ファミリアに捧ぐ 55
「おい! 近づいてくるぞ!」
見張り台にいた一人のハンターが叫んだ。カガリが目を向けると、チサトがリュカオンを引き連れ集落の近くまで駆けてくる。何かおかしい、カガリはすぐに気づいた。
複合アビリティを使えばチサトならすぐにリュカオンとは距離が取れるはず。それをせずにどうして集落に。カガリは目を凝らし、そして理解した。取り巻きだ、リュコスの群れがリュカオンの足元でチサトを追いかけている。
そうか、あれをどうにかしてほしくて射程範囲内まで近づいてきたのか。
「皆さんは引き続き侵入してくる魔物の相手を! あちらは私が対処します!」
「対処って、どうすんだよおじさん!」
ハルトが叫ぶ声を背後に、カガリは見張り台を繋ぐ橋を駆けながら上空に向かって数発弾を撃った。チサトがこちらに視線を向け、カガリの動きに合わせて走る方向を変えた。
少しでも他のハンターたちの邪魔にならない場所に移動しなくては。広い場所での戦闘を避けさせるようチサトがハルトに伝えた為、訓練場付近にはハンターたちの姿がない。そこからなら確実にリュコスを倒せる。
だが訓練場は見張り台からは離れた位置にある。遠距離では心臓の魔力結晶を撃ち砕くことが難しい。弾を変えなければ。カガリは移動しながら弾薬を散弾に入れ替えようと、懐に仕込んでいた弾倉を掴んだ。それを銃に押し込もうとした瞬間、手元が狂ったように弾倉が本体に弾かれた。
――くそっ、こんな時に。
カガリは銃を目前にまで引き寄せもう一度弾倉を押し込む。ここに来て一気に代償で視力を持ってかれた。魔物を相手にしすぎたか、訓練場に近づいてくるチサトの姿が捉えづらい。それでもまだリュコスの姿は追える。
カガリはきつく目を細めながら、リュコスに狙いを定め銃を撃ち放った。
――さすが。
チサトは背後で次々に倒れていくリュコスを見て、ようやくその足を止めた。すぐにこちらの意図を汲んでくれたカガリのおかげでリュカオンに集中できる。
大地をきつく踏み締め、チサトはリュカオンへの追撃を再開した。今度こそリュカオンの下に潜り込み、心臓部にめがけて拳を叩き込む。リュカオンが呻き声を上げた。すかさず二発目を叩き込むと、リュカオンの体がその場で沈みかけた為、チサトは距離を取った。
上空でアグニが鳴く。二回目。時間がない。
足をよろめかせているリュカオンの左目に再び一撃を食らわせた。奇声を発しながらいよいよもってリュカオンは地面に崩れ落ちる。これを逃さない手はない、チサトは胴体に回り込み、三度心臓部を殴りつけた。リュカオンはその大口から大量の血を吐き出し、白目をむいて首を垂れた。
――魔物たちの動きが止まった。
異様な静寂が集落を包み込む。一頭のリュコスが突然逃げ出した。それを合図に他の魔物たちも一斉に集落を飛び出していく。
「倒したのか!?」
ハルトがカガリのもとに駆け込んできた。カガリは何か違和感を覚えつつも、「おそらく」と返した。
「よっし!」
ハルトが拳を上げて喜ぶ傍で、嫌な胸騒ぎを覚えカガリはチサトとリュカオンから目が離せずにいた。チサトが何故か構えを解いていない。
……なんだ、この体の奥底から告げてくる身の毛のよだつ感覚は。
次の瞬間、リュカオンの体が小刻みに痙攣を始めた。
「あれは……」
「な、何?」
その痙攣は次第に大きな震えとなり、チサトが大きく距離を取った。刹那、リュカオンの体が突如としてひび割れた。隙間から大量の血が流れ出し、それは体毛を浸食し、瞬く間に全身を血で染め上げた。
むき出しになっていたリュカオンの目が黒く染まり、黄色い瞳孔が光る。顔の傷が消え、欠けた耳が戻り、左目を除く全身に負っていたはずの無数の傷が見る間に修復されていく。
「な、なんで傷が治ってくんだよ!」
「……これは、まさか」
最後に拳を叩き込んだとき、背筋に悍ましい悪寒が走った。全身が距離を取れ、近づくなと告げていた。
知っている、チサトはこの感覚を細胞の一つ一つまで鮮明に記憶していた。
チサトは息を殺し、待った。心臓を叩き潰し、間違いなく死んだはずのリュカオンの体が震え出す。自身の血で赤黒く染まり上がった肉体は突如として起き出し、チサトの姿を捉えるや否や衝撃波のような咆哮を放った。
「うっ……!」
間違いない――使徒化だ!
使徒喰らいが完全なる使徒に変化した。倒したあとに使徒化するなど、誰が予想できただろうか。だから魔物たちが逃げたのだ。使徒はどんな魔物ですらも本能的に逃げ出すほどの強力な魔障を放っている。
――やらかした、最悪の事態だ。
再び咆哮を上げたリュカオンがチサトに猛進する。即座にアビリティを発動し、距離を取ったが、体を急旋回させたリュカオンが追いついてきた。
(速い――)
リュカオンの薙ぎ払いが直撃し、チサトは集落の柵にまで吹き飛ばされた。それは凄まじい威力で、柵を破壊するほどの衝撃だった。
「ミカゲさん!」
「おじさん駄目だ!」
ハルトが止めるのも聞かず、カガリは見張り台を駆け下りていく。ハルトは追いかけようにも、訓練場からリュカオンが集落に入り込む姿を目撃し、そのあまりの醜悪な姿に慄いた。リュカオンは邪魔な柵に食らいつき、激しい音を立てながら捻り潰していく。
地上へと降り立ったカガリは、住居の壁に衝突し倒れ込んでいるチサトを抱え物陰に逃げ込んだ。目標を見失ったリュカオンは手当たり次第に柵を破壊し、激しい唸り声を上げている。
地上にいるハンターたちが「入ってきたぞ!」「逃げろ!」「戦うな! 散れ! 散れ!」と声を上げながら逃げていく様子が見えた。
「――ッ!」
カガリの腕の中でチサトがハッと体を起こした。チサトはカガリを見るなり胸倉に掴みかかった。
「時間は!? アタシどれくらい気を失ってた!?」
「落ち着いてください、ほんの数十秒です」
「チッ、そんなに……時間を無駄にした!」
チサトは立ち上がろうとするが、カガリが慌ててそれを引き留める。
「待ってください。怪我はありませんか? 相当な勢いでぶつかったはずです」
「? 怪我は……特には」
使徒化したリュカオンの攻撃を真正面から受けながら、チサトの体は驚くほどに無傷だった。いつもの使徒戦ならば瀕死の重傷であってもおかしくはない。だが今はそんなことは気にしてはいられない。
「とにかく行かないと。使徒化したことでヤツの傷がなかったことになったから。もう時間がない」
「ミカゲさん!」
カガリの制止も空しく、チサトの姿は早くもそこから消えていた。
リュカオンは見える範囲の柵を破壊し尽くし、ついには見張り台の橋に食らいついた。全体が大きく揺れ動き、見張り台にいたハンターたちが次々と落下し逃げ惑っていく。その中でハルトが一人取り残され、必死に橋にしがみついていた。
そこに追いついてきたチサトがリュカオンを横から叩き殴った。リュカオンはよろめくも、すぐに体勢を立て直しチサトに牙を向いた。その勢いだけで見張り台が大きく傾く。
「うっ、わっ……!」
ハルトの体が宙に放り出されそうになると、チサトが腰に差していたダガーを見張り台に向けて投げ撃った。それが目前にまで迫り、ハルトは思わず尻もちをつく。ダガーは見張り台同士を繋ぐ橋の綱を切った。倒れかかった見張り台が元に戻り、慌ててハルトは橋から逃げ出す。
見張り台に飛び移ると支えを失った橋が音を立てて地上へと落下していった。安心したのも束の間、視界にリュカオンが映り込みハルトは見張り台に隠れた。恐る恐る顔を覗かせ、リュカオンの様子を探る。
「――え」
「ハルト君! 大丈夫ですか!」
カガリは見張り台を上り、ハルトのもとへと駆け込んだ。ハルトは愕然とした表情で、住居を破壊しながらチサトを追い回すリュカオンを見ていた。
「あいつだ……」
「え?」
「あいつ……あいつだ……ッ!」
「ハルト君!?」
突如、ハルトが見張り台を飛び降り、地面に転がりならリュカオンに向かって走り出した。
「使徒に近づいてはいけない! ハルト君!」
カガリが霞む視界のなか、急ぎリュカオンに近い見張り台まで駆け出した。
ハルトはハルバートを手にとにかく走った。
あれは、あいつは、あの化け物は――!
「姉ちゃんの仇……!」
一方、チサトはリュカオンをなんとか訓練場に誘導し、反撃を開始した。リュカオンの動きは明らかに先ほどよりも機敏、かつ一度の攻撃の威力が桁違いだ。攻撃による風圧ですら体が持っていかれる。
上空でアグニが鳴く。三回目。あと一回。
息を整え、連続の攻撃を繰り出す。振りかぶられる爪を避ける瞬間に一撃。すぐに距離を取り、リュカオンの視界に映り込む前に後ろへと回り込み、足に数発叩き込んだ。
リュカオンが片膝をつく。即座に胴体に潜り込み、今一度拳を撃ち込んだ。その強烈な一撃にリュカオンがもがき苦しみ激しく暴れ狂った。
不規則な動きにチサトは逃げ遅れ、痛烈な足蹴りをくらい吹き飛ばされる。受け身を取る前に瓦礫と化した住居に突っ込み、チサトは呻きながら脇腹を押さえた。強烈な痛みが訴えかけてくる。
さすがに今度は無傷とはいかなかった。肋骨が何本か折れた。防具をしていてもこの威力。そこらの使徒とは力も速さも比べ物にならない。ノエの言伝をこんな時に思い出した。
(……原初の魔物)
吹き飛んだチサトを追ってリュカオンが迫り来る。瓦礫が邪魔になり、体勢を立て直すのが遅れた。
考えろ、死んでも殺す方法を考えろ――!
よろめく足で立ち上がったチサトは、その視界にハルバートを手に単身リュカオンに突き進むハルトを見つけた。
「はるっ……! うっ、ゲホッ!」
チサトは痛みに咳き込んだ。その隙にハルトがリュカオンに並んだ。
(姉ちゃん……姉ちゃん! オレがやらないと! オレが……! オレの敵だ!)
ハルトはハルバートをエンハンス強化で力の限り握り締めると、リュカオンの胴体に滑り込み思い切り突き刺した。中から裂くようにハルバートを引き抜くと、悲鳴を上げたリュカオンが足を止め後退する。
「駄目! それじゃ浅い!」
リュカオンの眼光鋭い目がハルトを捉えた。黒光りする爪がハルトに振り下ろされる。巨大な影が迫り、それが体に食い込もうとした瞬間、チサトが必死で追いつきハルトを庇った。爪がチサトの胴を防具ごと裂き、二人は共々吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
「!?」
一気に居住区まで転がり込み、ハルトが慌ててチサトを見た。チサトは顔面蒼白で、起き上がることすらままならなかった。息がしづらい、肋骨が折れて肺がやられているのか、肺そのものが駄目になっているのか判別がつかない。
「あっ、ごめっ、おれ、オレ……!」
「よそ見するな!」
視線を逸らせたチサトはハルトを思い切り蹴り飛ばした。その直後、二人の間をリュカオンが突進し駆け抜けていく。その勢いは多くの家々を破壊し、サノにぶつかることで動きを止めた。
サノの一部が崩落していくなか、リュカオンは首を振りながらチサトとハルトに向き直る。と、そこに銃声が響き渡った。リュカオンの体に数発の銃弾が埋め込まれる。カガリが見張り台から銃を構えていた。
二人からリュカオンの注意が逸れ、カガリに標的を移した。橋を駆け抜けるカガリをリュカオンが追っていく。
それを視界の端に捉えたチサトは、血塗れの腹部を押さえながら立ち上がるがすぐに倒れ込んだ。その衝撃で盛大に口の中を切った、息のしづらさで咳き込むと血が滴る。呻き声を上げながら、チサトはそれでもなお起き上がろうと膝を立てた。
「そんな傷じゃ動けないだろ!」
ハルトが駆け寄ってくるが、チサトは血だらけの手でハルトの胸倉を掴むと「体は……っ」と尋ねた。
「え?」
「魔障……体はっ」
「今はまだなんともない。一瞬だったし。それよりアンタのほうが!」
体を支えるハルトの手を振り払い、チサトは何度も咳き込み血を滴らせながら立ち上がった。
「……約束した」
「?」
「約束した……ミアちゃんと、約束……守るって、約束した……!」
「おい!」
チサトが駆け出した。それはすぐに追いつけない距離まで離される。残されたハルトの足元には血だまりができていた。




