ファミリアに捧ぐ 52
ある夜、見張り台にいるチサトのもとをカガリが訪れた。手にはサノで使われている器を持っていた。ギルドの配給だ。器から漂う湯気は白く濃い。肌寒いと感じていた夜の見張りにはありがたかった。
「ラゴース肉のシチューです。温まりますよ」
「どうも」
チサトは器を受け取りつつ、それとなくカガリがもう片方の手に持つ器を見た。山のように香辛料がかかっている。きっとまたイオリに小言を言われたに違いない。
「ここまで静かだと、本当に来るかのか少し疑ってしまいますね」
周囲に広がる森は時折風に煽られ木々の擦れる音をさせるばかりだ。
シチューを啜るカガリは眉間に皺が寄っている。山のような香辛料がかかっているにも関わらず、味がしないのかもしれない。
「来ますよ、絶対。わかるんです」
そう返したチサトの表情には揺るぎないものがある。カガリはその横顔を見て、そうですかとただ返すことしかできない。
「なんとか短期決戦に持ち込みたいですね。取り巻きがどこまで邪魔になるか」
「私もあなたのサポートにつきます。離れていれば魔障の影響もありませんからね」
「だからって油断したら駄目ですよ。アタシにはあなたの命を守る義務があるんですから」
「私だって女性に守られてるばかりじゃ男の名が廃りますよ」
「大人しく守られておけばよかったのに」
「冗談じゃない。私だって戦えるんです。あなたのようには戦えませんけど」
「そうだ、聞こうと思ってたんだ。どうして銃だったんですか? 近接武器じゃやっぱり命の危険があるから?」
「それもあります。ミアを置いていくわけにはいきませんしね。でも、一番はね、嫌だったんですよ」
「嫌?」
「魔物を手にかけたという感触が残るのがね、嫌だったんです」
サノで定期的に起きるハンターたちの諍いを止められないもしない人なのだ、魔物を殺すなんてことは本当はもっとできないだろう。チサトは頷きながらシチューを口に運ぶ。
「臆病ですよ、私は」
「だからなんですかね」
「え?」
「魔武器があなたを選んだの。本当に必要な人のところに行くのかなって思って。ほら、魔武器って人を選ぶでしょ?」
「ああ……どうなんですかね。あなたは申請なさらなかったんですか?」
「してないと思ってるんですか?」
あ、とカガリはその言葉の意味に気づく。したから持っていないということか。
「強さだけじゃ魔武器は扱えないってことですね」
「……今のあなたは十分お強いですし、そこに魔武器が加わったらどんな代償がつくか」
「あなたがそれを言いますか」
「私のように感覚はまだしも、傷ができるような代償ならそれを生涯背負うんですよ? あなただって、一生残る傷を持ちたいわけじゃないでしょう」
その言葉に、チサトはそれとなく首元を擦った。「まぁ、そうですね」と続いた声は酷くか細かった。
「私からも一つ、聞いておきたいことがあるんですけど」
チサトの様子を少しおかしく思ったカガリが内心焦りつつ尋ねた。言ってはいけないことだっただろうか。
「魔障って、人間にとって毒ですよね。長時間汚染されるとしばらくは動けなくなってしまう」
「ええ」
「Sランクハンターの皆さんは、魔障に汚染されてもしばらくの間は戦うことができて、汚染されていたとしてもその後は普通に歩けますよね。それは何故ですか?」
「ああ。Sランクハンターには他のランクとは違った試験があることは知ってます?」
「ええ、それは存じてます。内容は非公開なので詳しくは知りませんが」
「知られると試験を受けるハンターが減る可能性があるから非公開なんですよ」
「どういうことですか?」
「試験にはいくつかあって、当然の如く筆記、実技といった感じであるんですけど。まぁ簡単に言ってますけど実技なんかは特定の魔物の単独討伐で、相手にするのは人それぞれです。ただし相手にするのはAランクでも討伐にはちょっと勇気がいるような魔物ばっかりですけどね」
「ちなみにあなたは何と?」
「アタシは猛毒蛇のヒュドラでした。巨大な毒蛇で鱗も硬いわ動きは俊敏だわで大変でした」
「大丈夫だったんですか?」
「大丈夫じゃなかったですけど、結果大丈夫だったからここにいるんでしょうね」
「ややこしいな」
ふふっ、とチサトは肩を震わせる。「そう、それでね」と話は続いた。
「あなただから言うんですからね。他の人に話しちゃうのは駄目ですよ」
「はい」
「Sランクの諸々の試験をクリアしてった最後、開発部が造った擬似魔障体験装置でふるいにかけられるんですよ」
「擬似……?」
「擬似魔障体験装置。魔障の毒に耐性を持てるかどうか、使徒の魔力結晶を使って機械で魔障を発生させるんです。数日間そこで魔障に体を慣らすんですよ」
「そんなことができるんですか?」
「できるんですよ。だからアタシが戦えてるわけですし。まぁ、どういう仕組みかは知らないですけど。で、魔障の毒にも耐性を持てる人とそうじゃない人がやっぱり出てくるんですよ。耐性よりも中毒症状のほうが優ってしまって。つまり、そこで魔障に対して耐性ができるから、Sランクハンターは使徒を相手にしても戦えるってことですね」
「なるほど……でもそういうのって、ハンター試験合格時にやってもよさそうですけどね」
「魔障の毒での中毒症状ってすっごく危険なんですよ。幻覚を見たり、意識を失ったり、場合によっては精神異常を引き起こしたり。それを試験合格者全員に実施したらどうなると思います?」
「……死人が出る可能性がある、か」
「ハンターになれる人材はこの現代においては貴重なんです。そして将来その中から使徒を相手にする優秀なハンターが生まれるかもしれない。犠牲にするわけにはいかないじゃないですか。実際中毒症状で試験を辞退したハンターは何人もいますしね。Sランクハンターの壁はねぇ、やっぱりちょっと高いんですよ」
ふーっとシチューに息を吹きかけ、チサトは器を傾けた。そんな高い壁をチサトは越えたわけなんだなとカガリは思ったが、そこでふと疑問が湧いた。
「使徒を討伐する際って、あなたもそうですが、他のハンターの方々も基本的には単独ですよね? パーティは組まないんですか? Sランクハンターは他のハンターよりも圧倒的に数が少ないわけですし、パーティを組んだほうが生存率が上がると思うんですが」
「数が少ないから、少しでも多く使徒を狩る為に各地にいる使徒に割り振るんですけど、さっきの試験の中には性格の適性診断も含まれてて」
「適性診断? そんなのあるんですか? 聞いたことないな……」
「まぁ、試験って言うか、条件って言うか、本当にお前なれるのか?っていう確認、みたいな? でもこれが割と重要視されてて。噂ですよ、あくまでアタシが聞いた噂。我の強い人間が選ばれやすい傾向にあるそうです」
「我の強い……」
「簡単に言っちゃえば、パーティには不向きな人間ってことですね」
「それはまたどうして」
「人間って、仲間がいると助けたくなっちゃう生き物なんですよね。仲間意識が他の生物よりも強いんですって。もし使徒戦で、仲間が倒れて瀕死で、今助けないと死ぬってなったとき、あなたどうします?」
「それは……なんとかして隙を作って、助けられたら……」
「そういうね、あなたみたいな人が次に攻撃を喰らって瀕死になっちゃうんですよ」
「……」
「いいですか。いくらアビリティを持っていても、アタシたちの体はただの生身の人間なんですよ。防具を着けてようが、武器を持ってようが、至近距離で咆哮を受ければ鼓膜が破れるし、爪が掠るだけで肉は裂けるんです。角に突き上げられれば放り投げられるし、突進を受ければ吹っ飛ぶんですから。中にはもちろん、パーティで挑む人もいますよ? でもそういう人たちは、仲間を捨てられる人たちなんです。無慈悲でしょー? でも仲間より使徒を倒すことのほうが大事なんです。逃がせば二次被害が起きる。傷つかなくていい人が傷つくことになる。仲間を犠牲にしてでも、アタシたちは使徒を倒さなくちゃいけない。だったら誰かを気にかけて戦うことになるより、一人で討伐したほうが楽でしょ?」
「……なるほど」
複雑な気持ちにはなったが、そう言われるとカガリは何も言い返せない。仲間を助けることが犠牲を生むだなんて考えもしなかった。
それでもチサト一人での討伐はつらいことも多かっただろう。それこそ精神がすり減って、今回のように何もかもに疲れてしまったなんてこともなかったわけではないだろうに。
「ちょっと、不躾なことを聞いてもいいです?」
「どうぞ」
「これまであなたは一人で使徒を討伐してきたわけですが、その結果として教官になるという選択を選びましたよね。しかしそうなる前に、どうして帰る場所を作ろうとは思わなかったんですか? 作ろうと思えばどこにでも作れたと思うんですよね、あなたのことですから。それこそ中央に一つ家を持つだけでも違ったと思うんです。あなたの今の動き方を見ていると、ハンターを辞めたいようには思えなくて」
「あー、つまり、あなたの言うところのファミリアってやつですか」
「ま、そうですね」
「うーん、なかなか難しい質問ですね」
「あ、もし言いにくいこととかであれば全然、言わないでいただいていいので」
悩むチサトにカガリは慌てて手を振った。チサトはそうではないのだと言う。
「理由はね、あってないようなもんなんですよ。家を持つと管理とか大変だなぁとか。食糧の買い置きなんてできないじゃないですか、今の生き方じゃ。腐らせるし。まぁでも一番は、理由がなかったんですよね」
「?」
「帰る家を持つのも、待っていてくれる家族を作るのも、どっちもこれと言った理由がなかったんですよね。野営と集落と宿営地を行ったり来たりして、そこそこ衣食住はなんとかなってるし、その場その場でその土地の人たちと交流してそこそこ楽しいし。理由がないのが理由ですかね」
「理由がないのが理由……じゃあ、理由があれば、一つのところに留まるのも、家を持つのも、家族を持つのも、何の抵抗もないということですか?」
「んー、まぁ、そうなんですかね。そういうことになっちゃいますかね」
「……。じゃあ、もし私が」
カガリが何かを言いかけたその時、「大変だ!」と隣の見張り台にいたハルトが橋を渡って駆け込んできた。
「北の空が明るいんだ! 真夜中なのに!」
二人は顔を見合わせ、急ぎハルトがいた見張り台へと駆け込んだ。
ハルトの言うとおり、遠い北の空では薄ぼんやりとした淡い光が見える。チサトはそれに目を凝らし、「あそこにあるのは集落?」と尋ねる。
「ええ。ここよりも少し小さいですが」
カガリが口早に答えると、チサトは鋭い目つきで北の空を睨んだ。「……この場所代わって」とハルトを退ける。
「え、うん」
「それと、住民たちの避難を。もうギルドにいさせたほうがいい。予定より早く来るかもしれない」
「わかりました」
カガリは頷き、急ぎ見張り台を下りていく。ハルトが同じく北の空を見つめ、「来たらどうすればいい?」とチサトに尋ねた。
「先陣はアタシが行く。ヤツを集落の手前で足止めするけど、小型の魔物には構ってられない。リュコスは体が小さい分、脚力があるから柵を越えてくるはず。弓、銃、ボウガンを扱うハンターを見張り台に立てて、飛び越えるリュコスを狙わせる。体が大きいスコルとハティは入り口から入ってくるはず。外の広い場所で戦うと囲まれて不利になるから、人のいない今はむしろ入れたほうがいい。遮蔽物をうまく使って、背後を取られないようにすれば各個撃破は難しくない」
「攻撃から逃れたリュコスは?」
「そこは頑張ってもらうしかないね。地形はこっちに有利だから、背後さえ取られなければ基本的に戦い方は一緒。最悪ハティは見逃していい」
「なんで? ……いや、待って、考える。確かハティは夜行性で、夜目が利く分、朝のうちは視力が弱いから、こっちが気づいても不用意に近づかなきゃ攻撃されない?」
「なんだ、勉強してるじゃん。そう、本来ハティは夜に行動するから、日中の活動は思考も行動力も極端に落ちる。ただし聴覚が異常に優れてるから、少しの物音で居場所が知られる。やり過ごしたければ、どっか遠くに石でも投げておけばいい」
「そっか。わかった。オレ、今のうちにその事他のみんなに伝えてくる」
と、ハルトもまた駆け出していった。
チサトは変わらず北の空を睨んでいる。おそらく使徒喰らいの襲撃で火の手が上がっているのだろう。間にある集落は残り一つ、そこを越えたらもう目前だ。
体の底から震えに似た何かがこみ上げてくる。この感覚に、いまだに慣れない自分がいる。




