ファミリアに捧ぐ 5
「今日はお前たちの動きをハンターサジが見てくれることになった」
ノエが言っていたとおり、基礎訓練が始まるとアサギの隣にはサジの姿があった。訓練生たちの興奮は冷めやらない。
――そんなに人気なのか、Sランクって。
ただ煙草臭いハンターという印象しか持たないチサトには、彼らが興奮する意味は理解できない。
「三人一組で動きを見る。木人の前に立ち、私の合図で模擬戦闘を開始しろ。サジが動きを見終えたら、次の三人に移る。最初はノエ、チサト、ウェルサの三人だ。武器を持って木人の前につけ」
呼ばれた三人は武器を手に取り、木人の前に立った。
ノエが声小さく「緊張で手が震える……」と零した。隣にいるウェルサも心なしか表情には引きつったものが見える。
いつもどおりにすればいいのに。チサトは槍を構えた。それも自分がSランクには興味がないからだろうなとはわかりきっていたが。
「――始め!」
その合図と同時に、チサトは一気に駆け出した。
訓練生たちが基礎体力作りの為の持久走を行う姿を、アサギとサジが眺めていた。
他の訓練生たちよりも身長が低いせいか、先頭集団の中に混じっているチサトの姿はすぐに目がつく。
「あの槍の使い方をどう思う?」
不意にアサギがそう尋ねた。
「ありゃあ駄目だ。死人が出る。今すぐにやめさせろ」
サジの厳しい声に、「そうか」とアサギはそう返されることがわかっていたような表情をしていた。
「一昔前ならよかった。今の時代にゃ合わねぇ」
「やはりな」
「これを判断させたいが為に俺を呼びやがったのか。気になるのかあの新人が」
視線をチサトに向けながら言うサジに、「それもある」とどこか自信なさげにアサギは続けた。
「だがその前に、私の勘が鈍ってないか確認したかった。ハンターを辞めて三年も経ってる」
「……そうか、もう三年か。お前が大槌を振るってた頃が懐かしいな」
「やめてくれ。感傷になんか浸りたくない。手間をとらせて悪かった。あいつにはガントレットに方向転換させるようにする。ゾーンとエンハンスの速度強化を持っているんだ。鍛え方によっちゃ化けるだろう」
アサギの視線はチサトから逸れ、訓練所へと姿を消していく。
「昔の自分でも見てんのかねぇ」
呟いたサジの声は誰の耳にも届かなかった。
「んー……」
夜、チサトは寄宿舎の中にある大浴場の湯船に浸かっていた。毎日武器を振るい続けているとさすがに体も悲鳴を上げてくる。
大きく伸びをしていると、「いやぁ、今日も疲れたね」とノエがチサトの隣に並んだ。
「ハンターサジに見てもらうなんていい経験したよ。自分の分野の武器じゃないのに、駄目なところとか全部指摘してくれたもんね」
「そう? アタシのとき結構ありきたりなこと言われたけどなぁ。重心がズレてるとか、持ち方がよくないとか」
「逆に考えたら? それしかアンタには言うことなかったってことじゃない?」
「そうかなぁ」
なんだか納得がいかず、チサトは小首を傾げた。
「それよりさ、アンタ凄かったね。凄い勢いで槍振り回してたじゃん。エンハンスもしかして速度強化?」
「そうだけど」
「うわ、やっぱり。体に直接効果があるエンハンスって強いよねぇ。アタシは体力強化だからさ、遠距離武器って体力つきにくいからそういう点じゃいいアビリティなんだけど、恩恵が少ないんだよね。長期戦に向いてるってくらいでさ」
「って言っても、動きが速くなるだけじゃこっちもたいした効果ないって言うか」
「そんなことないでしょ。魔物と距離縮めたり、離したりする分にはすっごくいいアビリティじゃん。なんでそんな不満そうな顔なわけ?」
顔を覗き込んでくるノエに、チサトは軽く頬を膨らませて膝を抱える。
「アタシさ、身長160ないんだよね。それで槍でしょ。重量のある槍は持てないんだよね。動作が遅くなっちゃってさ。だからできれば筋力強化が欲しかったなって」
「あー、ハンターにはよくあることだね。望んだ力には恵まれないってやつ。でも生まれ持ったもんだからさ。それでうまく付き合っていく方法探したほうがいいと思うけどな。アタシはそういう風に散々言われてきたから」
そう言ってノエは自身の腕を擦った。ノエの腕は古い傷跡がいくつも目立つ。
チサトがなんとなくその傷に目をやると、それに気づいたノエが「これね」と腕を上げる。
「アタシがもっと小さい頃に作った傷ばっかり」
「ごめん、気にしたよね」
「いや? ハンター稼業やってくなら付き合っていかなきゃいけないもんだから平気。小さい頃から罠の扱い方習わされててさ、そのせいで魔物と戦ってもないのにもうこんなだよ。鉄線の引き方が甘かったり、金具に挟んだりね」
消えない傷を擦りノエに、チサトは自身の腕を見やった。槍を握ったときにできる手の豆は目立つものの、それ以外に大きな傷は見当たらない。
「チサトはさ、将来結婚したいとかあるの?」
「何、急に」
「知らない? 女ハンターってこの世界で結婚率が一番低いって言われてるんだよ」
「……なるほど?」
「結婚したいとかあるなら、傷だらけの体をちゃんと受け入れてくれる人じゃないと駄目だよ。うちの親はハンター同士の結婚だったからそういうのは偏見なかったらしいけど、やっぱりさ、女の体に傷があるってのは気持ちいいもんじゃないんだよね」
「……そっか。アタシは別にしてもしなくてもかな。今は自分の住んでたところを守れるハンターになりたいってくらいしかないし」
「そう。その気があるならいつかいい人見つかるといいね。アタシはまずは目指せSランクハンターだからさ」
と、拳を握るノエにチサトは「ええぇ?」と顔を顰めた。
「目標高すぎない? あれアタシらの歳から最低でも15年かかるんでしょ?」
「それでも。うちの親二人ともAランク止まりなんだ。だったら超えないとね」
「頑張るなぁ。アタシはまぁ、行けてAでいいや。死ぬの怖いもん」
「でも槍ぶん回してたときのアンタ、凄く才能感じたけどなぁ」
「無理無理。そんな勇気ない」
「そうかなぁ。アンタがその気ならアタシとどっちが先にSランクになるか競争しようと思ったのに」
「やめて、巻き込まないで」
二人の話は、それから二人がのぼせそうになるまで続いた。
黒板には「アビリティ」と大きく書かれた文字の下に三つの矢印が伸び、それぞれに「固有アビリティ」「複合アビリティ」「ギフトアビリティ」という文字が書き加えられた。
アサギは手にしていた白墨を置き、訓練生を振り返った。
「今日はアビリティについてを学んでもらう。アビリティとは、簡単に言ってしまえば私たち人間に備わっている潜在能力だ。激化する魔物との戦いで疲弊していた人間に、善良なる神が与えてくれたものだとされている。正直な話はわからんが、神にも縋りたい一心だったのは確かだろう」
資料を手に、アサギは訓練生の間を歩き始めた。アサギがすぐにやってきたことで、チサトはまた昨日のようなことになってしまわないか、一種の恐怖で内心震え上がった。
「このアビリティだが、最初に発現を確認できたのはかの槍の使い手、アテナだと言われている。一人の発現が確認されると、瞬く間に多くのアビリティが発見されるようになった。当時は神から貰い受けたものとしてアビリティではなくギフトという呼称だったが、現代においては固有、複合、ギフトの三つに分類され、その総称をアビリティと改名した。このアビリティについて説明できるやつはいるか?」
アサギが訓練生を見渡すと、一番にウェルサが手を挙げた。
「よし、答えてみろ」
「はい。固有アビリティは、人間が本来持っている能力のことを指します。身体強化を主とするエンハンス、集中力を強化するゾーン、解析を可能とするアナライズなどがあります。複合アビリティは複数のアビリティの強化値が一定水準に達すると、何かのきっかけで別のアビリティに進化します。何故進化するのかまではまだ研究途中だったはずです。そしてギフトアビリティは、自身にではなく他者に効果をもたらすアビリティです。回復促進、防御強化などがありますが、その多くが希少で例も少なく、こちらも現在研究が進められています」
「いいだろう。現段階でそこまで勉強ができているならば、三月後の試験も無事突破できるだろう」
なんだそれは自分に対しての遠回しな嫌味だろうか。
チサトはこめかみを掻くと、ふと視線を向けた先でウェルサと目が合った。ウェルサは小さく鼻で笑って資料に向き直った。
(腹の立つ……)
この苛立ちは、次の基礎訓練で発散してやろうとチサトは思った。
しかしいざその時間になったとき、チサトは思いもよらないことをアサギから告げられた。
「チサト、お前は今日からこれを使え」
「え」
と、アサギは古びたガントレットをチサトに差し出した。
「どういうことですか?」
「お前に槍は向かないと判断した。だからお前のアビリティと相性のいい、ガントレットを使え」
「ちょっ、ちょっと待ってください。それって昨日ハンターサジがアタシの動きを見たからですか?」
「あれは関係ない。私が個人的にそう判断した。お前は近接向きだ。臆することさえなければ魔物に対して一打で致命傷を与えることも不可能じゃない」
「そんな急に言われても……納得できません」
ガントレットを受け取ろうとしないチサトの胸に、アサギは無理矢理それを押し付けた。
「お前、槍の遠心力に振り回されているだろう」
「っ……」
「お前は体躯に恵まれていない。それにエンハンスには筋力強化も持っていない。今はいいとしても、今後歳を重ねていくにつれて衰える筋力で槍は振り回せない。もう一度言う。お前はガントレットを使え。槍は捨てろ」
「……でも」
「これは教官命令だ。そのガントレットはお前にくれてやる。他の武器は基礎訓練に留めて、ガントレットを極めろ。そうすれば実力はおのずと後からついてくる。いいな」
反論したくとも、教官命令と言われてしまえばそれまでだった。唇を噛み締めるチサトを、ウェルサがなんとも言えない表情で見つめていた。
「絶対あの煙草臭いおっさんのせいだ……」
チサトはブツブツと文句を零しながら食堂で食事をとっていた。パンを引きちぎる手にも苛立ちが出ている。
「何、機嫌悪いじゃん」
そこにノエがやってきて、チサトの正面に腰掛けた。チサトは大きなため息を吐き、まぁねと呟く。
「何があったの?」
「教官に今日からお前はガントレット使えって言われた」
「あらら。槍の適正ないって言われたんだ」
「言われた。絶対昨日のサジってハンターがなんか言ったんだ。じゃなかったら翌日に言ってこないでしょ」
大きく息を吐き出して、チサトはパンを口に放り込んだ。
「ガントレットなんてただ殴ってるだけじゃん」
「そんなに槍がよかったんだ。なんでそんなに槍がいいの?」
「え? かっこいいでしょ」
「そんな理由?」
「いけない?」
「いや……いけなかないけどさ」
あまりのチサトの勢いにノエもすっかり気圧されてしまった。パンを呑み込んだチサトはそれでも気落ちした様子は隠せないようで、食事の手を止めた。
「……でもさ、教官に言われたんだけど、槍の遠心力に振り回されてるってやつね、あの指摘は嘘じゃなくてさ。体躯に恵まれてないのもそうだし。将来を考えたら槍は使い続けられないのはそのとおりなんだよね。……アタシにもっと身長と筋力があればなぁ。あと筋力強化のエンハンス」
「なくたってSランクハンターになった人はたくさんいるよ」
「Sランクは目指してませんから」
「アンタ才能あるから大丈夫だって」
「その自信はどっから来んの」
「お前がSランクとか無理だろ」
――またか。
チサトとノエが呆れ顔を隠さず隣を見た。やはりウェルサがそこにいる。
その表情の意図を察し、ウェルサは「あのなぁ」と反論した。
「言っとくけどお前らがいつもあとから来てるんだからな」
「ふぅん。だったとしてもわざわざ話しかけてくる必要なくない?」
ノエが言うと、「くだらない会話が聞こえてくるんでな」とウェルサは言う。
「座学もまともに受けられないやつにSランクハンターなんて無理なんだよ」
「わかんないでしょ。化けるかもしんないよ」
「いいやわかるね。そいつにSランクは無理だ」
「いやだからなる気ないって」
と、返すチサトに何故か一瞬ムッとした表情になったウェルサは、だったらと先を続けた。
「大人しくA止まりで我慢してるんだな。半端な気持ちでハンターやられたらこっちがいい迷惑だ」
ウェルサはそう言うと食器をまとめ、席を立ってしまった。
「あいつなんであんな突っかかってくるかなぁ。嫌ならほっときゃいいのに」
「……」
遠くなるウェルサの背中と先ほどの表情が妙に引っかかって、チサトは小首を傾げた。