っていった。それを見送ったチサトは少しの寂しさに目に熱いものを感じながらも、これからやってくるハンター生活に気合を入れ直した。
依頼はギルドの受付に行くと受けることが可能だ。
ハンターカードを提示し、その時のランクに応じた依頼をギルド職員が紹介してくれる。
ハンターランクはEからSまで存在し、EとDはハンターの初歩的な依頼の受け方を学ぶ為、基本的に採取、採掘、調査依頼、そして攻撃性のない魔物の捕獲任務しか受けられない決まりになっている。
魔物の討伐が可能となるのはCランク以上。どのハンターもまずはこのCランクを目指すことが最初の目標となる。
なお、ギルド本部では魔物の討伐依頼は発行されていない。街にハンターが集まってしまうことを防ぐ為だ。だからどのハンターもCランクになると、街を出て外に向かう。
通常、Cランクになるには三月ほどかかる。それだけ依頼の数をこなす必要があるからだ。しかしアサギが言っていたように、追試になってしまった訓練生には緊急措置として、通常よりも多くの依頼が回ってくるようになる。このおかげで、一月もあればCランクに昇格が可能だ。
そして、チサトもこの緊急措置のおかげで無事一月でCランクに昇格し、メシィの街を旅立つこととなる。