ファミリアに捧ぐ 63
「うわぁ、パパ広いね!」
「ああ」
本部が用意してくれた住居は親子二人が暮らしていくにはあまりにも広い部屋だった。集合住宅ではあるのだが、隣の音は聞こえてこないし、家具も木の温かみがわかる綺麗なものばかりだ。
「ベッドきもちいい!」
部屋中を探索するミアは、寝室に向かうとベッドに飛び込んだ。
「アンバーも早く連れてきてあげたい!」
「そうだな」
その為にはアンバーがサポートアニマルのテスト項目の基準を全て満たす必要がある。
カガリは功労金申請書とサポートアニマル登録申請書の必要項目を埋めていき、資料を確認した。
功労金の支払い方法は二種。ギルド登録時に自動的に作られている自身の金庫に全額を振り込んでもらうか、支給額を12等分に分け、一年を通し一月ごとに支給してもらうかだ。それでも一月毎に一年分の給与を貰うような状態なので、どちらを選んでも残高はとんでもないことになるだろう。
少なくとも今後は魔銃の弾薬の出費に苦しむことはなくなるのだ、手元に残る金額は増えるというのにここに更に功労金が重なると、この五年に及ぶ出費は僅か半年で帳消しになるだろう。
――むしろ有り余るな。今までミアには我慢させてきてしまったのだ、これからはもう少しいい暮らしをさせてやりたい。
さて、問題はサポートアニマル制度だ。資料を見る限り、登録はハンターかギルド職員のみ。未成年の登録は不可とあったのでやはり自分がアンバーの登録をするしかないようだ。
将来的にはミアに移せるのが理想だが、ミアがどういう道に行くのかはまだわからない。魔物の寿命は魔力を含む体を持つ為か、通常の生き物よりかなり長生きだ。ミアが成人を迎える頃でもアンバーはおそらく現役だろう。
「テスト項目……多いな」
サポートアニマルのテスト項目については全てが資料に記載されていた。だが開示されている分、累計の項目数は数ページにわたって記載され、その項目数の多さにカガリは流し見ただけでもかなり目が疲れてしまった。
「……これは明日に回すか」
とりあえず今日は功労金の申請だけでも終わらせて、そのついでに夕食作りの為に買い出しに行かなければ。昼はもう時間もない為、外食で済ませることにした。そうと決まれば――。
「ミア、昼になったら外に食べに行こう。何がいいか考えておくんだぞ」
「はーい」
ミアの声は寝室から聞こえた。余程ベッドの中が気持ちいいらしい。カガリは小さく肩を震わせると、テーブルに広げた資料を片付け始めた。
功労金の申請を無事に終えたカガリは、ミアを連れ街に繰り出した。
結局支給額の全額を貰う勇気は出なかったので、一月ごとに分割した分を受給することにした。それだけでも正直しばらく仕事をしなくていいくらいの額なのだが。
「ミア、どこでも好きなところ選んでいいからな」
「いいの? だいじょうぶ?」
それは純粋に懐事情は大丈夫なのかというミアの心配だ。もう二度とそんなことは言わせて堪るかと、カガリは咳払いをする。
「ああ。もう何も気にしなくていい。今日の夜は果物も買って帰ろうか。この時期はそろそろミアの好きなフラウラが出回ってるはずだから、それにするか」
「ほんとう? やった!」
今にも飛んで喜びそうなミアにカガリは久しぶりの娘の笑顔を見た気がして、少しばかり申し訳なさに胸が痛んだ。
「ああ、そうだ。上着と服も調達しないとな」
吹き抜けた風の冷たさにカガリは襟を引き寄せた。
「パパ、アンバーにも買ってあげてね?」
「ん? そうだなぁ」
魔物の上着なんて売ってるのか?という素朴な疑問が湧いたが、深くは考えないことにした。
「おぉ、カガリの坊主にミアちゃんじゃないか」
「あ、ジゴロクのおじいちゃん」
街中を一人のそのそと歩いてきたジゴロクにミアが駆け寄っていく。
「ジゴロクのおじいちゃんも来てたんだね」
「ああ。これからお出かけかい?」
「うん! ご飯食べに行くの!」
ニコニコと笑うミアに「そうかそうか」とジゴロクは頷く。
「じゃあ、そのあとでいいからお父さんをわしに少しの間貸してもらってもいいかい?」
「パパを? へいきだよ!」
あ、と自分が答える前にミアが先に頷いてしまった。カガリの意思に関係なく、夕食の買い出しは後回しとなってしまうのだった。
「こちらが教官制度に関するレギュレーションになります。詳細は別途研修がありますので、そちらでお聞きしたほうが早いかと思います」
「うん」
話は早いほうがいいだろうというユノの提案で、チサトは教官制度に関する資料に目を通した。1ページ目には目次があり、「初めに」「教官とは」「事前準備」「求められる人材」等々の項目がずらりと並んでいる。
チサトはめぼしいページをパラパラと捲っていくが、内容を目で追っている様子はない。途中指の包帯で滑り資料が閉じてしまうと、それきり手をかける気配もない。
ユノがそれに気づき、「どうかしました?」と尋ねた。チサトは「うーん」と唸って黙り込んでしまう。何か言いたげにも見えたが、チサトが何かを発する前に部屋の扉が開かれた。
「あ、人いたのか。じゃあいいや」
「こらこら、わざわざ顔出しに来たのに即帰るはないでしょ」
扉を開けたのはハルトだったが、ユノの姿を見つけると即座に踵を返した。それを引き留めたチサトは、「話あんでしょ」と声をかける。ハルトは気まずげに振り返った。
「耳は? 鼓膜破れたんでしょ? 平気?」
「まだ少しこもってるけど、若いうちはすぐ治るからって医者が言ってた」
「なんだなんだ、嫌味を言いに来たのか君は」
チサトが眉間に皺を寄せると、「んだよ、元気じゃん」とハルトは言う。
「何、心配してくれたの?」
「まぁ……オレのせいで、大怪我させたし」
ハルトは声小さく言うと、何やらモゴモゴと口を動かし、更に小さい声で「ごめん、なさい」と呟いた。
「ん?」
「傷……あんなデカいの、一生残るじゃん。だから……ごめんなさい」
ハルトが深々と頭を下げた。これにはチサトも驚いて開いた口が塞がらなかった。
「オレ、ハンターになったばっかりのときの姉ちゃんが、いっつも傷だらけで帰ってくるのが怖くて。姉ちゃんの手とか、それまではすっごく綺麗だったんだ。姉ちゃんはそれを名誉の負傷だって言ってたけど、絶対痛かっただろうし嫌だろうなって思ってた。だって姉ちゃんずっと言ってたんだ。結婚するならちゃんと家に帰ってきてくれる人がいいって。でも、ハンターになったらさ、そういうのとは無縁じゃん?」
「まぁ……可能性はほとんどなくなるかもね。ハンター同士の結婚がないわけじゃないけど」
「オレ、姉ちゃんが結婚諦めちゃったのかなって、ちょっと思ったって言うか。アンタはさ、結婚してないじゃん。そういうの気にするかなって思って」
「君はさっきから何? アタシに嫌味を言いに来たわけ?」
「違うよ。もしそういうの気にしてたりとかしたら、ホント申し訳ないって言うかさ。……とにかく、謝るだけ謝りに来た。あと、オレ絶対アンタより強くなるから」
「話の脈絡がないぞ、見習い」
「だから、アンタに庇ってもらわなくてもいいような、強いハンターになるから。勉強だって頑張るつもりだし、訓練だって死ぬ気でやるよ。で、いつかアンタより強くなる。だからそれまで死ぬなよな。――それだけ! じゃ、オレこのあとミクロスに帰るから。あと多分、カガリのおじさんそういうの気にしないと思う」
「うん?」
最後は言うだけ言って去ってしまったハルトに、あのガキはやっぱり年頃かとチサトは追いたくても追えない今の体を憎らしく思った。
「言い逃げかよ……」
チサトは呟きながら無意識下でリュカオンから受けた腹部の傷に手をあてがった。包帯の上からもわかるほど、まだ熱を持っているのがわかる。
――気にしないわけないあるか。
「あの子、根は優しい子なんでしょうね。お姉さん想いで、男の子らしく女性の傷のことを気にしてくれて。心配で来たのか、励ましに来たのかはちょっとわからなかったですけど」
と、ユノはくすりと笑って肩を震わせた。チサトは頷き、そして手元で閉じられている教官制度の資料を見つめた。
「死ぬなよ、か」
「チサトさん?」
「……。ユノちゃん、あのさ」
顔を上げたチサトはその表情に少しだけ寂しそうな笑みを浮かべていた。




