ファミリアに捧ぐ 68
「大きい鳥さん!」
ミアが自分の何十倍もある大きさのフェニクスに手を伸ばしている。ユノが気を利かせてミアを抱き上げ、顔を下げてくるフェニクスにミアを近づけた。
その光景を広場に設置されているベンチに腰掛けながら、カガリとチサトが眺めていた。二人の間にはアンバーがすっかり気持ちよさそうに寝息を立てている。
「あのフェニクスはあなたの相棒に会いに来ていたんですね」
カガリが言うと、ベンチの背に掴まり羽を休めているアグニに餌をやりながらチサトは頷いた。
「フェニクスは縄張り意識が分、同族に対してはとても慈悲深い魔物なんです。だから時々こうして、人里で暮らしてるアグニに会いに来るんです」
「自分の子供ではないのに、ですか」
「自分の子供の子供の、そのまた子供の、うんとうんと遠い先の子供の血を引いてるから会いに来るんですよ」
「確かに慈悲深いですね。でも、あのフェニクスは使徒なのに魔障を放っていませんよね。それに人にも友好的です」
「時代の流れなんでしょうね、それも。最初は普通の使徒と同じように魔障を放ってたと思うんですよ。でもほら、人は魔障が毒になるでしょ? フェニクスって、生と死を繰り返す魔物じゃないですか。それと一緒に、人里にいる自分の同族に会いに行くことを繰り返した結果、魔障をどこかに置いてきちゃったんでしょうね」
「……なるほど。一つの生態系を、人間がまた一つ壊してしまったわけだ」
「でもこの子に不死性は受け継がれてませんから」
そう言ったチサトの声にはどこか寂しいものを覚えた。カガリがチサトを見ると、チサトはアグニの胸元を指の背で撫でていた。
「いつかこの子が死んだら、あのフェニクスも人里には降りてこなくなると思います。そうしてまた、長い年月をかけて本来あるべき魔物の姿に戻るはずです。フェニクスはこっちが不用意に近づかなければ人間に害を与える魔物じゃないですからね」
死、その言葉を一瞬でも口にすることをチサトは躊躇ったのだろう。カガリもその気持ちを汲んで、小さく頷いた。
「しかし、検査だと偽って自分が治療室にいないのを悟らせないようにしたのはいただけませんね」
「いや、検査は本当です」
「そうなんですか?」
「はい。だからアタシの検査が終わるまでテスト項目の数で時間調整してもらってたんですよ」
「あ、それであんな中途半端な項目数だったんですね」
「お手数おかけしました」
「いいえ。でも一体いつからそんな話が?」
「あなたがテストを受けるってなったときから、担当から協力してくれってお願いされてたんです。アタシがアンバーの訓練をしたから、アタシがそういう状況に陥ったほうが予定外の動きをするだろうって」
「確かに、してましたね」
カガリは視線をアンバーに落とす。もしあの時判断を誤っていれば、アンバーのサポートアニマルへの登録はできなかったことだろう。
担当官はその場でアンバーの口周りの長さを計ると、専用の口輪を用意して後程届けてくれると言った。これでようやくミアにアンバーを連れさせ、外で遊ばせることができる。
「あなたのおかげです」
「ん?」
「あなたが以前、私に教えてくれたことがあったから、私も冷静に対処ができたんです。私はあなたに教わってばかりだ。私のほうがあなたよりも長く生きているはずなのに。あなたには感謝し切れないことがたくさんあります」
「そんな面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしいと言いますか」
こめかみを掻きながらチサトは隠し切れない笑みをどうにか誤魔化し、そうだと何かを思い出した様子でカガリを見た。
「アタシ、今日の検査で医者に言われたんですけど、事前にね、採血だけ済ませてあって、それで失血による貧血はほぼ正常な値まで戻ってて、腹部の傷の治りも順調なんですって。腕の火傷も見た目よりは酷くなくて、しばらく痕は残るそうなんですけど、大部屋に移る頃には包帯も取れるんです。早ければ14日後くらいには外出られますよ」
「それはよかった。じゃあ、ミアにはそれまでにどこに行きたいか考えておくように伝えておきます。そうすると、残すは授与式ですか。いつ頃やるかとかは?」
「それに関してはまだアタシも。多分全員が治療を終えてからになるんじゃないですかね。アタシより先にここに運ばれてきたノエってハンターがいるんですけど、正直怪我の具合はあっちのが酷いんで」
「確か、片腕を……」
「生死の境彷徨ってたって噂では聞いてますし、アタシより外に出られる期間までが長いんじゃないかって思ってます。一応、何日か前に大部屋には移ってるみたいですけど。……こういう話してると、教官制度って大事なんだなって思います」
膝の上に置いていたカガリの手が僅かに動いた。チサトの口からその言葉が出てくると、何故か落ち着かない自分がいる。
「使徒と戦うことができなくなったハンターにも、やっぱり居場所は必要だし」
「……教官、ですか」
「五体満足で生きていられてるだけありがたいと思わなきゃですね。教官の中には杖ついて歩いてる人は珍しくないですし」
「……。教官と言えば、ハルト君、恩賞を断った代わりに、ハンターになったらあなたの教官だった方を自分の教官にお願いしたと聞きました」
「ああ。噂で聞きました。とんでもない人選びやがったって思いましたね。いつ音を上げるか楽しみですよ」
「やはり厳しい方なんですか?」
「厳しいって言うより、きつい。単純に。ハルトは筋力強化のエンハンス持ちだから、きっと苦労しますよ。あの人ずっと筋力強化のエンハンスを使うハンターには容赦しなかったから」
「自ら選んだことを後悔しないといいんですが……」
「ま、それでさっさと音を上げるならそれくらいの覚悟だったってことじゃないですか? あの人から教えを乞うってことはそういうことなんですよ」
「……そうかもしれませんね」
チサトは、口では楽しみだと言っておきながら、ハルトが音を上げるとは本当のところ思っていないのだろう。口元に浮かべている笑みがそれを教えてくれる。そういうところがチサトのいいところだ。
会話が途切れた。カガリは胸の内に巣食っている感情の行方を探していた。ミアにはまだ、あれからチサトが集落には戻らないのだと言えずにいる。言えば間違いなくミアは落ち込むだろう。一緒に出かけるという約束を拒んでしまうかもしれない。
聞いてみるべきだろうか、チサトが本当に教官になるのかどうか。しかしそれで素直に頷かれてしまったら、自分にはそれを引き留める権利はないわけで。
……なんだ引き留めるって。そんな傲慢なことができるわけないじゃないか。そもそもどうして引き留めるなんて発想になるんだ。そりゃあ彼女がいてくれたら集落としては安心だろう。よければうちの集落で暮らしてみませんかなんて、どの口が言えるのか。集落を安心させたいからなんて、それこそ傲慢じゃないか。こっちの都合にも程がある。そんなの自分が安心したいだけだ。大体、どうして彼女に拘るんだ。優秀なハンターならば誰だっていいはずだろう。
――いや、違うな。彼女がいいんだ。彼女であってほしいと思っている自分がいる。そう思ったのはどうしてだ。何かきっかけがあったはずだ。何か、大きなきっかけが。
「ちょっと、おーい」
「っ!」
目の前にチサトの手が振られ、カガリはハッとして我に返った。
「大丈夫ですか。眉間にシワ、寄ってますけど」
「あ、ああ……大丈夫です。ちょっと考え事を。ミアのギフトアビリティの件で」
「あー、それじゃあ眉間にもシワが寄るわけだ。トドロキさんなんて?」
「昨日同意書を提出して、その日のうちに検証の日程を組ませてほしいって来ましたよ。あなたが大部屋に移る前に検証したいそうで」
「うわ、ってことは数日以内にまたあの顔見なきゃいけないのか」
「前に聞かせてもらった砂漠で遭難した話、あの時の方位磁石を作ったのもトドロキさんだったんですね」
「そう! もう本当にふざけんなって思いますね! 思い出すだけで腹立ってくる!」
いきなり大声を上げたチサトにアンバーが何事だと顔を上げた。アグニも驚いて飛び立ってしまった。
「あまり興奮すると傷に響きますよ」
「……ちょっと響いた」
チサトは肋骨の辺りを擦り、ふーっと息を吐き出した。
「安心してください。当日はアタシもあの人に目を光らせておくんで」
「助かります」
結局この日、カガリはチサトから何も聞き出せなかった。いつからこんなに意気地のない人間になってしまったのだろうか。チサトの口から、ミクロスには戻らないという言葉を聞くのが怖い。
そう言えばギルドにはチサトが預けた素材が保管されたままだったことを思い出した。
(……ここに残るなら、返さないとな)
カガリの眉間にはまたシワが刻まれていた。
それから二日後、家にてミアと朝食をとっていたカガリのもとに来客があった。ノック音にカガリが急いで扉を開けると、来客はサポートアニマルの担当官だった。
「おはようございます。アンバーの正式なサポートアニマルの登録が完了したことと、ギルド専用の口輪が完成しましたので、本日お伺いしました」
担当官の足元には白が目立つ口輪をつけられたアンバーがいた。カガリはアンバーの前に膝をつき、口輪をよく確認する。
「バイコーンの革製か。かなりいいものですね」
「この子は既に我々の仲間ですので、いい装備を与えてあげるのは当然です」
魔物であるにもかかわらず、アンバーのことをそう言ってくれる担当官にカガリは嬉しくなった。アンバーを撫で、よかったなと呟く。
「登録をしたからと言って何か義務が発生するわけではありません。好きなようにお過ごしください。ただ訓練だけは怠らないようにお願いします。それがあなたの為であり、アンバーの為にもなりますから。あと口輪は、基本的に街中を移動させる際には必須となります。ギルド内や、家の中でのつけ外しは自由です」
「わかりました」
「それと、これはこの事とは全く関係がないのですが」
「?」
「研究部、及び開発部主任のトドロキさんから伝言を預かっています」
即座に口から結構です、と出そうになるのをカガリは必死に抑え込んだ。相手は何も知らないただの職員である。迷惑にも程がある。
「スケジュールをシノノメさんの端末に送ったそうなので、一度ご確認していただきたいとのことでした」
「……わかりました」
「それでは私はこれで。何かありましたらまたいつでもお越しください」
カガリの荒れた心境とは対照的に、担当官は爽やかな笑顔で本部へと戻っていった。朝から良いことと悪いことが同時にやってきて、カガリはため息をつかずにはいられなかった。とりあえずようやく戻ってきたアンバーの口輪は外してやり、室内へと招き入れる。
「あ、アンバー!」
ミアが座っていた椅子から飛び降りアンバーに駆け寄った。
「アンバーもういいの!?」
「ああ」
「やった! じゃあじゃあ! 今日アンバーとお出かけしよ! ミア、アンバーといっしょに行きたいお店たっくさんあるの!」
アンバーに抱き着きながら今にでも外に飛び出していってしまいそうなミアに、カガリは笑って頷いた。
「そうだな。そうしようか。アンバーの防寒具も買ってやらないと。そうとなればご飯を食べて、出かける準備をしないとな」
「うん!」
ミアは再び椅子に腰かけ、残っている食事を食べ進める。微笑ましい光景の反面、カガリの表情はすぐに曇る。自身も食事に戻りながら、あとで日程を確認しないと……と全くやる気の起きない現状にまたため息が零れた。
すれ違う住民の表情はまちまちだ。魔物がいる、という驚きの顔と、ギルドの名が刻印された口輪を見てそれなら大丈夫だろうと、気にも留めない住民とが入り乱れている。少なくともギルドに通報される心配は今のところなさそうだ。サポートアニマルに登録することを勧めてくれたユノには感謝しかない。
ミアがアンバーの鎖を手に、上機嫌に街中を歩いている。なんとなくミアに合わせて歩いてきてしまったが、いつの間にか街の広場にまでやってきていた。そこには大きな噴水と、ハンターの姿を模した銅像が立っている。
「アンバー、ここがね、いっちばんいっぱいの人がいるところだよ!」
と、アンバーに両手を広げてミアは説明している。もちろんアンバーがそれらの全てを理解できるわけではない。それでもミアはニコニコと笑っていて、「パパ、楽しいね!」と言った。カガリも頷き返す。
ふとカガリは、噴水の前に立っている銅像を見た。台座にはこのハンターの名前だろうネームプレートが打ち込まれている。何か功績でも残したハンターなんだろうか。銅像になるからにはそういうことだよな、と思っていると、背後からバタバタとこちらに駆け寄ってくる足音がした。
「ねぇ! それリュコスでしょ!?」
ミアに駆け込んできたのは同じ年頃の数人の子供たちだった。好奇心に満ち満ちた目をしている。大人が見ればただの魔物だが、子供たちからしてみればいつもの日常にはない珍しいものに違いない。
「うん、そうだよ。アンバーって言うの。目がコハク色だからアンバーだよ」
「そいつってギルドのやつなの? おそわない?」
「アンバーはすっごくいい子だよ! チサトお姉ちゃんがいい子にしてくれたの!」
「チサトって、もしかしてSランクハンターのチサト=ミカゲのこと?」
「そうだよ」
「お前ミカゲさんのこと知ってるの!?」
「うん」
「すげー! Sランクハンターって会えるの珍しいんだぜ!」
「ミカゲさんってどんな人? 知りたい!」
ミアは見知らぬ子どもたちの勢いに少し圧倒されているようで、どうしようと言いたげにカガリを見上げた。せっかくの機会だ、それをわざわざ逃す手もない。
「遊んでいい。陽が落ちる前には帰るんだぞ」
「! うん!」
初めて外で遊んでいいと言われ、ミアは笑顔を見せて子供たちの輪の中に混じっていく。ミアとアンバーは子供たちに囲まれ、すっかり質問攻めだ。アンバーの防寒具を探したあとは、今日は自分ものんびりするかとカガリは一人歩き出した。
「にしても明日か……」
思わず呟いたカガリは、トドロキから来たミアのギフトアビリティの検証実験に関する日程を思い出していた。すぐに来るだろうと思っていたが、まさか明日とは。何もなければいいのだが。カガリの不安は尽きない。




