ファミリアに捧ぐ 58
それから数日して、ハルトの体調が回復した(ちなみにカガリの筋肉痛も少し回復した)。それに伴い、何故ハルトがリュカオンに挑むという無謀な手段に出たのか、ユノ同伴のもと、カガリが改めて尋ねた。
「……あいつの左目の傷、あの中に、赤い布があって」
「布?」
「姉ちゃんが昔、ハンター試験に合格したときに中央で買ってきたやつ。目印だよ。魔物を相手にするんだから目立った色のほうがいいんだって、姉ちゃん言ってた。オレとお揃いで買ってくれたやつなんだ。姉ちゃん、それを槍の柄の先端につけてたんだ。でもオレのところに帰ってきたときにはその布がなくて……前にカイルさんから聞いたんだ。姉ちゃん、魔物に殺される前にそいつの左目を槍で突いたって」
「左目……」
「それでオレ、あいつの目の中に姉ちゃんの布を見つけて、あいつが仇だって思ったんだ」
「……赤い布。ちょっと待っててくださいね」
ユノが何かを思い出したように部屋を退室した。少しもすると、綺麗に折りたたまれた赤い布を手にユノが戻ってくる。
「リュカオンの解体作業中に出てきたものです。後々処分する予定のものだったんですが、今の話を聞く限りでは君にお渡しするほうがよさそうです。お受け取りください」
「っ……」
ユノから差し出された布を、ハルトは恐る恐る受け取った。布はところどころ擦り切れていたが、それでも綺麗な状態を保っている。
「カガリさんの話では、リュカオンが使徒化した際、左目の傷だけ治らなかったと聞きました」
「ええ、確かに。私の記憶では」
「おそらくですが、その布が傷に入り込んでいたから、傷が治らなかったんだと思います。偶然かもしれませんけど、君のお姉さん、死してなおリュカオンに残り続ける傷をつけた、とても勇ましいハンターだと思います。誇ってあげてください」
「……っ、姉ちゃん」
ハルトは布を抱き寄せ、声を上げて泣き出し始めた。
カガリとユノは顔を見合わせ、静かに治療室を出た。ハルトが落ち着くにはもうしばらくかかるだろう。
「こうして聞くと、いろんなことが重なっていたんですね。元は五年前の大規模討伐から始まって、こうして巡り巡ってチサトさんがリュカオンを倒すことになるなんて。もしイーニスが中央までの道を分断していなければ、今頃どうなっていたか」
「……キサラギさん、実はその件について、少しお話が」
「?」
カガリはミクロス付近の洞窟で見つかった壁画のこと、そしてその壁画に対して学者が出した考察についてをユノに伝えた。ユノは話を聞くうちに顔色を変え、その声色を震わせた。
「そんな……そんなことって……じゃ、じゃあ、今回の件は偶然なんかじゃなくて、来たるべくして来たということですか? イーニスが?」
「可能性ですが。しかし今後のイーニスの出現について研究していけば、この考察が本当に正しいかは証明ができると思います」
「こんな大発見……いや、ここ数百年の歴史が変わるとんでもない事態です。私、すぐに本部長に伝えてきます。……チサトさんの犠牲がなるべくしてなったなんて思いたくないですけど」
ユノはカガリに一礼すると、急ぎ廊下を駆けていった。ユノが走り去ったすぐあと、それを見送るような形でシロマが姿を見せた。
「支部長?」
「ああ、カガリ。ここにいたか。お前に客人を連れてきた」
「客人?」
「パパ!」
「ミア」
シロマの後ろからひょっこりと顔を覗かせたミアが駆け出してきた。ミアを腕に迎え入れたカガリをシロマが微笑ましく見守った。
「使徒の討伐を報告したら、どうしてもお前に会いたいと言って聞かなくてな。私の独断で連れてきてしまった。一応、お前の義理の祖父母から許可は貰っているが」
「いえ……ミア、いい子にしてたか?」
「うん! アンバーといっしょにいい子にしてたよ!」
「そうか」
「アンバー、向こうにいるの。ここにはアンバー入っちゃダメだって」
「衛生の問題があるから仕方ないな。あとで会いに行くよ」
「うん。パパへいき? どこか痛いところない?」
「パパは平気だ。ミアのお守りと、ミカゲさんのおかげでな」
「ほんとう? ミアのお守りパパのこと守ってくれた?」
「ああ、守ってくれたよ」
「よかった! チサトお姉ちゃんは? パパといっしょじゃないの?」
ミアは無邪気にチサトのことを捜している。カガリは言葉に詰まり、「ミカゲさんは……」と口を濁した。
「大変です! とんでもない発見です!」
廊下のどこからか大声が聞こえたかと思うと、トドロキがカガリのもとに大慌てで駆け込んできた。
「聞いてください! 以前あなたが預けてくれた娘さんのお守り、とてつもないものでしたよ!」
「とてつもないもの?」
「ええ! ハッ、もしやそちらにいらっしゃるのは娘さんで?」
「え、ええ……そうですが」
カガリは何か嫌な予感を覚え、それとなくミアを自身の背後に隠した。
「それなら話は早い! 今から話すことをよく聞いてください。娘さんが作られたお守りからは、通常ではありえないほどの高い数値の魔力反応が出たんです!」
「魔力の反応が?」
「ええ! しかし尋常でない魔力の数値だというのに人体には全く影響を及ぼさず、むしろ人間の体を覆う性質があります。私はこれによく似たアビリティをいくつも見てきました。これはギフトです。娘さんはこの世でもとても稀な、希少価値の高いギフトアビリティの所有者なんですよ!」
「娘が、ギフトアビリティの……?」
「娘さんの作るお守りには強力な魔力が宿り、それが魔物からの強力な攻撃を防ぐ効果を持つんです。これは素晴らしいことに魔障にも効くんです! 完全にとはいきませんが、軽減効果があることは確かです!」
そう言えば、とカガリはいくつか思い当たることがあった。これと同じものをミアがチサトにも渡していた。チサトはあの戦闘において一度だけ重症になり得たはずの攻撃を免れている。
そしてカガリ自身も、リュカオンの致命傷に違いなかった攻撃を無傷で抜け出していた。魔障の毒を受けてまともに動けたのも、ミアのお守りのおかげだったということか。
「しかしミカゲさんがその後重傷を負っている様子を見るからに、効果は一度だけのようです。中の媒体がその一度だけを肩代わりしてくれたんでしょう。ですがその一度だけでもとても強いギフトアビリティであることは確かです! 我々研究部はこの素晴らしいアビリティを『アイギス』と名付けました!」
「アイギス……」
それはまたなんとも皮肉な。自分を助け出してくれた槍を掲げたチサトの姿を戦神アテナに空見したどころか、彼女を一度重症から守ったもののアビリティ名がアイギスとは。
――ますますアテナだな。
「私共と致しましてはぜひともそのアビリティの研究と、今後の有効性について話し合いをさせていただきたく!」
「嫌です」
「えっ」
「嫌です」
「いや、しかしこれはハンターたちにとっても大変価値あることで」
「嫌です」
「っ……」
三度にわたり拒絶したカガリに、さすがに少々トドロキが不憫に思え、シロマが二人の間に入った。
「カガリ、ミアちゃんを研究対象にされるのが嫌な気持ちはわかる。しかし彼が言うことにも一理ある。ただ嫌だと拒絶するには違うんじゃないか?」
「……ですが」
「ミアのお守りで、ハンターさんたち痛くならないの?」
「! ええ、そうです!」
カガリの後ろに隠れながらミアが言うと、トドロキが絶好の機会と言わんばかりに身を乗り出す。カガリは「下がってなさい」とミアをますます後ろに隠した。
「ほんの少し、ほんの少し検査と効果検証をさせていただくだけです。痛いことはしないとお約束します」
「あなた方のほんの少しはほんの少しではない場合が多いので」
「そこを! そこをどうか何卒……!」
「その人の言うことは八割当てにならないですよ」
「ネロさん」
「ネロちゃんだ!」
シロマの背後から姿を見せたネロにミアが駆け寄っていく。ネロはミアにしゃがみ込み、「お久しぶりです」と声をかけた。
「うん! ネロちゃんもケガしてない?」
「ええ、私はご覧のとおりです」
「ネロさん……なんとも……よろしくないときに」
途端に歯切れの悪くなったトドロキに、ネロがミアの肩に手を置きながら立ち上がった。
「この方は今、私が開発部だけでなく研究部まで兼任することになり私をとても疎ましいと思っています」
「う、疎ましいなどとは決して……あなたがとても優秀な研究員かつ職員であるのは事実です」
汗が止まらなくなったトドロキはポケットからハンカチを取り出し、いそいそと汗を拭き出す。性の根が体質に出る人なんだなとカガリは思うなりする。
「はっきり申し上げますが、あなたが主任を務める研究部と開発部はハンターからすこぶる評判が悪いです。いつだったかは、あなたが開発した方位磁石を使用したSランクハンターが砂漠で遭難しかけたとか」
「あ、あれはその……ちょっと見込みが甘かったと言いますか……」
――あれ開発したのこの人だったのか。チサトが随分と怒っていた様子を思い出してカガリは最早呆れるしかない。
「よって、私が自ら上に自分を売り込み、研究部と開発部を兼任することとなりました。ゆくゆくは主任の座につかせていただきますので、その時は皆々様よろしくお願い致します」
深々頭を下げるネロに、トドロキは慌てふためいて口を開く。
「っ、ま、まだ何も決まっていませんよ! 兼任するだけでは!」
「ふむ。まだご納得いただけないと。であれば、私が一体どのような成果を上げて上に自分を売り込んだかお伝えしておきます。今回チサトさんの使用武器である、ガントレットの改良に魔力結晶を使用したことで新たな武器の可能性を見出しました。魔力結晶は非常に優れたエネルギー体です。これを武器に組み込むことにより、魔武器にも劣らない威力を持った武器を開発することが可能となりました。しかしまだ試作段階、ガントレット以外にも試さなくてはならない武器種がたくさんあります。可能性を可能性のままにしない為にも、現在新武器開発に興味のある技術者に声をかけ、新プロジェクトを立ち上げることを宣言致しました。企画書から予算交渉まで、全てを私がメインで受け持ち、経理担当とも既に話を通しています。いずれ魔力結晶が新たな武器の素材として広まれば、よりハンターの皆さんは精力的に魔物を狩るようになるでしょう。そしてそこで入手した魔力結晶をギルドが買い取り武器として市場に卸せば、再びハンターの手に渡り魔物が狩られ、また魔力結晶がギルドの手に渡る。非常によくできた循環です。ギルドは潤い、ハンターは強い武器が手に入る。これらをまとめた資料を上層部に提出したところで、新プロジェクト発足までにはさほど日数を要しませんでした。事前準備を怠らなければこれほどスムーズに物事が進みます。小型飛空艇が稼働するまでに随分とかかったことを鑑みても、やはりあなたの研究開発は少々粗雑だと言わざるを得ません。ちゃんとエンジンの可動テストはしたのでしょうか。その時点で問題があったはずです。それとも気づかなかった? 他の技術者は何も問題を提示しなかったのでしょうか。もしかして細かいことに目を瞑ったのでしょうか。であれば技術者としていかがなものでしょう。人を乗せて稼働するものです。今一度考えを改められては?」
相変わらずの情報量だな、カガリは久しぶりに聞いたネロの挟む余地のない言葉の波に圧倒された。トドロキもどこから話せばいいやらで、噴き出す汗が止まらない。
「飛空艇に関しては……あれです。なるべく低予算と言われていたので……今その問題は関係ないじゃないですか。この場は立ててくれてもいいのでは?」
「何故退いてほしいと思っている方の顔を立てなければならないんでしょう」
「ぐっ……」
すっかりネロに気圧され、トドロキは汗を拭き続けている。
「と、とにかく、話が盛大にずれていますので戻させていただきます。決して、決して無理強いなどは致したりしません。娘さんの安全を第一に優先させていただきます。もちろん、検査や検証はお父様であるカガリさんがいるときに行わせていただきますので……」
「……私の一存だけではどうにもならないので、しっかりと本部長に話を通していただき、正式なご依頼としての対応を求めます」
これが最大限の譲歩だと態度に示すカガリに、「わ、わかりました」とトドロキはどこか安堵した様子だ。
「書類も準備してきますので、必ず安全をお約束させていただきます。報酬もお支払いしますので……」
ネロがいる場から早く退散したかったのだろう、トドロキはネロには見向きもせずに立ち去っていった。やれやれとカガリはため息をつく。
「ネロさん、ありがとうございます」
「いいえ。この手の検証で研究部が少々手荒になってしまうのはよくあることですので。本来は上の人間が部下を窘めるものですが、ここは上がああなので方々と衝突も多いんです。年に数回の研究発表も毎回何かしらツッコまれていて、容量の悪さには辟易しております」
「心中お察しします……ところで、ここには何をしに?」
「ああ、そうでした。少々小耳に挟んだのでお伝えしておこうかと。チサトさんの体調が安定してきたそうなので、一旦隔離室からこちらの個室に移動してくるそうです」
「! そうですか。それはよかった」
「チサトお姉ちゃん、ケガしちゃったの?」
ミアが不安気にネロを見上げた。ネロは笑顔を浮かべると、「大丈夫ですよ」と優しく告げる。
「あの人は強い人ですからね」
「お見舞いには行けそうですか?」
「今の状態じゃ厳しいかと。まだ目覚めたという知らせはありませんし、熱傷による微熱が続いているそうです。容体も悪化する恐れがあるので、もうしばらくは絶対安静でしょう」
「……そう、ですよね」
「ミア、チサトお姉ちゃんが早く元気になりますようにって、お守り作りたい」
「あぁ……そう、そうだな。ミカゲさんを担当してた、ユノさんって女性職員さんがいるんだ。お願いして渡してもらおうか」
「うん!」
「支部長、ミアとアンバーは私がこのまま本部で預かろうと思います。祖父母には私のほうから伝えておきます」
カガリが言うと、シロマも小さく頷いた。
「わかった。私はこのまま集落に戻ろう。しばらくは職務のことを忘れてのんびりしていくといい。と言っても、集落はあと数ヶ月はまともに人が暮らせる状態じゃないが……」
「……そうですね。支部長にお任せするような形になってしまい、申し訳ありません」
「いや。壊されてもまた作り直せばいいんだ。人が生きていれば何度だってやり直せる。では、私はもう行くよ。ネロさんはどうしますか?」
「私は今しばらく本部を離れられそうにないので、こちらに残ります。しかしできれば復興の際には私のラボを建て直していただけますと非常にありがたいです」
「わかりました。そのように伝えておきます」
シロマとネロがそれぞれ去り、カガリはアンバーを一度イオリに預けると、ミアを連れて中央の街に繰り出した。




