ファミリアに捧ぐ 57
その後、本部より到着した救護班の手で、使徒に接触したチサト、カガリ、ハルト、そして一部の重傷者が最優先に飛空艇で本部の医療施設に運ばれた。付き添いにはネロとイオリが同行する。
幸いにも、この戦いにおいてミクロスでは死者が出なかった。これも偏にチサトの尽力と、ハルトやカガリのハンターたちへの的確な指示のおかげだろう。
飛空艇の窓から地上を見下ろしたカガリは集落の悲惨な状態を見て、胸の内に空虚なものを覚えた。視力が落ちていたのがせめてもの救いか。
ふと見ると、中央に続く道を分断していたはずのイーニスが忽然と姿を消していることに気づいた。せめて人間の言葉で教えてくれていたら。カガリは思ったが目に見えないものに縋っても仕方ないと、教えてくれているだけまだいいかと思うことにした。
重症のチサトは魔障の毒の影響が特に強く、それに加え腕の熱傷と腹部の裂傷による失血ですぐさま隔離施設に運び込まれた。また、ハルトはチサトやカガリが守ったことで魔障の毒による軽度の中毒症状だけで済んだ。もちろん細かい擦り傷や打撲などの症状はあったが、それらが命にかかわることはない。
一方、カガリも同様に魔障の毒の影響を受けていながらも意識がはっきりとしており、全ての状況を話せる人間がカガリしかいなかった為、カガリはチサトとハルトが治療中の間、本部の医療部や研究部の人間に質問攻めにあった。
カガリが何故意識を保っていたかということについては、憶測の域を出ないが、カガリが魔武器を常に携帯していたことで強い魔力耐性がつき、軽度の症状で済んだのではないかとの医療班の見解だった。
なお、魔武器使用による代償の進行は、視覚と触覚に関しては一時的なものだったようで、少しもすれば元の状態に戻ったものの、味覚と嗅覚が特に強く残ってしまい、ほぼ感じられないほどにまで落ちてしまった。それでも守るべきものを守れたならば、カガリに大きな後悔はない。
問題はリュカオンに噛みつかれたことによる怪我だったが、カガリは不思議なことに全くの無傷だった。確かに思い返してみれば、口に挟まれ圧迫感は覚えたものの、牙が刺さったという感触だけがなかった。何故そんなことが起きたのだろうか。
もしかしたらミアのお守りがいいことを呼び寄せでもしてくれたのだろうか。冗談半分にカガリが懐のお守りを取り出したところ、袋の中で何かが割れていた。中を覗き込んでみると、それはミアがチサトから貰ったアンバーの抜けた牙だった。完全に砕けてしまったようで、袋の中で欠片がいくつも転がっている。
「そ、それをぜひ! 私に預からせてはいただけませんか!」
何やら興奮冷めやらぬ表情で詰め寄ってきたのは研究部と開発部の主任を兼任しているトドロキという人物だった。
「使徒から攻撃を受けて無傷でいられたことが信じられません! 何か理由があるはずです! 偶然では済まされない何かが起きたのでしょう! ぜひとも解明の為、それを預からせていただきたい!」
「はぁ……これで何かわかるんでしたら」
カガリからお守りを受け取ると、トドロキは「きっと何かあるに違いない……新たな発見があるぞこれは……」とブツブツ呟きながらカガリのいた処置室を出ていってしまった。
「……あの人大丈夫なの?」
付き添いのイオリが去っていったトドロキを危ない人間を見る目で見送った。
「さぁ……それよりお前、もう集落に戻ってもいいぞ。俺はこのとおりほぼ無傷だし。今朝から筋肉痛は酷いけど」
「せめて兄貴がここ出られるくらいになるまではいるよ。それに、チサトのことも気がかりだしね」
「……ミカゲさんな」
チサトは隔離室での昏睡状態が続き、油断ならない状態だ。ハルトは既に目を覚ましてはいたが、まだベッドから起き上がることはできず、意識もはっきりしていない。時折うわ言のように姉のハルヒに仇が死んだと言っていた。
この二人の状態を教えてくれたのはチサトの担当を務める、本部のギルド職員・ユノ=キサラギだった。
「この度はチサトさんに諸々の手助けをしていただいたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました」
「いいえ。何かできないかと必死だっただけなので」
「……チサトさんは、これまでずっと一人で今のハンター生活を続けてきました。月日を重ねるにつれて、ここ最近は随分と疲れている様子で。チサトさんがミクロスに滞在することになったとき、通話をするたびに顔色がよくなっているのがわかりました。きっとそこでの暮らしが楽しかったんだと思います。私はチサトさんの担当官ではありますが、精神的な面での支えにはどうしてもなれなくて。ずっと歯がゆい思いをしていたものですから」
ユノはまるで自分のことのようにチサトのことを思いやっていた。きっとそれだけ、チサトとの関係は良好だったのだろうなと思うほどに。
「私ができなかったことをしていただき、本当にありがとうございます。それとこちら、カガリさんが本部に滞在する間に使用していただく端末になります。お手隙の際に動作確認をお願いします」
ユノが差し出してきた端末を受け取ったカガリは「ありがとうございます」と頭を下げた。ミクロスで使っていたものに比べてかなり新しい。使いこなせるだろうか。
「それともう一つ、以前チサトさんから頼まれていたことがあって。よろしければこちらもどうぞ」
「……これは?」
カガリは渡された袋の中を覗き込んだ。イオリもなんだと中を見る。パッと見は飴玉のように見えるが。
「舐めてみてください」
ユノがどうぞと言うので、カガリは言われるがままそれを一つ口に放り込んだ。
「え! 味がする!」
「どういうこと?」
「よかったです。それ、医療部が魔武器の後遺症で感覚を失われた方の為に作った、リハビリ用の薬玉なんです。実際に食事をされたときにも食べ物の味がわかるようになる優れものなんです。食前に一つ、毎日舐めていれば少しずつですが、元の状態に近づいていきます。完全に戻すのは難しいそうですけど。それと、味覚が戻れば嗅覚も自然に戻るはずだと医療部の医師が言っていました。医療部に申請していただければ、まとまったものが届くようになりますよ」
「そんなものがあったんですね。嬉しいです、もう美味しいものは食べられないと思っていたので」
「兄貴?」
イオリが怖い顔で説明しろと言いたげな視線を送る。あまりの恐ろしさに、カガリは渋々自分が使用した魔武器のことと、その代償について話さざるを得なかった。
「馬鹿だ馬鹿だと思ってきたけど、ホントの馬鹿!」
「うるせっ」
「そんなもん二度と使うんじゃないわよ! 下手したら失明じゃない! 今度同じことしたら承知しないからね!」
「……悪かったよ。あの、しかしどうしてこれを?」
「チサトさん、あなたの魔武器の後遺症について気になされていたみたいで。どうにかならないかとお願いをされたんです」
「ミカゲさんが……」
「自分がいないときはあなたに伝えてほしいと、そう言われていたので。本日お渡しさせていただきました」
そうか、チサトはそこまで考えてくれていたのか。本当に何から何まで世話になりっぱなしだ。自分が死んだときのことまで考慮するなんて。
「あなたの場合、視力低下も引き起こしているとお見受けしますので、そのまま魔武器を使用されることを医師は推奨していません。今からでも医師の診察を受けて適切なリハビリを行なえば、症状の改善も早いですよ」
「……そうですか。前向きに検討させていただきます」
「検討じゃなくて絶対受けなさいよ」
イオリに小突かれ、「いっ……!」とカガリは筋肉痛の痛みに呻いた。呻きながら眉根を顰める。
魔武器はカガリにとって貴重な攻撃手段だ。手放すのはやはり惜しい。それを察したようにユノが言った。
「カガリさんはハンター登録をなさっていませんよね? このままですと資金繰りにも苦労するかと思います」
「……」
「そんなにお金かかるものなの?」
と、イオリが尋ねるとユノは小さく頷く。
「特に魔武器の弾は特注品で、原材料に魔物の骨と魔力結晶を使っていることからも、低予算での作成が非常に難しいんです。ハンター登録を行なっている場合はその限りではありません。ギルドが必要分支給しますので。そのままお使いになられる場合は、ぜひハンター登録をなさってください。ギルド職員でも魔武器が所持できる方はハンター登録が可能ですから」
「……しかし、ハンター登録は」
「何か問題でも?」
カガリは、自分が守りたいものはミクロスという自分の手におさまるほどの小さな世界であり、ハンターとしての義務が発生してしまうハンター登録はしたくないのだとユノに伝えた。
「ですが、このままですと遅かれ早かれ、カガリさんご自身に精神的にも物理的にも負担が重なります。魔武器の使用を諦めていただくか、ハンター登録を行なっていただくかのどちらかでもしないと……」
「……」
ユノの言っていることはもちろんわかっている。この生活を生涯続けられるわけではないことも理解しているつもりだ。だがこの二択を迫られたとき、カガリにはどうしても魔武器を使用するという選択肢しか選べない。膝に置いている手に嫌な汗が滲む。
「兄貴、悪いことは言わないよ。そんな武器もう使うのやめときな」
イオリに諭されるが、そうすればカガリは戦う手段を失くしてしまう。銃を使う以外の選択肢はない。絶対命中という、銃を使用したことのない人間でも確実に魔物に当てられる貴重な武器だ。
だが使用し続ければ間違いなくカガリは将来的に五感の全てを失う。弾薬を用意する為の資金繰りにも日々頭を悩ませることにだってなる。
「お困りかい?」
「え、ジゴロクさん?」
突然処置室に顔を覗かせたジゴロクにカガリは驚いて声を上げた。イオリは「飛空艇に乗ってたっけ?」と小首を傾げる。
「おったよ。後ろのほうにな」
「いつの間に……」
「副部長、本部にいらっしゃるなんて珍しいですね」
ユノが何の気なしにジゴロクをそう呼んだので、「え?」とカガリは我が目を疑った。
「副部長っ、え? 副部長!?」
「そう、わし副部長」
「ジゴロクさんはギルド本部の副部長なんですよ。組織図に名前を公表していませんし、表にもほとんど出ていらっしゃらないので、本部の中でもジゴロクさんが副部長であることを知ってる人は数が少ないですね」
「は、え? いや、いや! え!? じゃあ、え、私が以前、魔武器の申請で悩んでたときに上に顔が利くって言ったのって」
「長はおる」
「お偉いさんすぎますよ! トップじゃないですか!」
いてっ、とカガリは首周りを押さえた。ずっと銃を掲げていたから首から肩にかけての筋肉痛が特に酷い。「どうりで魔武器の申請から支給までが異様に早かったわけだ」とカガリは体を動かさないよう声を潜める。
「なんで副部長がミクロスみたいな集落にいるんですか。私が子供の頃、ジゴロクさんただのギルド職員でしたよね?」
「あれからいろいろあってな。本部のお偉いさんの娘に惚れられ一緒になったはいいが、それを機にどんどん上に押し上げられて副部長にまでなっちまった。わしも本意じゃなかったよ。本部にはあんまりいい思い出がなくてな。中央もがやがやして好かん。ミクロスの景色が一等お気に入りなんだよ」
「うあー……なんか混乱してきた」
「つまり、ジゴロクのじいちゃんが兄貴に魔武器渡した犯人ってことだ」
はっきりと言い切ったイオリにジゴロクの眉が下がった。
「イオリちゃん言い方がきついのう」
「だってそういうことでしょ? 代償のこと知ってて兄貴に渡したんだ。渡さないことだってできたのにさ」
「これでもよかれと思ったんだがなぁ」
「イオリ、ジゴロクさん……じゃなかった、副部長を悪く言わないでくれ。魔武器が欲しいと言ったのは俺なんだから」
「そうだね。アタシからしてみたらどっちもどっちだよ」
「……まぁ、うん。そうだな」
「手厳しいのう、イオリちゃんは。本当はもう少し案が固まってから言おうと思っとったんだが、どうせ導入はされるもんだから今言ってしまうか」
「副部長、また何か思いついたんですか?」
ユノがどこか呆れて言った。どうやらジゴロクがこうしたことを言い出すのはこれが初めてではないらしい。
「何、サポートハンター制度の導入を検討しておってな」
「サポートハンター制度?」
ジゴロクが言う、サポートハンター制度とは――。
これはカガリのようにその土地に根付く人間が集落、及び周辺の環境を深く理解し、新たにやってくるハンターたちの、文字通りサポートをしていくというものだ。
現段階のギルド職員の仕事はそのままに、集落から一定範囲内においてのみ武器携帯、及び使用を許可してくれるらしい。土地勘のないハンターに対する現地案内、魔武器の申請許可、その他細かい点はおいおい詰めていくことになるだろうとジゴロクは言う。
つまり、ギルド職員でもハンター登録なしに条件を満たせば自分の住む集落から一定範囲内において、通常のハンターと同等の権限を得られるという、まさにカガリにとって理想の制度だった。
ジゴロクはこれをカガリが見習いのハルトに対し、案内役申請の提案書を提出してきたときに思いついたのだという。
「ユノちゃん、わし偉いだろ。褒めてもいいんだよ?」
「ちゃんと制度が確立されたら祝辞を述べさせていただきますね」
「相変わらずつれないのう、ユノちゃんは」
「あの、ジゴロクさん……いえ、副部長。ありがとうございます」
深く頭を下げるカガリに、「いいんだ、いいんだ」とジゴロクはその肩を叩く。
「これが正式なものとして世に出るにはまだかかるからな。そうだな、ミクロスの復興が終わる頃までにはなんとかしてやろう。それじゃ、わしはもう行かんとな。久しぶりに戻ったらとんでもない量の仕事を押しつけられてなぁ」
「それはご自身の責任では」
からりと笑うジゴロクは杖をつきながらのそのそと部屋を出ていく。職員の服を着ていない為、副部長らしからぬ背中だったが、その後ろ姿を心強いとカガリは思った。




