ファミリアに捧ぐ 60
なんだろう、廊下が随分と騒がしい。ユノは絶えない事務作業に嫌気が差し、ちょっと休憩と背筋を伸ばしていたところにその騒がしさに気づいた。
「あれリュコスだよな?」
「女の子が魔物連れてるぞ。どうなってんだ?」
女の子が魔物?と聞いて、ユノはすぐにピンときた。チサトからの連絡でリュコスの子供はカガリの娘であるミアが引き取ったと聞いていたからだ。
急ぎ職務室を出ると、やはり廊下をミアとアンバーが歩いている。ユノは急いで一人と一匹のもとに駆け寄った。
「ミアちゃん?」
「?」
「カガリさんの娘さんのミアちゃんだよね?」
「うん。お姉ちゃん、ユノさん?」
「うん、そう」
「あのね、ミア、ユノお姉ちゃんさがしてたの」
「私を?」
ミアはポーチからリュコスの牙のお守りを取り出し、それをユノに差し出した。
「お守り作ったの。チサトお姉ちゃんにあげたくて。お部屋まだ入れないから」
「ああ……わかった。ちゃんと届けるね」
それをユノは喜んで受け取ったが、辺りの職員たちの目がアンバーを奇異な目で見ていることに気づき、「ちょっと待っててね」と職務室に戻った。
すぐに何かを手にして戻ってきたユノは、それをアンバーの首輪に取りつけた。来賓用のゲストカードだ。これで少しだけでも目が逸らせるといいのだが。
ユノは口輪をつけてじっとミアの隣で座り込んでいるアンバーの凛々しさに感心を抱かずにはいられなかった。
「君がチサトさんの訓練を受けた子だなぁ? こうして見るとリュコスも可愛い顔してる」
「アンバー、すっごくいい子なんだよ。これ、チサトお姉ちゃんが書いてくれたやつ。どうすればいいかぜんぶ書いてあるの」
と、ミアはポーチの中から魔物の皮をなめして作られた手帳を取り出してくる。ユノがそれを受け取り中を捲ると、決してうまくはないが絵付きでミアにもわかりやすいようリュコスの説明が書かれてあった。
ユノは知らなかった。チサトがこんな風に細かく記録をつけたり、絵を描くのだということを。画面を通してだけではやっぱりわからないことはたくさんあるんだなと、ユノは思った。
「見せてくれてありがとう。戻り方わかる? 一緒に行こうか?」
「ううん、へいき。アンバーが連れてってくれるから」
ポーチに手帳をしまい、ミアはアンバーを連れて戻っていった。
リュコスがあそこまで人に懐くだなんて知らなかった。そうなると、もしかしたらあの手が使えるかもしれない。
ユノは思い立ったように職務室に戻り、端末を操作し始めた。
夕刻、ユノはチサトのいる治療室へと向かった。
チサトの体には目に見える場所のほとんどに包帯が巻かれており、それらはなんとも痛々しい。熱があるからか、額には薄っすらと汗を掻いている。ユノはその汗をタオルで拭ってやり、枕元にそっとミアから預かったお守りを置いた。
近くの椅子に腰かけ、指先まで包帯で覆われているチサトの手にそっと触れる。包帯越しにでも体が熱を持っているのがわかった。
「チサトさん、ミアちゃんのお守り、凄い効果があるそうなんですよ。なんでもギフトアビリティだとか。きっと今回も助けてくれますよ。だから……だから……」
意識のないチサトにユノは声静かに語りかける。そして祈るような思いでチサトの手を取った。
「早く元気になって、また私とお話ししてください」
その頃、カガリは処置室で一人きりになっていた。ミアはイオリに連れられ、本部の食堂で夕食を共にしている。
ここの食堂はかなり大きく、数百人が一度に食事をとれるような設計になっている。その分、サノのように人との距離はあまり近くなく、食事は美味しいものの賑わいが少ないとイオリは少し不満気だ。
カガリは医師から許可が出ない限りは、医療部が推奨する健康食を食べることとなっている為、イオリたちとは同席できない。
どの道薬玉がないとまともに食えないしな、とカガリは味気ない健康食を口に運んでいる。薬玉のおかげで味はするのに嗅覚が追いついてこない、なんとも不思議な感覚である。
そうして寂しい食事を続けていると、突然処置室の扉が開いた。そこには見慣れない女性が立っていた。60は後半に見える。背丈は大きく、細くも締まった体つきをしており、その女性が元ハンターなのだろうということはカガリにもなんとなくわかった。
「おっと、失礼。ここじゃなかったか」
「誰かをお捜しですか?」
「ミカゲってやつのいる部屋を探してるんだけどね」
「ミカゲさんですか。でしたらご案内できますが、まだ面会はできないと思います。発熱と魔障の毒の影響で目が覚めない状態が続いているので」
「なんだ、そうか。じゃあちょいと来るのが早かったか。重症ってもあいつじゃあ腕折ったくらいだと思ってたからさ」
「ミカゲさんとはどういった……?」
「ん? ああ。あいつの元教官なんだよ。そこそこ長い付き合いでね」
「あ、あなたがミカゲさんの」
女性だったのか、とカガリは勝手にその手は男性が多いだろうから当然チサトの教官も男性なのだろうと思い込んでいた。
「アンタもあれかい? 今回の使徒喰らいの騒動に巻き込まれた口かい?」
「あぁ……えぇ、まぁ。そんなところです。と言っても、私はいろんなことが重なって、ほぼ無傷に等しいですが」
「そうかい。そりゃあアンタ、運がいいね。ハンターは運の良さが物を言う。全てと言っても過言じゃない。まぁ経験と知識は時に必要だが、運を引き寄せるのもハンターの素質だからね」
「素質、ですか。ミカゲさんにもその素質が?」
「あれは逆だよ。運に見放されてる。実力だけでやってきたんだ」
「見放されてる……どうしてそう言えるんですか?」
「あれはね、駄目なんだよ。パーティ組ませりゃあいつだけがやたらに傷だらけになる。敵との遭遇率が高いんだ。あいつの武器だって何回雑魚相手に壊して来たか。あいつの武器破損率は他のハンターの比じゃない。そして槍を使わせたら間違いなく戦闘面においては邪魔になる」
「邪魔?」
「あいつの槍さばきを見たことあるか?」
「少しだけ。絶えず攻撃が続いている印象を受けましたが」
「あいつは槍との相性が良すぎて、かえって悪い方向に転がるんだ。体が小さい分、遠心力とアビリティを利用して常に攻撃しながら移動し続ける。そのほうが魔物に攻撃される機会も少ないからね。ただそのせいでどのハンターとも相性が最悪だ。あいつの攻撃で近接は間合いが計れず、射撃武器においては弾が弾かれちまう。まぁ、あいつ自身パーティ戦が得意じゃなかったから、別に一人でのときに槍を使わせてもよかったんだが、それだといざってときの対処ができないだろう? だから次に得意だった体術、要は拳でぶん殴るほうに方向転換させたんだ。あいつのアビリティとも相性が良かったからね」
「そんな経緯が……」
「あいつには相性が悪いからやめとけで無理矢理やめさせちまったから、少し可哀想なことをしたとは思ってるんだ。でも、私はその選択をしてよかったと思ってる。その選択をしたから、あいつは生き残ってこれたと思うからね」
そう言い切った彼女の顔にはもちろん後悔などない。そうか、そうやって助かる命もあるんだなとカガリは唸った。
「ミカゲさんはとてもいい教官に恵まれたんですね」
「どうだかね。どんなやり方が正しいかは私もわからないからさ。……ちょっと話しすぎたね。出直してくるよ。アンタも達者で」
と、彼女は颯爽と去っていった。あ、とカガリは名前を聞き忘れたと思ったが、もう背中は扉の向こうに消えてしまい叶わなかった。
運がいいか。だがその運はチサトが運んできてくれたものだと思う。彼女がいなけば成立しないものばかりだった。
チサトの目はいつ覚めるだろう。今度は自分が彼女との約束を守る番だというのに。
『このバカが!』
『いった!』
脳天に重い拳骨をくらい、手にしていた槍を落とした。軽い眩暈がした。
――馬鹿力の鬼め。
『何度言やわかるんだ! お前に槍はむかないんだよ! 諦めろ!』
『他のみんなは凄いって言ってくれましたけど!?』
『お前がいいのは見てくれだけなんだよ! お前のアビリティとも相性最悪なんだ! 大人しくこっちに乗り換えろ!』
そう言って差し出された古びたガントレットはなんとも地味の一言で片付けられた。その感情が顔に出ていたんだろう、その人の表情は見る間に厳しいものになった。
『私の言うことが聞けないならハンターは辞めろ! 教官についてる意味なんかないからな!』
『っ、わかりました、わかりましたよ! やりますよ! こっち使えばいいんでしょこっちを!』
渋々手放した槍に、未練がなかったとは言わない。ただ殴り続けるだけの行為をずっと地味だなと思っていた。他の槍使いを羨ましく思った。
今でも槍はかっこいいと思う。いざというときにどうせ使うならあれがいい。でもちょっとは歳を重ねるとわかってくることもある。自分が使うべき武器がどういうものであるべきか。
二つ並べられたときに選び取るのはガントレットなのだ。未練がある武器より愛着のある武器を選び取りたくなる。そっちのほうが、より多くを守れるから。
憧れや思い入れだけで使い続ける武器は拘り、大切にしたくなる。ダガーなんかはいい例だ。ずっと使い続けてしまっている。捨てるのが惜しい。けれど人を守るのに憧れも拘りもいらないのだ。
だから、あの人の判断は間違ってなかったんだろうなと思う。殴られたのはちょっと恨むけど。
「これは……」
「どうしました?」
医療部の職員が上げた声にユノが不安気に様子を窺う。
「昨日より遥かに魔障の魔力数値が下がっています。ほぼ正常値です。一晩で一体何が……」
「……」
ユノは思わずベッドに横たわるチサトを見た。傍のミアのお守りが少し黒ずんでいるように見える。
その時、ふっとチサトの瞼が開いた。
「……嫌なもん見た」
「! チサトさん!」
「先生を呼んできます!」
と、医療部の職員が大慌てで治療室を飛び出していく。
目覚めてすぐ、チサトは胃の辺りを押さえ出した。
「ユノちゃん、アタシ今、すっごいお腹減ってる。何日寝てた?」
「っ……」
「どしたの。え、泣いてる?」
チサトは少し苦しげに顔を動かす。ユノの瞳からは大粒の涙が溢れていた。
「チサトさん、やっと会えた……っ」
まだ微熱は続いているものの、目覚めてからのチサトの意識ははっきりとしていた。血を大量に失っている為、顔色は依然として悪いが、適切な薬の処方と食事の摂取でそれは徐々に改善していくだろう。
肋骨が折れての痛みはいかんともしがたいが、その痛みからもしばらくすれば解放されるだろう。幸いなことに肺への損傷はなく、元々の体の強さもあり、回復は早いだろうとのことだ。
大人数でなければ僅かな間だけ面会も可能ということで、カガリはさっそくミアを連れてチサトのいる治療室を訪ねた。
「チサトお姉ちゃん痛そう……」
と、チサトの隣で椅子に座り込んでいるミアがつらく苦しい表情をした。正直カガリも本当に面会なんて大丈夫なのかと思うほどに、チサトの顔色は悪かった。
「ミカゲさん、あれでしたらもう帰りましょうか」
カガリが気を利かせて言うが、チサトは軽く片手を振った。
「見かけよりは大丈夫なんですよ、これでも。体のあっちこっち痛いですけどね。全治二月ですって」
指を二本上げて主張してくるチサトに「そういうのいいですから」とカガリは若干の呆れを滲ませ言った。
「魔障のね、毒が抜けてて気分がいいんです。それが大きいかな」
チサトは枕元のミアが作ってくれたお守りを掴んだ。
「これのおかげなんです」
「ミアのお守り?」
ミアが不思議そうな顔をして聞き返した。
「そうだよ。このお守りがアタシの中にあった悪いものを吸い取ってくれたの」
「じゃあ、ミアの作ったものには本当に魔障の毒を軽減させてくれる効果があったのか」
チサトはお守りを大事そうに握り締め、胸元にそれを引き寄せた。
「これが一晩ここにあったから、魔障の毒が消えた。こんなにありがたいことはないです。アタシが魔障に汚染された時間の長さを考えても、本来あと一月は療養期間が必要なはずでしたから。ミアちゃん、アタシの為にありがとう。とっても助かった」
「うん! ミアね、チサトお姉ちゃんが早くよくなりますようにっていっぱいお祈りしたよ!」
笑顔を見せるミアの頭を、チサトは包帯だらけの手で優しく撫でた。
「そうだ、あなたは大丈夫でした? あれだけ動いたら筋肉痛とか」
言われて「いや、まぁ」とカガリは首周りを擦る。
「それは確かに正直結構痛くて……いやいや、私の心配より、ご自身の心配をしてください。大変な状態だったんですから」
「ミアちゃんとの約束がありましたから。絶対守るって」
「……」
それを持ち出されるとカガリは何も言えなくなってしまう。
「あー、でも、結果としてはミアちゃんのお守りがあって守れたわけですから、アタシが守ったわけじゃないか」
「そんなことないよ! チサトお姉ちゃん、パパのこと助けてくれたもん!」
「そうですよ。ちゃんと助けていただきましたから。リュカオンから解放していただきましたし」
「でも半々ですよ。ミアちゃんのお守りがなかったら、あなたは無傷じゃ済まなかったわけですし。生きていられたかも怪しいし」
「いいじゃないですか。過程はどうあれ、結果がよかったんだから」
「アタシがそういうのちゃんとしたいんですよ。気持ち悪いっていうか。ミアちゃん、なんか一個お願い聞いてあげる。半分約束守れなかったお詫び」
「律儀ですねぇ」
「なんでもいいの?」
「うん、なんでも」
頷くチサトにミアはぎゅっと手を握り締めると、「あのね」と椅子から立ち上がった。
「ミアね、チサトお姉ちゃんにママになってほしい!」
「……ん?」
「え」
「チサトお姉ちゃんママにな、」
再び娘の口から出そうになった言葉にカガリは大慌てでその口を塞いだ。
「あっ、ちょっと何言ってるんですかねこの子は」
「ぷはっ、チサトお姉ちゃんなんでもいいって言ったもん! だからママに、」
三度娘の口を塞いだカガリは「ちょっとよく話し合ってきます」と口早に言ってミアを抱え出ていってしまった。
「……ママか」
いきなり子持ちかぁ、とチサトは呑気に天井を眺めた。




